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【インタビュー】「俺やっぱりコンサに戻りたい。また一緒に戦うべ」 佐藤陽成と砂田匠が交わした約束

夏は全国準優勝。
冬はプレーオフ1回戦敗退。

手ごたえと課題が交差した2021シーズンが終わった。

今年の北海道コンサドーレ札幌U-18の中心を担ったのはエースの佐藤陽成とキャプテンの砂田匠だ。

両者は互いに厚い信頼を寄せ合っている。

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佐藤陽成
「匠は本当に周りが見えています。自分も負けず嫌いですし、個性豊かな同期が多い中、匠は俯瞰して見ながら、誰とでも分け隔てなく接する事ができる。時にはしっかりと鼓舞してくれますし、チームのバランスを絶妙に取ってくれる存在。」

砂田匠
「陽成の一番すごい所は、速さやシュート技術は勿論ですが、何より気持ちの強さですね。自分がボールを持った時に顔を上げると、自然と陽成に目がいくんですよ。色々な人にヘイ!と呼ばれてもなんか陽成に出しちゃう。陽成にパスを出せばなんかやってくれる。そう自然と思えるような選手です。」

スピードと技術の高さを活かし、前線でギラギラ心を漂わせながら、勝利に繋がる得点を求め続ける佐藤。

ボランチとして、攻撃の起点。守備の潰し役の両タクトをこなしながら、ピッチ内外でチームの幹としてゲームメークする砂田。

共に世代屈指のハイレベルな選手だが、彼らは長年、目標としていた高校卒業後のコンサドーレ・トップチーム昇格は見送られた。

悔しくないわけがない。

「もう、コンサドーレには絶対に戻らない。」

そう胸に誓った日もあった。

決断を下された時、彼らは何を思ったのか?

そして、2022年から始まる大学生活に向けて抱く今の思いとは?

佐藤陽成と砂田匠の言葉と共に紐解きたい。

彼らは、今もこれからもコンサドーレで育った選手。その事実はいつまでも変わらない。

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佐藤陽成のこれまで

小学1年の頃、地元の稚内でサッカーを始めた佐藤。キッカケは当時流行っていたアニメの影響だという。

「サッカーは小1の頃、始めました。キッカケは幼稚園の頃からの親友がいて、そいつが野球かサッカーかで迷っていて、自分もそれで迷っていたんです。でも、その頃にイナズマイレブンというアニメが流行って、それに影響を受けて稚内ジュニアイレブンという少年団に練習参加して、楽しいなと思って、そこからのめり込みましたね。」

小学校年代までは特別、道内でも目立った存在ではなかった佐藤。地元の稚内でサッカーに明け暮れていたサッカー少年が、コンサドーレと出会ったのは中学1年のことだった。

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「中1の頃につどーむで開かれた大会に自分が道北代表で出て、コンサドーレ札幌に5-0で勝ったんですよ。その時に自分が2点入れて、北原さん(北海道コンサドーレ札幌アカデミーダイレクター)に声を掛けられたのが始まりですね。」

地元の仲間たちと全国出場を目指していたことや中学卒業後の青森山田高への進学も視野に入れていた当時の佐藤は、すぐにコンサへ入団することは無かった。

だが、その後も、北原アカデミーダイレクターが継続的に稚内に足を運ぶなど両者の関係は継続され、佐藤も中学2年でチームを中体連の全道優勝に導くなど大活躍。次第によりレベルの高い環境でのチャレンジを志し、コンサドーレアカデミー入団を決意する事になる。

当初は環境の変化が少ない北海道コンサドーレ旭川U-15へ入団する方向だった。

「先生も入って話して、最初は旭川コンサに行く予定だったんですよ。旭川だったら、転向しなくてもいいみたいな感じもあったので。
ただ、めっちゃ悩んだんですけど、北海道のクラブでプロに上がりたい。プロ入りへ最善の道はなんなのか?と考えて、コンサドーレ札幌に入ることにしました。」

当初はレベルの高さにこそ驚いたというが、不思議と寂しさより楽しさが勝っていた。

若干15歳で親元を離れての札幌での寮生活。しまふく寮では3個上の先輩・中村桐耶に特に面倒を見てもらった。

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「最初の部屋が桐耶くんと一緒で、かなり面倒を見てくれましたね。
結構その時の自分は反抗したり、生意気だったと思うんですけど…(笑)色々と教えてくれました。掃除だったり、寮母さんへの連絡の徹底だったりとか…」

