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美しくも儚き松枝清顕に命を吹き込む者・明日海りお 宝塚バウホール公演『春の雪』

エリザベート・ガラ・コンサートの2014年花組フルコスチュームバージョンで、トートを演じていた明日海りおさんとの衝撃的な出会いから、およそ2か月。

放送中だったドラマ『コントが始まる』やら、Huluでの冠番組開始やら、バラエティ番組への出演やら、各種雑誌への露出が増えるやらでお忙しそうな明日海さん。私の方はといえば、『エリザベート』2014年花組版をはじめとする、明日海さんの宝塚時代のご活躍ぶりを観ようと円盤を買いあさり、7枚に達したところで、「あれ?買ったはいいけど全然観てなくない?」と気づいた。

最近ご活躍目覚ましい明日海さんを追いかけて、雑誌を買って読んだり、コメンテーターを務められている『ZIP!』を観たり、Huluの冠番組をチェックしたり。はたまた高橋一生さんの以前の出演作をもう一度観たり、公演中の『フェイクスピア』を観に行ったり。そして他の気になる俳優さんの映画をさかのぼってチェックしたり、他の舞台公演の配信を観たりしていて、まとまった時間を取れずにいたのだ。

しかし、『春の雪』はよく見てみたら他の作品とは違い、ショーがないので2時間強で終わる。これなら映画1本くらいだ。なんとか時間を確保して観ることができた。

原作・三島由紀夫『春の雪』あらすじと本作の概要

【三島由紀夫 『春の雪』とは】
先に、明日海さん主演の『春の雪』を観てから原作の小説を読んだ。三島由紀夫の『春の雪』は、輪廻転生をテーマにした豊饒の海4部作の第1巻。大正時代の貴族社会に生きた、若い男女の悲恋を描いている。

作品自体はとても耽美的だ。うっとりするような美しさに満ちたこの小説のキャラクターとは、時代も生まれついた家柄も違いすぎて、感情移入はできない。けれど、世界観の美しさには陶然とさせられた。

主人公の松枝清顕(まつがえ きよあき)は、超絶イケメンで、屈折していて、夢見がちで、ガラス細工のように繊細な心の持ち主で、プライドの塊である。そして、彼の禁断の恋の相手となる綾倉聡子は、大変優雅で美しく、凛とした強さと頑なさを併せ持った、賢い人である。

【本作の概要】
宝塚には、「宝塚バウホール」という小規模(一般的な劇場サイズから言うと中規模と言っていいと思う)の劇場があり、若手スターを中心に公演を行っているという。

本作『バウ・ミュージカル 春の雪』は、組替えで花組に行く前の明日海りおさんが、月組在籍時代に宝塚バウホールで主役を演じた作品だ。

背景を説明

物語の背景に、大正時代の貴族社会と松枝家や綾倉家のそれぞれの事情が絡んでいる。

松枝家は侯爵の家柄だが、どうやら小説を読むと、もともとは薩摩藩のさほど身分の高くない武家で、明治維新のどさくさで「薩摩藩」出身だということに紛れ商家として名を成し、大きな屋敷にも住むことができ、侯爵の地位まで上り詰めたものであるらしい。

清顕の父は、家柄にコンプレックスを持っていて、雅なものへのあこがれがあるようだ。それは、大正時代に武家出身で爵位を持っているものなら、もしかしたら誰しも持っていたものなのかもしれない。

公家のような優美な思考と振る舞いを身に着けさせたいという願いから、侯爵は息子の清顕を、幼少期華族出身の綾倉家へ預ける。

こうして清顕と2つ年上の綾倉聡子は、きょうだい同然に育つ。

清顕の複雑で屈折した性格は、もちろん本人の生まれ持ったものもあるが、自分の本来の出自と養育された綾倉家との環境があまりに違うこと、自分の繊細な神経に対してあまりに父が粗野で楽観的であること、そして当時としては当然の男尊女卑の世の中で、姉同然の聡子には成長してからも弟扱いされていることなどが、合わさって形成されたものなのではないかと思っている。

また、貴族の結婚感については、家と家との結びつきという要素が強く、女性の結婚適齢期は17歳から19歳ぐらいだったらしい。女学校は、嫁を探す母親や有力者の息子が出入りする嫁選びの場でもあったそうで、美人から順に女学校を中退して嫁いでいったという。

