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短編小説:主以外はみんなが知ってる忘れもの

電車のなかでよくありそうな風景。約1500字。
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 その日はテスト期間中で午後の授業も終わるのが早くて部活もなく、いつもよりずっと早い時間に私は帰路に就いた。乗った電車は人もまばらで空席が多く、駅に停車するたびに春の生暖かい空気が外からふわっと入り込んでくるようだった。

 高校の最寄り駅から電車に乗って数駅が過ぎ、明日のテスト勉強でもしようとシートのはじに座っていた私が英単語帳を膝の上に出したときのこと。次の駅に到着して電車が減速するやいなや、向かいの席に座っていた白髪のおじさんがゆっくりと席を立った。白髪頭とは対照的な太い黒縁メガネをかけていて、着ている白っぽいシャツもどことなくおしゃれで高身長、アーティストって感じがしてついつい観察してしまう。

 電車が停車してドアが開くと、おじさんは軽快な足取りで電車を降りた。英単語帳に集中できない私はなんとなくそのおじさんが去っていくのを見送って、そしてドアが閉まって再び電車が走りだすと、空になった向かいの席に目を戻した。

 座席の上に、カードのようなものがあった。クレジットカード、かもしれない。

 おじさんの忘れものに違いない、とは思うも、電車はもう動きだしていて「忘れものですよ」と渡してあげることも叶わない。かといって動く電車の中では駅員さんに渡すこともできず、次の駅に停まったら駅員さんに渡す、というのもなんだかおかしな気がした。そもそも、おじさんの忘れものに勝手に触るのが正しいことなのかわからない。クレジットカードとか大事なカードだったら、盗んだと思われやしないだろうか。

 さも膝の上の英単語帳を見ている態で私は周囲を窺った。席に座ろうとしたものの、おじさんのカードに気づいて別の席に移動した大学生っぽい若い女性。その女性が座るのをやめた席を見て、カードの存在に気づいたであろうスーツ姿の中年男性。周囲の誰も彼もがカードに気づきながらも、やはり手を出そうとはしない。

 カードを忘れて、白髪のおじさんは困ってるだろうか。

 高校生の私なのでクレジットカードを使ったことはないけど、なくすと面倒なものだということくらいは理解している。お父さんが酔っ払って財布をなくしてしまい、「カード止めなきゃいけないじゃない」とお母さんにネチネチ怒られていたのは記憶に新しい。

 おじさんも誰かに怒られるのだろうか。悪用するような誰かに拾われることもなく、カードはここにあるというのに。

 英単語帳ではなくカードを見つめること数分、また次の駅に停車した。何人かの人が降りて、また乗ってきて、空いている席に座ろうとして、おじさんのカードに気づいて席を変える。この電車は新幹線でも特急でもない、車掌さんの見回りなどはないのでカードを届ける先もない。うっすら気まずい空気が漂うも、みんなそんなものなどないように窓の外を見たりスマホをいじったり本を読んだりしていて。

 私も英単語帳をめくっている。


 そうして幾駅かに停車し、私の降りる駅が近づいてきた。結局一単語も頭に入ってこないまま単語帳をバッグに戻し、おじさんのカードから視線をはがして席を立つ。

 電車が停まってドアが開き、駅のホームに踏み出した私は春の空気を鼻から思いきり吸い込んだ。発車ベルが鳴り、背後でドアが閉まっておじさんのカードと共に電車は去っていく。

 こうして、おじさんのカードは私にはもう関係のないものになった。

 いや、そもそもおじさんのカードは最初から私には関係のないものだったわけだけど。

 駅を出て家に着いてテスト勉強を始めたら、私はおじさんのカードのことなどきっときれいさっぱり忘れてしまうだろう。そう思うのに、何かができそうでできなかった歯がゆさみたいなものは、駅を出て歩きだしてもなかなか消えてくれなかった。

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電車の中の忘れものって微妙だよなーと思ったある日でした。

そういえば、月に2本は短篇をアップするという目標でnoteを始めたので、
4月はこれでノルマ達成。よかった。

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