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ラブホのいっぱいある国、日本。

「なあんだ。日本にもいっぱいホテルがあるんだね。」
西洋のお城風やラスベガスのカジノ風(?)の外観をしたホテルを指差しながら、私の隣で、ダンナがうれしそうに体をゆさゆささせた。
「オレ、こうやって日本に来るまではさ、日本はバリ島とは違うところだから、ホテルなんてあんまりないんじゃないかって思ってたんだ。だけど、そうじゃないんで、ちょっと驚いている。ふ~ん。へぇ~。日本にもけっこうホテルがあるんだなあ。何だかうれしいなあ。。。」
 
結婚後に初めて訪れた日本で、ダンナが最初に口にした日本の印象といえるものが、これだった。このとき、私たちを乗せた高速バスは名古屋国際空港(小牧空港)から、東名高速道路を東京方面に向かっていた。ダンナは静かに走るバス(乗っている人が多いわりには、し~んとしている)の窓から、食い入るように異国(日本)の風景を眺め、目にするものすべてが新鮮でうれしくてたまらないという様子だった。(中部国際空港ができる以前のことである。)

その隣で私は、寝不足気味のぼ~っとした頭で(乗ってきた飛行機が夜中に出発して朝に着く便だったため)、久しぶりに目にする日本の風景を眺めていた。ああ、そういえば、日本ってこんな感じのところだったなあ、とか思いながら。なので、ダンナが「日本にもホテルがいっぱいあるんだね」と言い出した時、「あれ、こんなところにホテルなんてあったっけ?」と我に返って、ダンナの指差す方に目を向けた。すると、あった。確かにあった。が、そこにあったのは、ホテルはホテルでも「ラブホテル」だった。

ダンナがこうして、日本に着いて早々、HOTEL、HOTEL、、、という看板に素早い反応を示したのは、当時、バリ島のヌサドゥア(バリ島随一のリゾート地区)でホテルマンとして働いていたからだった。どうやら、思いがけず目に飛び込んできたHOTEL、HOTELという看板に親しみを感じて、気持ちが浮き立ったらしかった。いいね。いいね。日本にもホテルがいっぱいあるんだね、みたいな感じで。

そんなダンナの隣で私は、「まいったな、まずいよ、これは、、、」と思いながら、内心の焦りをダンナに悟られないように、ぼお~っとバスの外の風景を眺めるふり続けた。というのは、私の膝には3歳になる娘がいたし、近くの席には私たちを空港まで迎えに来てくれた私の両親や他の乗客もいた。なので、この状況で、それらのHOTELはふつうのホテルじゃないくて、ラブホテルというのもので、、、とか、ダンナに説明するのがためらわれたからだ。インドネシア語でこそこそ話せば、話の内容を人に知られることはないだろう。が、やはり、ためらわれた。日本に着いたばかりの外国人に(たとえ、それが自分のダンナであっても)、それらが何のためにあるホテルなのか、口に出して言っていいものなのか、、、
だけど、言われてみると、確かにあるな。ラブホテル。
「あっ、あった。あそこにも、、、」

都会(名古屋)から少し離れた高速道路沿い、というのが、立地に適しているのだろうか? 数は多いようだ。それでも、ダンナに言われるまで気づかなかったということは、日本人の私の目には、高速沿いのラブホテルというのが、それほど違和感の感じる光景ではなくなっていたのだろうか。いやいや、そうでもない。意識している見ると、変だ。やっぱり変。これらは明らかに周りの風景から浮いている。というか、周りのものとは何か微妙に違う匂い放っている、、、もし初めて日本に来た外国人なら、この不思議な外観の建物に、目を引き寄せられるのも無理はないだろう。。。

しばらく逡巡はしたが、結局、私はそれら(ラブホテル)がどういう目的のためにあるホテルなのか、ダンナに言わなかった。もし言ってしまったら、「アレ専用のホテルがこんなにもあるということは、日本人は一見まじめそうな顔をして堅そうに見えるが、かなりのむっつりスケベぞろい、ってことになるな、、、」みたいな、マイナスな印象を与えかねないと考えたからだ。私はいち日本人として、たとえ相手が自分のダンナであても、「日本人=むっつりスケベぞろい」という印象を、日本を訪れたばかりの外国人に持ってもらいたくなかったのである。

では、私がダンナに感じてもらいたいと思う日本の印象は、たとえばどんなものかというと、「さすがに技術の進んだ国は違うね。街も道路も立派で」とか「どこにもゴミが落ちていなくて清潔だね」とか「みんな親切ていねいでサービスが行き届いているね」とかいうもの。日本が世界に誇れる面を見てもらいたいと思っていたのに。それがよりによって、最初にダンナの目に留まったのがラブホテルだったとは、、、それらが何のためにあるのか知ったら、日本のイメージは崩れるだろうなあと、私はひとり苦笑いするのだった。

(私の夫=「ダンナ」はスマトラ島出身のインドネシア人。23歳の時、スマトラ島のメダンから、オンボロの長距離バスとフェリーを乗り継いで、身ひとつでバリ島にやってきた。観光で豊かにうるおう憧れのバリ島で、何とか仕事にありつき、貧乏から抜け出すことが目標だったらしい。以来、土方をはじめ、いくつもの仕事を経験したらしかったが、私と知り合って結婚した当時は、ヌサドゥアのホテルで働いていた。ダンナが初めて日本を訪れたのは1997年のことだった。)



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