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失敗のスイミングスクール(我が母とわたし編)

「我が母」のフリガナは「ワガママ」ですよね?

小学2年3年の夏休み、
2年連続でスイミングスクールに入れられた。

無理やり(引きずってでも連れて行かれる)。

妹が
「自分もやりたい」
と言うも却下だったのに。

我が母は、わたしには過干渉、他の兄弟には無関心であった。

我が母(ワガママ)は常々
「アナタの事を一番わかっているのはわたし」
と言っていたが、

全っ然わかっていない。

強制されたら
「好きなモノも大嫌いになる子だ」と
”ちゃんとわたしを見ていたら”
知ったはず。

スイミングスクールに行くのを強制されて、
わたしが嫌いになったは
「クロールで泳ぐこと」
である。

自信過剰になるくらいは運動神経が良かったので
スイミングの先生に目を付けられ

「このクラスに入りなさい」

と入れられたのは小学5~6年生が集められたクラスだった。

「いや、わたしはあっちの
(お水パチャパチャ、滑り台でドボンっ💦と遊んでいる)
クラスが良い」

と先生にも親にも言ったが、聞き入れられなかった。

※いつでも必ずや自己主張はするが、親にも聞き入れられたことなし

先生が

「この子はちゃんとやらせたら、
大会に出られるくらい
泳げるようになります。
水遊びのクラスに入れるのは
もったいないです」

と親に言ったそうだ。

余計なお世話だ、バッキャロ―。

そうして2年連続で、
”クロールで25mを美しく泳ぐ”
を叩きこまれたわけですが

わたし・・・
そのクラスの6年生からイジメられてましたよ。

わたしは3月生まれ。
そして小学生の時は、チビでガリだった。

小学2年生のわたしは、
やせっぽちの小学1年生くらいの体格だった、
と想像してください。

5,6年生の中に 
”妙に出来るチビ” 
が混じってるんですよ?

格好の標的でしょう

耳元で囁かれるんですよ
「お前が泳いでいる時に、溺れさせてやる」
と…ニヤニヤしながら

”確実に負ける” という体格差のある大きな人間からの 
”命の危険を感じる 脅し”
です。

だがしかし!

「だから行きたくない」
と言っても聞き入れらず、
恐怖のスイミングは続いた。

「大丈夫です!僕が見てますから」
と明るく爽やかにいう先生も
「よろしくお願いします!」
という親も

子どもの心は丸っと無視だった。

泳げないとコロされる、と思っていたので
「シなないためにやる!」
その場では必死だった

さぞかし頑張ってる風に見えただろう

が、

「終わったら覚えたもん全てを捨ててやる!!」
と誓ってたので、
今ではクロールは泳げないし、大嫌いである。

あの時の先生と親に言いたい

「お前らは、わたしがコロさないよう、見てられても、
 並んで泳ぐ順番を待つ前後の6年生から
『脅され続けるわたし』を守れんだろうが!」

「才能を見出した♪」
と思った能天気な母はそのまま続けさせようとしたが

「行きたくない」
「やりたくない」
「大っ嫌いだ!!」

と2年言い続けてたら、諦めた。

親や先生の期待? 
知るかそんなもん!

わたしはその後、独学で平泳ぎをマスターした。

体格がよくなり体力もついた中学生の頃には
「止められなきゃずっと泳いでいられる」
というくらいになった。

親とスイミングスクールの先生に
「アナタのためだった」
なんて言わせない。

存分に泳げるようになるために
アンタらは必要なかった、と証明したのだ

ザマーミロ、という気分。

子どもはどうしたって立場が弱い。
親にも周りの大人にも振り回されてしまう。

だが、

親・他人の気持ちや期待のためには行動しない

「自分がどうしたいか」でしか心を動かさない
「ブレない自分軸」という武器を持っていた。

例えばその時に ”自分が求めるもの” が得られなくても

「今できなくても、いつか求めてるものを手に入れる」

という思考のもと、行動してきたのだ

「自己肯定感が高い」
と自称するのも、うなづいて頂けると思ふ

・・・

長くなったので、いったん切りますね。

次の投稿はは、わたしが大人になってからの話しで

「わたしが失敗した我が子のスイミング」
こどもがやりたがっても習い事が上手くいかない時、の話しをします。

読んでいただけると嬉しいです(⋈◍>◡<◍)。✧♡

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