清顕の2つ年上の綾倉聡子は、お話の上では20歳。周囲が「あの子は縁談を断ってばかり」と世話役の松枝家に嘆かれるのも、当時の常識から考えて無理のないことだった。

そして、結婚は互いの家の繁栄のための手段。
結婚相手が有力者や経済界の大物であったりすれば、「良縁」と言われ、当人同士の気持ちが優先されるなどという発想がなかった時代。

松枝清顕と綾倉聡子は、そんな時代に生まれついたのだ。

見どころその1:松枝清顕(明日海りおさん)のビジュアルと不安定で屈折した若者の表現

松枝清顕の美貌については、小説の中でたびたび触れられるが、分かりやすいところを引用しておく。

十三歳の清顕は美しすぎた。ほかの侍童と比べても、清顕の美しさは、どんなひいき目もなしに、際立っていた。色白の頬が上気してほのかに紅をさしたように見え、眉は秀で、まだ子供らしく張りつめて懸命にみひらいている目は、長い睫にふちどられて、艶やかなほどの黒い光りを放った。

人々の言葉に触発されて、侯爵は初めて自分の嫡子の、あまりの美しさに、却って果敢ない感じのするような美貌に、はじめて目ざめた。侯爵の心には不安が兆した。

親が不安になるほどの美貌とは、一体どんなものなのだろうという気持ちになる。明日海さんの演じた松枝清顕のビジュアルはこちら。

十三歳の清顕の数年後と言われたら、ふむふむと頷いてしまいそうな、色白で凛々しい眉、睫の長い美少年。ステージに出てきた瞬間に観客の目を一気に釘付けにするその美貌は、まさに清顕そのものだった。

オープニングナンバー・「豊饒の海~夢の旅人~」を歌う明日海さん。演出の生田大和さんはきっと、三島由紀夫の「豊饒の海4部作」に思い入れがあるに違いない。ミュージカル『春の雪』が、豊饒の海4部作の一部であると感じさせるとともに、清顕はある意味夢の中に生きる人間であることを示唆する曲に仕上がっている。

明日海さんは歌がお上手だ。2014年に花組で『エリザベート』のトートを演じた際には、黄泉の貴公子(あえてこう呼ばせてもらう)の妖艶な色気と力強さを、歌からもお芝居からもビシバシ感じた。

『春の雪』の清顕は、表現し切るのが非常に難しい役だと思う。場面によって表現しなくてはいけないものが少しずつ異なる。オープニングナンバーでは輪廻転生の中に生きる夢見がちな青年の自己紹介、「砂の海」ではプライドの高さを傷つけられた繊細な青年の胸の内、「春の雪」では聡子と気持ちが通じ合った喜び。歌で表現すべきことが細やかである上、場面場面では、現代の女性目線から見ると「はあ?」と思えるような行動をとる。その時の心の状態をお芝居で示さなくてはならない。

例えば、年上の聡子から「私がもし急にいなくなってしまったとしたら、清様、どうなさる?」と尋ねられた時の反応が、大変に屈折している。

聡子は自分をからかって楽しんでいるのだと思い込み、たいそう不快な思いをさせられた、と途端に不機嫌になるのである。そして、あろうことか不快な思いをさせられた腹いせに、「俺はお前の思ってるような男じゃないぜ」アピールを始めるのである。聡子の清顕に対する気持ちを知りながら、である。

で、留学生の友人に「恋人はいないのか」と尋ねられて聡子のことを思い出し、「俺はお前の思ってるような男じゃないぜ」アピールをした手紙を読まれる前に無かったことにして、留学生の友人に聡子を紹介しようとするのだ。なぜなら、彼女がたいそう美しいからだ。

まあ、なんというか、屈折ここに極まれりというキャラクターである。そして、思考回路のあまりの自己中っぷりに1ミリも共感できない。できないけれど、男のプライドとか、都合よく女性を使おうとするところなどは、理解できなくもない。

このあたりの不安定な心の動きを、細やかに表現する明日海さん。花組のトップスターに就任するのが2014年だから、その2年前ということになる。コツコツと磨き上げてきたお芝居の実力が、光を放っていた。

