予定変更の妙
『アフリカ』最新号について、先週は「タイトルを見るだけではどんなものかサッパリわかりませんね? そのへんはまた来週、ここで書きます。」なんて書いた。
ただ、今日の時点で、まだ印刷・製本屋さんから上がってきていない(あと数日、という予定)。なので詳しいことは、また来週、ということにして、今日は別の話を書こう。
ぼくは先週は息子を連れて故郷の鹿児島へ里帰りしていた。羽田空港はもちろん鹿児島空港も妙な雰囲気だったが、世間は新型コロナウイルスの騒ぎで持ちきり(?)だ。政府の動きを見ていたら、危機管理は殆ど出来ていないと言っていい感じだし(現・政権を見ていれば予想は出来た、とはいえ、だ)、横浜の港が「感染拡大の第二の震源地」などと言われていることも知っている。
その港から、汽笛の音がハッキリ聞こえてくる場所に、ぼくたち家族は住んでいる。そこで何がこっているのか。自分たちは果たして安全なのか。不安はひろがる。また、いまは「絶対に安全だ」と言えることなど、まぁ、ないのだ。──ということも何となく承知している。
自分たちに関係あることとしては、3/1(日)に予定していた「丘の上のマルシェ」(横浜らいず)が中止になった。
重度身体障害のある人たちの施設である。いまは止めておいた方がいい、と判断するのは当然、とぼくは思う。どうか利用者の皆さんだけでなく、スタッフの皆さんも元気で、よい春を迎えられるように祈ります。そしてまた6/7(日)に予定している「丘の上のマルシェ」で、お会いできますように。
というわけで、予定が空くと、さぁ、そこに何があるかな? とぼくは少しワクワクしてもくるのだ。動きがある時は、動きというものは、続くはずなので。さぁ、何が来るか、と楽しみにしています。
自分の思った通りにならない時には、何かある。──と感じる癖がついてしまった。
おっ、こんどは何だ? って。
なりゆきの風を見て、なりゆきの感覚を研ぎ澄ませよう。
予定通りにゆかなかったからこそ、出会える人あり、出来事あり、そして、待つことによって得られる歓びも小さくはないだろう。
「オトナのための文章教室」は、大勢が集まる場でもないし、会場自体も大体いつもひっそりしている感じなので(良いことばかりではないかもしれないが)、予定通りやろうと思います。今週の土曜、22日の14時から約2時間、「"(僕)は自分の家を平均的な家庭だと認識していた。" を最初の一文にして、その続きを書く」をやります。興味ある方はぜひどうぞ。
(つづく)
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