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変わらぬ問いかけと一瞬の隙間〜犬飼愛生精選詩集『百年たっても僕らをこんな気持ちにさせるなんてすごいな』

今週は犬飼愛生の新刊『百年たっても僕らをこんな気持ちにさせるなんてすごいな』(書肆ブン)をご紹介します。

(初版への注文が思った以上に多かったそうで、現在すでに増刷中らしいですが、もう少ししたらまた書肆ブンのウェブサイトから入手できるようになるでしょう。)

犬飼さんは私たちの"日常を旅する"雑誌『アフリカ』に10年以上、詩やエッセイを書いていて、これまでに『カンパニュラ』『なにがそんなに悲しいの』『stork mark』という3冊の詩集を発表しています。

『アフリカ』はもともと、「詩の雑誌ではない」と言っていたので、どうして犬飼さんが書くようになったのかはよく覚えてませんが、そこはいい加減なんです。いまでも詩の雑誌でないことだけは確かです(では何の雑誌なのかと言われると口ごもってしまいます、というか、そんなことを聞いて安心したいのは誰ですかね)。

話が逸れそう。今日は『百年たっても僕らをこんな気持ちにさせるなんてすごいな』のことを書きます。まず、タイトルが長い。『なにがそんなに悲しいの』に収録されている作品のタイトルを、そのまま使っています。犬飼さんが大事にしている作品(のひとつ)なんでしょう。

今見えることだけがすべてではないよ
そんなの随分前から知っているから
明日も生きられる
必要以上の悲観も楽観もしない主義なんです
百年後にはどうなっているかわからない
(「百年たっても僕らをこんな気持ちにさせるなんてすごいな」)

いま見えないことに向かっている。私たちはいつでも、いつかの「百年後」にいる。いつかの百年前にいる。詩人はそれを「美術館の地下に眠る絵」を見たり、ヘッドホンの中に満ちている音楽を聴いたり、「十年前に私が書いた言葉」から発見している。

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さて、今回の新刊『百年たっても僕らをこんな気持ちにさせるなんてすごいな』は、絶版になっている2冊の詩集(『カンパニュラ』&『なにがそんなに悲しいの』)からの全編と、2年前の夏に出た最新詩集『stork mark』の30編からは22編を選んで載せてあり、3冊の詩集には収録されていない詩や『stork mark』以降に書かれて雑誌や新聞に発表された詩も収録してある。

ただし、それぞれの詩集の「あとがき」は省かれていて、あらたな「あとがき」が最後に置かれている。

以前、話を聞いた時に「現代詩文庫(思潮社から出ている有名なシリーズ)のような本にしようとしているのかな?」と感じていたが、できてみると、やはり、現代詩文庫風の2段組で、とにかくこれまでの犬飼愛生の詩を詰め込めるだけ詰め込んだという印象だ。お徳用というか。2020年夏までの彼女の詩の、全体が、この本を読めば見えてくる、聞こえてくるアンソロジーである。

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誰かによる犬飼愛生論(解説というか)や、詩以外の散文とか詩論とか、そういったものは一切収録されていない。もしかしたら、絶版になっている2冊の詩集の復刻が主眼であり、それ以外のことは"おまけ"なのかもしれない。

通しで読んでみると、『カンパニュラ』の最初の詩(「バロメイター」)から、一番最近の「B面」まで、犬飼さんの作風は一貫している。そのことには少し驚きもしたし、安心もした。やっぱり書き続ける人はそうなんだ、と。若書きの詩は、本人には恥ずかしいところもあるのかもしれないが、読んでいるこちらにはあまりそういうことを意識させない。

『カンパニュラ』のアタマから3つ目の詩に、「百年」が出てくる。

このうすっぺらな印画紙は
百年先でも残るのに
私たちは一分後の関係さえ
予言できない
(「おやゆび殺人」)

"おやゆび"が何をしているのかというと、"ケイタイ"のボタンをカチカチやっているのだろう。私たちの20代は(私も犬飼さんと同世代だ)、"ケイタイ"の存在なしには語れず、"ケイタイ"が存在していなければ、編み出すことばも、かなり違ったものになっただろう。

なぜ"おやゆび"なのか、よくわからなくなる時代は必ず(おそらくあっという間に)来るが、しかしその時、この詩は再び息を吹き返すはずだ。

"ケイタイ"を握りしめて、つぶやく。

言葉は
不自由だ

不自由さと共に書いて(生きて)きた。「不自由だ」とこぼされて、いまその詩を読んでいる私はむしろホッとする。

しかし、言葉が不自由だからこそ、書き続けられるんじゃないか?

