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小川国夫セレクション

先日、若い人から「小川国夫の本を読みたいんですけど、何がおすすめですか」と訊かれた。彼はもうすぐ20歳になろうとしている青年で、この数年ぼくが「ことば」の授業をさせてもらっているアトリエで、絵を描いている人だ。
そこで「どうして?」と聞く自分の質問はおかしいかもしれないが、聞くと「下窪先生の師匠でしょう。弟子がいるから、いま読もうと思って」らしい。
「読みたい」と言われるのは嬉しい。
ぼく(先生、ですか)の話なんか聞いてなくていいから読め、と思う。
いま書店で気軽に手に取れて、これから小川国夫を読もうという若い人におすすめしやすいのは、講談社文芸文庫の三冊(『アポロンの島』『試みの岸』と自選短編集である『あじさしの巣・骨王』)だけだろうか。
著作の大半が絶版になっているのは、仕方のないことだ。昨今の出版事情によると小川国夫に限った話ではないし、ぼくが20年近く前、読みたいと思ったときすでに似たような状況だった。
没後は、遺作集や、未発表作品が刊行されることがたまにあり、伝記や「小川国夫と私」を書きたがる人もたまに見かけるが、過去の作品が「リイシュー」されたことは、ぼくが知る限りまだ一度もない。
それは、悲しいことだった。
『アポロンの島』と、それにつづくユニークな初期作品集『生のさ中に』『海からの光』なんかを、若い人にはまずすすめている。20歳前後のころ、自分が夢中になった本たちだから。『アポロンの島』以外のふたつは古本屋か図書館で探してみて。
小川国夫の場合、ほとんどが絶版でも、古本は比較的安く出回っているから、まだいまのところ、読みたいと思う人には開かれていると思う。
それから、『悠蔵が残したこと』『彼の故郷』『流域』『アフリカの死』『或る聖書』など、かつては文庫で読めていた短編集たち。『悲しみの港』もそうですね。
文庫化されていない作品からは、後期の『マグレブ、誘惑として』『ハシッシ・ギャング』『黙っているお袋』『跳躍台』なんかを挙げたらよいか。
2010年に公開された映画『デルタ 小川国夫原作オムニバス』は、このあたりの作品をもとに映像化されたものだ。最近話題になっている映画『バンコク・ナイツ』を撮った空族(くぞく)も、『デルタ』三作のうちの一作「他界」を撮っている。
どれもタイトルがいいでしょう? その意味では地味(なタイトル)だけれど『若潮の頃』もいいなぁ。
それから、随筆(エッセイ)や紀行文、美術論なんかにもお気に入りがたくさんある。全部を集めたら膨大な量になるが……。そういう雑文たちを厳選して、何か面白い本がつくれないかと思い描いてみたくもなる。
小川国夫がどういう人だったか、語ったり書いたりするのではなく、ぼくは、小川国夫の書いたものをくり返し読んでいけたらよい。
本は、はじめて読んだころと同じく、開かれている。ぼくは最初の感動からずっと離れていないのだろう。離れられないというか。

4月8日が命日だ。あれから9年がたった。『アポロンの島』と出会ってからは、もうすぐ20年になる。今年の命日には『遊子随想』を手元に置いて読んでいた。回想録。戦後、大学へ行くため東京に出てきて、大森に住んでいたという話は覚えていたが、「新井宿」の高台にいた、と書いてあるのを見つけた。いま、ぼくが仕事で行き来している付近なので、不思議な縁を感じる。それが書いてあるのは「自然人」という一文で、椎名町にあった熊谷守一の家に出入りしていたことがあるらしい。以前これを読んだときにぼくはおそらく熊谷守一を知らなかったのだろう。いま読むと(ことばの)入り方がちがう。熊谷守一は「私自身のあこがれの実践者」らしい。──「あこがれはしても踏みこむことはできそうもない生活だったが、それをやってのけてケロリとしている男を眼の前にすると、希望という名の実像のように感じられた」。感じ方が、若き小川国夫と、若き自分をミックスしたような感じになる。乱暴な言い方をすると、彼と自分は気が合ったのだろう。やれやれ。また、ぼちぼち長い時間をかけて読みますよ。

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