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ロング・タイム・フェイヴァリッツ

自伝を丹念に書けば、書くことは決して尽きることはない。(小川国夫)

ぼくは高校生になってすぐに、音楽部(合唱部)に入ろうと決めた。コラースなら自分はどんなジャンルの音楽だって好きだということを(その頃すでに)感じていたはずだし、高校入試の面接で「自分には吃音があるのだけれど…」と堂々と語り「いいね」と言われた後だったので、歌う時だけは吃らずにいられる、と自分を救ってくれた「声による音楽」をやろうとするのは自然な流れだった。それからの3年間は、詩歌の本以外の本をほとんど読まず、大学入試対策のお勉強も「くだらん」と遠ざけるほどの(大変だった)のめり込み方で、高校生活の大半は嫌な思い出に満ちているが音楽部でのことは輝かしいものとして自分の中に大きく残った。

その頃の仲間にたまに会うと、「きみが音楽を続けていないことが不思議でならない」と言われる。みんな止めても、下窪だけは続けると思っていた、と。でもね、続けているんですよ。ずっと聴き続けてるのだから。いまでも"耳"はバリバリの現役でさあ。普通の人にはわからないと思うけど、素晴らしく聴こえてる。

ピアニストの亀澤奈央さんはその頃の先輩で、歌い方にかんする深いところを一緒に探求したというより(それは他の先輩に特訓してもらった)、音楽のもっと広い意味での表現とか、生き方とか、そういうところで当時、とても影響を受けた。

さて、今日は息子と一緒に川越までゆき、その亀澤さんのピアノ・コンサートのリハーサルにお邪魔してきた。コ○ナ禍になって以降、生演奏を聴くのは久しぶりかもしれない(うちでウクレレとカリンバを弾いて聴く以外は)。耳が感動しているのがわかった。

内容は事前に聞いていた。どうして、そんな、誰でも知っているような曲ばっかりやるようになったのか、聞いてみたかった。でも、演奏を前にすると、そんなの質問しなくても感じられる。ああ、この人には、この人なりの飛躍が、このコ○ナ禍を機にあったのだ、と思った。

それでもいちおう、予定している全曲を聴かせてもらった後で、少し話を聞かせてもらった。俊哉くん(ぼくのこと)の本を読んでいたら、自伝を書き継いでゆけたら書き続けられるというようなことが書いてあって、ああ、それだ、と思って、と話し始める。ああ、それはこれから『アフリカ』に載せる予定の文章に少し書いてあるけど、すでに書いていたことだったっけ? と思う。よく考えたら、ぼくが贈った自分の本は2冊あるので、小川国夫さんのことを書いた本の方だったかもしれない。

ここで言う「自伝」とは、自分語りをするということにあらず、たとえば、ひとりのピアニストが、自分の幼少の頃から親しんできた音楽を、いまの自分の技と音で奏でることが、「自伝を書く」ことになるのだ。

その音楽が、演奏家の中でどのように記録されているか、ということについても聞いたのだけれど、その話は、それだけで本が1冊書けそうなので、今日は入り口だけしか聞けなかった。

ごちゃごちゃ言わず、音を浴びるのが一番早道で、今日はとてもまっすぐな、いい気分の日になった。

(つづく)


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