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続・府中での個人的な3.11

今日で3.11から11年がたった。あの日のこと、あの頃のことは忘れられないけれど、その後の年月はあっという間で、いろいろなことが幻だったような気がするので不思議だ。

3年前の今日、「府中での個人的な3.11」という文章をここ(note)に書いていた。

その文章の中で、2011年3月12日、13日に書いていたブログを、そのまま再掲していた。今日は、その続きを読んでみよう。

 午前中の予定だった停電が行われず。先ほど近くを走ったアナウンスカーによると、「12時半ごろから」になるとか。情報が錯綜していて、何が嘘で何が本当なのかわからなくなっているけど、ぼくは、いつでも来い! って態勢でいる。みんな、出社できないくらいで、おどおどすんなよ! 東京は電車が止まったり電気が止まったりするくらいじゃん。何をバカな…。騒ぐなって。ただ、どうしても地震関連情報が気になって、「活字の断食」はやっぱり延期している。
 停電も電車が止まるのも、良い薬だ。パソコンの電源も切って(充電はされているけど)、手を動かそう。これまで思いつかなかったことをやろう。「活字の断食」でやろうとしていたことが、「断食」しなくても、できる。
 困ったら「ひとりブレスト」を。それでも思いつかなければ、踊ろうと。ダンス、ダンス。わかる人にはわかる。いまのぼくにとって、緊急事態は、何の苦でもない。死ななければいい。

(2011年3月14日「良い薬」全文〜Blog「道草のススメ」より)

何やら熱くなっている。緊急事態下ではそんなふうに熱くなるものかもしれない。もっとも自分には、その1年以上前からずっと緊急事態というふうではあったのだが…
3日後には計画停電が行われるかどうかという話になっている。余震が続いていたというのもあるけど、原発事故の影響。
散歩には毎日出ていて、午後、すでに電車は止まっていたが、駅前の居酒屋は薄暗い中で営業していて、ホッとしたような記憶がある(貧しくて飲みに入れなかったが)。

 今日の一枚。「分倍河原駅の封鎖された改札」か、これか迷って、やっぱりこれにした。近所のスーパーにて。空になった乾麺コーナーの棚。ほかにも、乾電池の棚はどこの店でも空。ぼくが見て回った限り、昨日の夕方の時点で一個も残っていないのを確認している。缶詰は「一個も残ってない」ほどではないけど、ほぼ品切れ。あと、ペットボトル(水など)、パン類、豆腐や納豆、牛乳などが消えている店が多いよう。新聞には鶏肉の発注量も9倍に増えていると書かれているけれど、(鶏だけに絞って見ていないが)肉、魚、野菜などは品薄とはいえ入ってきているので、ぼくはそれを買って食べている(ぼくは「買いだめ」などしない。なければないで節約できるし、そのほうが被災地への些細な貢献にもなる。みんな情報を調べているようで、調べていない。情報に踊らされているだけだ。でもこれが東京の現実…。ため息も出ない。)
 あと書き出せばきりがない。コンビニでも同じ状況。ただし、緊急事態に重宝すると思われるお菓子類(チョコレートやスナック類)が売れ残っているのが不思議。
 分倍河原駅でも、南武線が止まっている模様(止まってない?)。京王は夕方から止まる。

(2011年3月15日「現実から目を離してはいけない」全文〜Blog「道草のススメ」より)

何やら憤っているところもあるけど(何がどうあれため息をつきたい感じだったのだろう)、3.11から数日後の府中市内のスーパー事情を書いている。
いろんなものがスーパーの棚から消えたことによる不安もあった。けれど、肉魚と野菜は消えなかったので、それを買って食べて過ごした。

 計画停電、今日の府中市は15時20分から19時の間の3時間ということだったが、15時30分ごろにバタッと電気が切れて、防災無線で停電の知らせが流れた(停電したあとで聞こえた)。
 停電したてのころは書きものなどをつづけていたが、やがて暗くなり手元も見えなくなり、何もできないので、ボイスレコーダー(電池で動く)で音楽を聴きながら部屋で、まぁダンスなどして(細かいことはおいといて)いたら18時20分ごろに電気が復旧した。
 停電の前に今日は「アフリカン・スクラップ・ブック」のほうを更新。調子が悪いなりに、何か書いておこうと。左の写真は、停電中の町並。停電になると困ることも多いけど、節電に励む街を見ていて思うのは、「いつもこれくらいでいいんじゃないの?」ってことではないかしら。原発のことだけでなく、いまは、自分たちの日常を見直し、考え直す大きな機会なのかもしれない。あと、「アフリカン・スクラップ・ブック」でもリンクしておいたけど、災害支援の一例として、広瀬敏通さんらの活動に、ぜひご注目ください。

(2011年3月16日「停電の夕方」全文〜Blog「道草のススメ」より)

計画停電が行われた夕方のことを書いている。「アフリカン・スクラップ・ブック」というのは、当時書いていた「道草のススメ」より長文のブログのこと。
「いつもこれくらいでいいんじゃないの?」というのは当時、東京にいた自分の素直な感想だった。

その翌日には、「不謹慎」という言葉が出回っている、という話を書いている。読み返してみると、やっぱりキツイですね。社会に対する違和感というか、嫌な感じが、震災によって一気に噴出したように思えた。いま変わらずに、いつ変われるのか。その時は、そう思えて仕方がなかったのだ。

(つづく)


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