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数秘術で救われた私の人生 Vol.1(私の原点・家族~争い~)

タイトルが大げさかな?と思うけど・・・
本当にそう思っているから、正直に♪

記憶をたどりながらお話するので、リラックスしてお楽しみください♪


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数秘術に本格的に出会ったのは、ある年の1月1日。元旦だった。

この頃の私は、会社を辞め、新たな道を歩みはじめるところで

ウキウキした気持ちもあったけど、なぜだか、孤独感の方が大きかった。

「私の歩みつつあるこの道は
  これで、間違っていないのだろうか?」

「これから何か
  成し遂げられるのだろうか?」

「そもそも、私の生きている意味って?」


思うように生きているようで、でも、なんとなくズレているような感覚がしていて

ぼんやりとした焦り
何者であるか見いだせない苦しさ

わかりたいのに、わからない。
ずっとモヤモヤしていた。

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数秘術に「本格的に出会った」と表現をする理由は、実はその数年前から
周りの人々から聞くことがあったからだ。

「○○さんは数秘術やっててね・・・」

でも、その当時は、「お誕生日で占うやつだよね」ぐらいにしか思っていなかった。

のちのち学んだら、そうではない事がわかって、びっくりだったけど・・・w

当時は「占いは、人生を左右してしまう不吉なもの」だと捉えていたので、
興味はほとんど湧かなかった


今となっては、ちょっと信じがたいよね。


さて、ではどうしてそんな私が数秘術を手に取り、今や、人に伝える側となったのか、ちょっと丁寧にお伝えしていこうと思う。


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<目次>

●私の原点・家族~争い~
喜びの種が芽吹きだした時期
記憶がない高校生時代
●日本の外へ飛び出す
●異国の地で得たたくさんの学びと希望
●自分を表現する喜びと分かち合える喜び
●夢に向かうも挫折ばかり繰り返す
●落ちるところまで落ちた先
●這い上がるために捨てた事と覚悟
●本来の自分を見失うOL時代~暗黒時代のはじまり~
●世間の幸せを追い求める
●「立ち止まれ」という体の声
●衝撃の気づき
●会社を辞めたきっかけは、愛猫
●失われる自信。焦りが招く負のループ
●導かれていた数秘術への道
●人々の気づきの瞬間に立ち会える喜び
●今

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私の原点・家族~争い~

私は、ごくごく普通の家族に生まれたつもりだった。

父は、自営業。
母は、美容師。

両親とも技術職だった。

小さな頃の土日祝日は、母が仕事に出てることが多くて
父と祖母と2歳離れた弟と一緒に過ごしていた。


あまりその頃の記憶はないけど、写真がそう記憶している。
おそらく、寂しい思いはしていなかったように思う。


私の記憶があるのは、保育園の年長さんぐらいからかな。


親戚の問題事で、大人が大きな声で言い合いをしていたり、
その最中に物が壊れたりするともあった。
ガラスが割れて、血が飛び散る時も。


私は、ただただ怖かった


みんなが言い争ったり、物が壊れたり、人が傷つく理由がわからなかったから。


そういう場面を見たり聞いたりしたくないけど、

小さな子供だったから、家以外の逃げ場がなかった。


今でも怖いと感じることが多々あるけど、この頃に記憶された恐怖のカタマリの一部が癒され切れてないのかもしれない。


時々、道端や出かける先で、人が罵倒している姿を見たり、大きな物音を聞いたりして、すごく怖く感じたりするからだ。


感情の記憶って根深いね。


当時、大人のそうした争いは、時々、終息したかのように思われたけど、
再び、勃発。

終息→勃発→終息→勃発

繰り返された。

終わりは来るの?来ないの?


気持ちが休まることがなかった。


これは、私だけじゃなくて、家族全体がそうだったように思う。


だから、

私はわがまま言わず
静かにしていれば愛される

そう思うようになった。



この幼少期のごたごたした出来事と体現しているネガティブな感情は、

私の人生にとって、必然であったであろうことが、数秘術で読み解く
「人生の物語」に描いてあった


数秘術で自分の「人生の物語」を、幼少期の頃からわかっていたら
また違った人生の捉え方をしていたかもしれない。


けれどこの頃は、まさか思考が現実化しているなんて、思ってもみなかったし、今みたいに、問題の解決策を探し当てるようなインターネットもなかった時代。


当然、数秘術だって、知る由もなかった。


答えが欲しいのに手に入れられなくて、心が落ち着かなかった。


悲しかった。
辛かった。
どこかへ逃げたかった。


でも、そんな日々の中でも、私を現実世界から解き放たせて、自分だけの世界にいさせてくれる喜びの種が存在していた。

私の喜びのもと。


この辺りのことも、実は、自分の「人生の物語」に描かれている


そのお話は、また後日・・・


お読みいただき、ありがとうございます。


次回は、「喜びの種が芽吹きだした時期」


私の喜びの種がどんな風に見つけられたのか、思い出を振り返りながら探っていきます。

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