見出し画像

痛みの感触〜『アフリカ』vol.32

ここでは1ヶ月ぶりのご無沙汰ですが、いかがお過ごしでしょうか? 最近、あまりnoteを見ていません。これを書いたら、タイムラインをザッと眺めてみようと思っていますが、追いきれない分はスミマセン。

前にも少し書いたかもしれませんが、このタイミングで、自分の手の内にやってきているアイデアは可能な限りかたちにしておこうと思っていて、具体的に言うと、その多くは「本にしておく」ということなのですが、いまは(SNSと付き合うよりも)その作業に向かうことを優先しています。

このパンデミックのさ中、生身の人と人が出合う場づくりにも精を出しています。毎月、たんたんと。

いつも、数人の集まりです。大勢で集まるようなイベントはコ○ナ禍になる遥か前から好きでなかったので、私はあまり変わりません(社会は変わりましたけど、脆いもんだという気がします)。

ひとりひとりとの付き合いに「拡散」はない。「拡散」しない方がよいものというか。そもそも私は「拡散」にあまり関心がないようです。嬉しくもない。

自分のプライドのためにやっているのではないので。むしろ自分がいなくなった後のことを考えてやっているというか…

さて、今月は、いつもの(日常を旅する雑誌)『アフリカ』最新号を出しました。

画像1

32冊目です。多いのか、少ないのか、よくわかりませんけど、遠くまで来たという気はします。

たとえば、人から何かきついことを言われたりすると、誰でも入ってきてもらえるような場をつくるのはもう止めたいと少し考えます。でも、決断を少し先延ばしにして、ひと息ついてから、いや、これでいいんだ、と思い直す。よく考えたら、そんなふうにして15年続けてきました。

閉じられた場には、閉じられた場なりの面白さがあるのは知っていますけど、自分はそれでは満足しなかった。

『アフリカ』は、あっけらかんとひらかれています。たまたま出合って、入りたい(読みたい、書きたい)と思った人はいつでも入れる(読める、書ける)。問題は心から入りたい(読みたい、書きたい)と思うかどうかで…

迷うときもある。というより、よく迷っている。

しかし迷うときは、だいたいどうなっても先はあるし、「こうしなければならない」ということはないと考える。それを否定する声も聞こえてくるだろう。でも、そう考えてみる。

そうやって、苦しいときには少し時間をおいて、簡単に結論を出さず、じっくり付き合っていれば、そのうちに道が見えてきます。その都度、決断するんです。よし、行くぞ、と。──今回の『アフリカ』vol.32も、そんなふうにして出来ました。

詳しい紹介文(ライナー・ノーツ?)は、また少し時間をおいて、ゆっくり書きますけど、すでに買って読んでくださった方の数名からは、「痛み」とか「傷」というようなことを思って読んでる、と教えてもらいました。

それ、鋭いかも!(いや、やっぱり、"感じて"いることは伝わるもんですね?)

いろんな「痛み」が、今回の『アフリカ』の中に、ちりばめられているかもしれません。

コ○ナ禍の影響が、大きくなってきたとも感じています。

何はともあれ、ぜひ読んでみてください。500円+送料でお送りします。部数はそんなに多くないので、早いもん勝ちです。雑誌ですからね、いま読むのが一番いいわけで。

画像2

『アフリカ』の、ここまでの32冊を積み上げてみました。薄い雑誌なので、こんなもんです。文芸雑誌は厚いものが多かった(いまでも多い?)ので、薄くて、寝転んでも持ち上げて読めるような雑誌をつくりたかったんです。溜めすぎず、そのとき、そのときのものを出してゆこう、と考えた。

画像3

『アフリカ』の前には、『寄港』という同人雑誌をやっていました(そこではいちおう私が"編集長"ということになっていた)。こうやって並べると、「薄さ」を求めたのがよくわかると思います。

『寄港』より『アフリカ』の方が遥かに面白いし、よい読者がついていることは、その雑誌を手にとって見てみればわかることだと思います。作品の中身を見る前に、たぶんわかる。どうしてそんなに自信満々に言えるかというと、『寄港』の編集人は周囲の思惑に動かされているだけであり、『アフリカ』の編集人は自ら動いているからです。

ひとりで書いているだけの人たちとはまるで違う、同人雑誌(仲間とつくっているもの)ともちょっと違う、『アフリカ』には編集者が存在しているというのが一番大きなことで、ま、編集者=自分のことなんですけど、『アフリカ』を始めたときに私は(本来の意味での)編集者になったのだという気がしていて。

どんな作家だってひとりで書いているのではない。自分の感覚だけで勝手にやっていい作品が生まれる? まさか!

そのかかわり合いの中には、それ特有の"痛み"もあるかもしれない。しかし、その"痛み"をないがしろにしない。大切にしてあげる。そこには大切な何かがあるからだ。

(つづく)

下窪俊哉の新刊『海のように、光のように満ち──小川国夫との時間』も、発売中。アフリカキカクのウェブショップや、いつもの珈琲焙煎舎でも買えます。

いま、福井県の池田町にある「小豆書房」でも、その本を手にとって、お買い求めいただけます。お近くの方、少しお出かけしてゆこう、という方はぜひ!(私も行きたいのですが、少し遠い、でも、いつか伺いたいと思っています)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?