あたしは、言葉をあふれさせながら
梅田を歩く。観察する。
女の子は、みんな似ているね。
何に、怒りを向けているの。
(「梅田-西梅田間徒歩約十分、すれ違う人数は…」)

『カンパニュラ』は、いわば街の詩集だ。街に湧き出すことばを拾い集めて、編んである。犬飼さんと同時期に大阪で暮らして20代を過ごしていた私も、きっとそうだった。

そんな中にあって、父の死に触れたエッセイ風(?)の「父の名は」という詩が、犬飼さんがその後、家族のことを書いてゆくことを思うと、何かうっすらと輝いて見える。

さて、第2詩集の『なにがそんなに悲しいの』になると、詩はぐっと生活の中に忍び込んできている。たとえば、街の中ではなく、家の中に詩が座ってことばをこぼしている。

牛乳屋の娘を妻にした
優しい人が
蛇のように長いあいだ眠る
一部屋むこう
書くことは孤独な作業だよ
でもその対極にいる
だから真夜中にふすまをしめて
一人になる真似事をしている
(「牛乳屋の娘」)

"真似事"というのは、照れじゃないか。パートナーを得て、もう孤独ではなくなったかと問えば、やはり"孤独"はそこにあった。"孤独"は、ちょっと居心地が悪いような、意地を張っているような感じでもある。

途中で通った大阪の汚らしい川に
【それ】を流したかったが
それもできないので、また風呂敷に包んで
家の見えないところにしまった
(「喫茶シャガールにて」)

【それ】は主に「若さと攻撃性」で出来ているらしい。ああ、そういうの? たしかに「家の見えないところ」にしまってあるかも。でも書く人はそれをたまに取り出してきて見つめたりするんだ(たぶん)。

今日の夕食を写真に撮っておこうと思う
「いただきます」と手を合わせて
私は一瞬目を閉じる
(「なんきんのたいたん」)

犬飼愛生の詩は、その一瞬の沈黙、一瞬の隙間、一瞬の無(音)の中に凝縮された何かを感じさせてくれる。

ちなみに、もともとの詩集『なにがそんなに悲しいの』の「あとがき」では、犬飼さんはこんなことを言っている。

私にとって、自分のために詩を書くという時代はとうに過ぎていて、だかららこそ人のために書きたいと思っています。文字の持つ力は普遍的なものだと思うからです。

で、第3詩集『stork mark』のトップに置かれた「夜のガーデン」(今回の精選詩集にも収録)の最初の一行はこうだ。

(ここは庭です。あらゆる人々の憩いの場です)

ここでいう"庭"は、街とか家の中とかではなく、その間にあるもの、私とあなたの間にあるもの、自分と社会との間にあるもの、ことばとことばの間にあるもの──"庭"にはいろんな存在があり、多種多様な(見方によっては混沌とした)イメージのきらめきを見せてくれる。

『stork mark』については、以前にも書いたことがありました。

(これに加筆したものが、『アフリカ』第29号(2019年7月号)にも載っています。)

『カンパニュラ』の詩人が、『stork mark』では母となり、"大人"になっている。

前の詩集ではよくヘッドホンをして音楽を聴いていた(私)が、仕事に向かう車の中で音楽を聴いている。

数百円で音源をダウンロードする
大人になっても まだこんな気持ちになる
君と音楽の話がしたい
泣きたいようなこの気持ちはなんだろう
(「ニューソング(春のうた)」)

こんなふうに、犬飼愛生の詩は、現実世界の、日常の細部に目をとめ、素通りはできない、というんだろうか、その上(?)をゆこうとする。

〈未刊詩篇〉の中には、「いいねいいね」という詩がある。

今日はこんなものを食べました
今日はこんなところに行きました
今日はこんなことがありました
いいねいいね
充実していて超いいね!
(「いいねいいね」)

そこに並べられたことばには毒があるが、少し哀愁を帯びている。

「むかしに、幸せになったら書けなくなるって言っていたでしょう?
いまもそう思っている?」
(「今日の飴」)

この詩人は"ケイタイ"だろうがSNSだろうが何だろうが、傍にある道具(?)が変わってもつまりはずっと、何か、何だろう、"むかし"に聞いたような、同じ問いにくり返し応え続けているのではないか?

と同時に、常にその時代、その時代のことばと共にある。

聴いたことのない音楽の流れる春だった
まだこの世にないメロディー
どこから流れてくるのかわからなかったし
怖くて 家の中にとどまった
それで私たち、また画面の前で落ち合ったりした
(「B面」)

「B面」で描かれている世界が何か、いま私たちはよくわかる。しかしこの後、この詩がどう変貌を遂げてゆくのか、そのことが、じつはとても楽しみだ。

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ここでは例によって、思いつくままにあれこれ書きました。続きは、『アフリカ』次号で?

(つづく)

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