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田中克幸 コンサドーレ加入内定 選択した選手と受け入れるクラブ 双方の覚悟

明治大学4年・田中克幸北海道コンサドーレ札幌加入内定が発表された。

田中克幸。
その名を聞いて、ピンと来るサッカーファンも多いのではないだろうか?

2019-2020年に開催された第98回全国高校サッカー選手権。

同大会で谷内田哲平(現京都)・晴山岬(現バサラ・マインツ)・吉田晴稀(現愛媛)ら3人の高卒プロ入り選手を擁し、新潟県勢初・選手権4強の偉業を残した帝京長岡高校

そんな帝京長岡において、彼らと共にチームの中軸を担っていた選手こそが田中克幸である。岡山出身の田中は、帝京長岡でプレーするため、親元を離れて新潟に越境。高校サッカーの集大成・選手権準決勝では、約30mのドリブルからゴールを挙げるなど強烈なインパクトを残した。

また、道民の方であれば覚えている方もいるのではないだろうか。

前年の第97回全国高校サッカー選手権。旭川実業と帝京長岡が繰り広げた、のべ38人にも及ぶ激闘のPK戦だ。

同試合においても当時2年生の田中克幸はスタメン出場し、ヘディングでゴールを挙げていることも記しておく。(途中交代し、PK戦は欠場)

即戦力でプロに行くため下した決断

高校サッカー界屈指のドリブラーのもとには、高卒の段階で複数のJクラブからオファーが届いたが、田中はそのオファーを全て断る決断を下す。

Jクラブの誘いを断り、彼が進路先に選んだのは大学サッカーの雄・明治大学。自身の課題・守備能力UPにうってつけの環境下で、自己研鑽を積み、大卒で即戦力としてプロに入る為の決断だった。

大きな覚悟を抱き、進学した田中は大学サッカーのタイトルを総なめにする王者・明治大学においても、1年の開幕戦からメンバー入りするなど、8試合に出場し、1ゴール1アシストを記録。ちなみに、田中の大学での初ゴールは当時・明治大学4年の小柏剛(現北海道コンサドーレ札幌)のアシストからの得点である。

大学1年と3年でリーグ優勝を果たした、紫紺軍団で年々存在感を強めた田中。最上級学年になった今シーズンもここまで開幕4試合でスタメン出場し、中盤のコンダクターとして絶大な存在感を放っている。

そんな高校時代より更に、勇ましくなった男の獲得を熱望したクラブこそが北海道コンサドーレ札幌である。

札幌の強化を担う、鈴木智樹氏は高校時代から評価していた、田中の大学での成長を注視し続けた。彼の特徴をこう評する。

「シンプルに止めて蹴る。基礎技術のレベルが群を抜いて高い。僕のスカウト人生で見てきた中でも、1・2を争うレベル。また多彩なキックの種類を蹴れて、その質がどれも高い。ドリブルは相手を見て、方向と間合いを変えられるのも彼の魅力。」

長短多彩に蹴れる左足のキック精度とドリブルでボールを運べる田中の特徴がコンサドーレの中盤にフィットする人材だと睨み、大学2年の段階で田中獲得に乗り出す方針で固まり、昨年のキャンプにも呼び寄せる話しも出ていた。実際に、鈴木氏が長らく、イメージしていた絵は、2023年の沖縄キャンプで存分に示されることになる。

沖縄キャンプで示した実力の一端

田中は大学4年に上がるシーズン前に、2つのJクラブキャンプに帯同した。その一つが北海道コンサドーレ札幌だ。

高校まではドリブルを軸にしたアタッカー的側面の強かった田中だが、現在はゲームをコントロールしながら、ゴールの道筋を作り出すゲームメーカーの色が濃い。

沖縄キャンプのトレーニングマッチや紅白戦では控え組のボランチに入る機会が多かった田中だが、その存在は際立っていた。

彼が入るまで、中々、主力組のプレスを掻い潜れなかったサブ組が、田中と木戸のボールを捌ける練習生2名が加わる事で、前線にボールが繋がるシーンが激増。

特に田中の左足のキック精度を活かした展開力と時間をコントロールするセンスは、突出した存在感を示していた。

田中本人もそのプレーと成長に手応えを滲ませている。

「高校の時と比べて、プロの舞台でも通用する部分が増えましたし、自信をもってプレーできたかなと。余裕を持ちながら、プロの世界でも出来たというのは、自信にもなりましたし、うまく自分の特徴を出せたと思います。」

実際に、ミシャ監督も一目で「素晴らしい選手だ」と評するなどフロント・現場含め、その能力を高く評価。コンサドーレは田中克幸をいつでもウェルカム。そうなるのに多くの時間を必要とせず、進路の決断は田中克幸の意思に委ねられた。

明治大学に来て正解だった

仮に、高卒でプロの世界に挑んでも成功していた可能性はある選手だろう。ただ、田中本人は“あの時の決断”は間違っていなかったと、明治大学で過ごした時間に充実感を滲ませる。

「高校から比べると人間的にも、プレーの面でも、成長できた部分が多くあります。そこは自分の中でも大きな自信になっています。この冬、プロのキャンプに参加しても高校の時よりも全然通用した手応えもあったんで。あの時、明治大学を選択して正解だったと改めて思っています。」

高校時代、62キロと華奢な印象だった身体は、明大の激しいトレーニングを経て、現在は68~69キロをベスト体重とし、課題としていた守備面の強度も改善されている。

「1番課題だった守備っていう所は、高校の時と比べて、強さを出せていると思います。ボールを奪う回数も増えましたし、切り替えで 切り替わった瞬間に明治の特徴である。加速してどんどん湧き出るっていう点でも、やり切れている部分も多くありますし、課題だった点はすごく伸びたかなと。ただ、強度や運動量っていうのはもっと伸ばさないといけないと思っていますけどね。」

明治での3年間を経て、勇ましくなった田中克幸だが、シーズン前には決断のポイントをこう語っていた。

「やっぱり自分が本当に行きたいなって思うチームを選びたいと思います。ただ、J1のクラブだったらJ1で試合に出ないと意味がないと思っています。それは日々、大学で積み上げていくしかないんで。この1年間でJ1で戦える体とプレーのクオリティーを築いて戦えるようにまずは明治で全力を尽くしたいと思っています。」

ACLに出場するクラブも早い段階でオファーを送るなど、多くのクラブが注目した田中克幸の進路選択。

そんな中、自分が本当に行きたいチームとして、彼はコンサドーレを選択し、コンサドーレも田中克幸の力を求め続けた。

意中の人物との縁を掴んだ鈴木氏も、その喜びと共に責任の重さを口にする。

「シンプルに彼のような選手が札幌を選んでくれて嬉しい限りです。ただ、中学・高校・大学と多くの方々がバトンを繋いで、田中克幸という選手の今がある。次は、我々がしっかりと繋ぐ番です。」

クラブは覚悟を持って、田中克幸を受け入れる構えだ。

そして、田中自身も大きな野望と決意を抱いてプロの世界に飛び込む。

3年前のあの決断と同じように、この時、コンサドーレを選んでよかった。田中克幸ならそんな未来を切り開いてくれるはずだ。

その未来絵図はしっかりと描かれている。

同期となる岡田大和の左足がパワフルな剛なら、田中克幸の左足はテクニカルな柔になるだろう。

田中克幸は札幌のマエストロになれる漢だ。

その左足に刮目せよ。

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