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ニューヨークジャズの鼓動を刻み続けるジャズクラブ ヴィレッジ・ヴァンガード


ジャスクラブ ヴィレッジ・ヴァンガードは、1935年、マンハッタンのグリニッジヴィレッジにオープン。今年、85周年を迎える。今や、伝説的なジャズクラブ として広く知られ、ジャズファンのみならずジャズミュージシャンたちからも愛されているジャズクラブ。

ニューヨークで付き合いの長い友人、ケンが、ヴィレッジ・ヴァンガードの生みの親、マックス・ゴードンとの素敵なエピソードを話してくれたので、紹介したいと思う。


Live at the Village Vanguard 日本語訳本より


マックスと僕

1985年、一年間の留学生活を終え、スコットランドに帰ることになった友人のトムと、ヴィレッジ・バンガードを訪れたある晩のこと。

僕は大のジャズファンだったので、ヴァンガードへは何回か行ったことがある。地下にあるクラブの雰囲気と、自分よりも何年も前に Reed College に行ったオーナーのマックス・ゴードン のことが、僕は大好きだった。ヴァンガードに行った時にはいつも、マックスに挨拶をし、Reed College の話をした。

その日は平日で、土砂降りの雨の晩だった。そのせいか、店内はさほど混み合っておらず、クラブの後方にマックスは一人座って葉巻を吸っていた。彼のいるテーブルまで歩み寄り、友人のトムを紹介すると、驚いたことに、マックスは僕たちに座るようにと言い、ビールを注文してくれた。この時、彼は80代前半で、耳が遠くなっていたとは言え、とても元気だった。マックスは僕に、彼のホームタウンであるオレゴン州ポートランドのことやReed College のことを聞き、僕はクラブのことやヴァンガードで演奏する有名なミュージシャンのことなどマックスに聞いたりしていた。

演奏が曲のブレーク・ポイントに差し掛かったところで、「(バンドが)何かいい演奏をしてくれるといいんだがな!」と、マックスが思わず口にした。ステージで演奏しているミュージシャンを含め、クラブにいたすべての人たちに、彼が言ったことは聞えていた。 「”マックス節”がまた始まったよ。」と言わんばかりに、ベーシストが首を振って笑っていたのを覚えている。


パット・マシーニーが来た!

その晩、マックスは自分たちに帰れと言うこともなく、結局、僕たちは一晩中、彼と一緒にいた。セッションも終わり近くなった頃、なんとパット・マシーニー がやって来た。僕は彼の大ファンだったのですぐにわかった。

僕    :「ねえ、マックス、パット・マシーニーが来たよ!」

マックスはどうも彼のことに気がついていない様子で、パットが僕たちのところに来て座った時、

マックス :「なんて名前だって?」と僕に聞く
僕    :「パット・マシーニーだよ、マックス。」と彼の耳元に向かって言う
マックス :「やあ、パット!ケンを紹介するよ。」

と、マックスはしばらくパットに僕たちと話をさせた。

パットは、翌日ブラジルへ経つ前に、Radio City Music Hall であった Sting のコンサートを観てきたところなんだと話し終えると、本題に入った。パットが、一週間演奏したいんだけど、とマックスに言うと、日にちのやりとりがすぐに始まり、数分後には日程が決まった。これが交渉の全てだった。パットは帰り、バンドも演奏を終え、照明も落とされた。閉店の合図だ。類まれなクラブ・オーナーが演出してくれた素晴らしい思い出のセットを胸に、僕たちは家路についたことを今でも鮮明に覚えている。


Live at the Village Vanguard (Da Capo Press) 表紙


歴史

当初、ヴィレッジ・ヴァンガードは詩人や芸術家が集うボヘミアン的雰囲気を持つ店だった。詩人に代わって、社会状況を風刺した寸劇や歌を歌う若い役者たちがステージに立つようになり、その後は、ブルーズ・シンガー&ギターリストのレッドベリーとジョッシュ・ホワイトが一斉を風靡する。

そして、ジャズに至っては代表的なミュージシャンとして、チャーリー・パーカー、ソニー・ロリンズが “A Night at Village Vanguard” を、ジョン・コルトレーンは “Live at the Village Vanguard” のライブアルバムをリリースし、 ディジー・ガレスピー、マイルス・デイビス、リー・モーガン、セロニアス・モンク、ビル・エヴァンス、ハービー・ハンコック、チャーリー・ミンガス、ロン・カーター、アート・ブレイキー、マックス・ローチらが出演。


5/12/1989 付 ニューヨークタイムズより


5/22/1989 付 ニューヨークタイムズより


マックス・ゴードン亡き後、クラブを引き継いだ妻のロレインは2018年、
95歳で亡くなる。ニューヨークタイムズは生前撮影した “The Last Word: Lorraine Gordon, Jazz Impresario” と題するインタビュービデオを、その訃報と
共にウエブニュース上に掲載した。https://www.nytimes.com/video/obituaries/1194834005243/last-word-lorraine-gordon-obituary.html 

ビデオの中でロレインは、自分とジャズ音楽との出会い、最初の夫となるブルーノート・レコードの創立者アルフレッド・ライオンとの出会い、ピアニストのセロニアス・モンクとの出会い、そして2番目の夫、マックス・ゴードンとの出会いなどを語っている。

現在、娘のデボラ・ゴードンに引き継がれたヴィレッジ・バンガードは、2020年3月16日から閉店してはいるが、ニューヨークも段階的に経済活動が再開されつつあるなか、ヴィレッジ・ヴァンガードを愛するジャズミュージシャンたちの協力を得て、ライブ配信をし始めた。


Village Vanguard
178th 7th Avenue South, New York, NY 10014 U.S.A.
https://villagevanguard.com

Photo Credit: Live at the Village Vanguard (Da Capo Press)

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