見どころその2:綾倉聡子(咲妃みゆさん)の体現する「女性の強さ」

聡子は、賢い女性である。そして、大正時代には珍しい「積極的な女性」だった。

思えば、「私がもし急にいなくなってしまったとしたら、清様、どうなさる?」という質問も、好き好きアピールであることは明白で、当時の華族の女性としては非常に珍しかったのではないだろうか。

しかも、本作品中で最も美しい(と私が思っている)シーンである、人力車での雪見の場面。学校などサボって、私と雪見に行こうと誘ったのは聡子の方である。

人力車の外は、雪景色。ぎこちないながらも手を重ね、唇を重ね、愛を確かめ合う2人。つかの間の幸せが、清顕と聡子に訪れる。

聡子には別な縁談が持ち上がり、清顕の冷たい態度に失望して縁談を受ける。清顕は、聡子が絶対に己の手に入らないことが分かった時、ようやく己の激しい思いを自覚する。

そこから始まる禁断の逢瀬、聡子の覚悟、その結果起きたことに対する聡子の決断。実に強く潔くて惚れ惚れする。

最後、清顕が寺を訪問するときに顔を全く見せない演出も、素晴らしかった。

見どころその3:本多繁邦(珠城りょうさん)と清顕の対比

豊饒の海4部作でストーリーテラーとなる本多繁邦役を、なんと現月組トップスターである珠城りょうさんが務めている(珠城りょうさんは、現在公演中の『桜嵐記/Dream Chaser』で退団を発表している)。

清顕の学友・本多繁邦は厭世的で夢見がちな清顕と異なり、実務家というか、地に足の着いた人間だ。親が堅い職業についていて、堅実な生活をしているせいもあるかもしれない。
だからこそ、友人関係が続いたともいえるだろう。

本多は、おそらく聡子のような女性がいたとして、彼女の縁談がまとまったら「おめでとう」と身を引くタイプである。
自分の行動の結果が招くことが理解できており、未来がないことと分かっているからだ。そして、未来は自分の努力で作り出すものだと思っている人間でもある。

一方、清顕は違う。
乗せられてきたレールに乗っていれば、無試験で大学に入れるし、いずれ貴族院議員にもなれる。自分の行動で何かが大きく変わるとは思っていないのだ。変えようとするだけの強いエネルギーも持ち合わせていない。

彼がたったひとつだけ、強いエネルギーを持てた対象。それが聡子だった。聡子に対する気持ちは本物だっただろうが、最終的な決断を聡子が下した後は、恋というより一方的な執着に見えた。

落ち着いて理知的な学友の本多繁邦を、珠城りょうさんが実に魅力的に演じている。「芝居の月組」のトップスターは、やはりすごい。

終わりに 

バウホール公演というのは、若手向けの公演らしい。だがこの『春の雪』という小説を舞台の脚本にして、宝塚歌劇団の若手向けの公演に仕立て上げるというのは、とてつもなくハードルが高かったと思うのだ。

まず、この小説の時代背景を含めて、2時間ちょっとの舞台で魅せ切ることが至難の業だ。大正時代の貴族社会なんて、現代を生きる我々にはなじみがない。加えて当時の常識と登場人物の心理を踏まえて、どうしてこんなふうに悲恋の物語になったのかなんて、映画なら説明的な画を入れ込んだりすることで少しわかりやすくできるけれど、舞台では難しい。

そして、小説全体に漂う美しさと儚さだ。
原作小説の耽美的な表現を、舞台でどうやって実現するのか。演者の皆さんに課されたハードルは、相当高かったに違いない。若手に求められるレベルを超えていたのではないだろうか。

脚本を担当した生田大和さん、作曲家の方、当時の宝塚歌劇団月組の皆さんに心からの拍手を贈りたい。

そして、言うまでもなく本作が三島由紀夫の『春の雪』の舞台化作品としてきちんと成立しているのは、清顕役の明日海りおさんの力量あってのことだ。ビジュアルと役の表現力、歌唱力。どれが欠けても清顕ではなくなってしまう。

有料だが、Amazonプライムビデオにレンタルがあったので、リンクを貼っておく。

『春の雪』は明日海さんの演じた男役の中でも、彼女の演技力と美貌、思春期の不安定な青年の放つ不思議な色香を、存分に堪能できる作品である。

だれか、松枝清顕役をこれより上手く演じることができそうな人がいたら、是非紹介してもらいたい。そのぐらい、素晴らしかった。

次は、彼女のどの作品を観ようか楽しみである。


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