その後も佐藤は順調に成長を遂げ、北海道コンサドーレ札幌U-18に昇格。高校でも1年からスタメンを奪うと、世代別日本代表の常連メンバーに。

ケガやコロナでの活動制限こそあったものの、周囲も自身も、高卒でのトップ昇格を信じて疑わなかった。

だからこそ、2021年は佐藤陽成にとって受け入れがたい1年になってしまう。

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砂田匠のこれまで

5歳で地元・手稲のSS.LAVOROでサッカーを始めた砂田。憧れの選手をコンサドーレのバンディエラ・宮澤裕樹と語る男は、赤黒のキャプテンの如く、攻守両面でチームの象徴となる存在を目指している。

そんな砂田は小学4年の頃に北海道コンサドーレ札幌U12に入団すると、以後9年間は赤黒一筋。それだけにクラブを背負う誇りは人一倍強い選手だ。

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「色々な指導者に出会って、自分はここまで成長できたと思うので。コンサドーレに本当に感謝していますし、このエンブレムを背負うことに誇りを持っています。クラブへの恩返しをしたいという気持ちは常に意識してプレーしていますね。」

言葉の通り、誠実で実直な男だ。

その一つが食事面。アスリートフードマイスターでもある母親の影響もあって、食に対するプロ意識も非常に高く、現在も試合の3日前からベストなコンディションにする為の食生活を徹底している。

勉強面でも、高校でトップクラスの成績を残すなど、ピッチ内外でストイックにサッカーに打ち込む姿に周囲の信頼も厚い。

中学・高校年代で、監督にお願いされ、キャプテンを託されたのもその証だ。

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プロ入りを懸けた2021シーズン

そんな砂田にとって、キャプテンでチームを牽引した2021年は飛躍のシーズンとなった。

準優勝に輝いた、夏のクラブユース選手権では全7試合にフルタイム出場。世代最強の相手とされた準々決勝の清水エスパルスユース戦では見事なドライブシュートを突き刺すなど、攻守両面で存在感を発揮。大会MIPにも輝くなど砂田匠の名前は全国レベルに轟いた。

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「自分でもこの一年で大きく伸びたと思います。自信がつきました。全国でも通用するんだと。そこを感じられたのは大きかったですね。」

そう自負する通り、日に日に存在感を高めていった砂田だが、夏のクラブユース選手権後に約1週間トップチームの練習に参加。
その直後の面談で、現時点での現実も突きつけられてしまう。

「トップ昇格はできません。大学でまた頑張って戻ってきてくれと言われました。自分はある程度、覚悟はしていたので。絶対に戻ってきてやるとすぐに思いましたね。高嶺くんとかのいい例もあるので。」

決意を新たにした砂田が進路先に選んだのは中央大学。中村憲剛さんや古橋亨梧選手も輩出した関東の名門大学を志望したその意図とは?

「まず、道外に一度出たいとの思いがずっとありました。同時にサッカーだけじゃなく、勉強面もしっかりと4年間取り組みたいなと。その両立をできる環境という観点で考えた時に中央大学というのが候補に出て。その中で中央大のサッカーも見てみたら、パスサッカーを標榜していたのと、潰し役・パスの起点にもなれるアンカーのポジションもあって、すごい自分に合ってそうだなと思いました。

勉強の部分でも高い環境でやれると思っていた中でたまたま学校にも指定校推薦があったので、すぐに先生方の方に相談にいきましたね。」

前述のとおり、高校でもトップクラスの成績を残していた文武両道の砂田はユース生には珍しい指定校推薦という形で第一志望の合格を見事に勝ち取った。

だが、視線は既に未来を見据えている。2022年からの大学生活は不退転の覚悟で臨むつもりだ。

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「自分の中でプロになれるか否かはこの4年で判断するつもりです。
ズルズルといきたくないので、区切りを決めて、この4年間今まで以上に本気でサッカーに向き合っていきます。

その中でやっぱり、コンサドーレは自分にとって特別なクラブですし、めちゃくちゃ戻りたいです。まずはそこだけを考えています。」

高校卒業時の昇格見送りは通達前から予期していた砂田。大学経由~プロ入りに向けての覚悟をすぐに決めた。

一方、佐藤は2021年初頭の沖縄キャンプに帯同。その後も定期的にトップチームの練習に参加し、プロレベルの争いの中でも、戦える一定の手ごたえを感じていた。

未来を見据え、キャンプ初日には一列下がったワイドで勝負したい旨をコーチに直訴。ユースでも従来のFWから、サイドハーフをベースに活動した。

全ては稚内から札幌に籍を移した頃から渇望し続けた高卒でのプロ入りに向けての決断。

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だが、その願いも叶うことはなかった。

砂田と同じくクラブユース後のトップチーム帯同後の面談でのこと。

「今回の昇格はないです。現状ではトップに上がって1・2年では試合に絡めないと思うので大学で試合経験を積んで欲しい」と言われました。

〝悔しい〟という一言では片付けられないほどの感情になったのは想像に容易い。

「その時はもうコンサには戻らないと思ったりしましたね。

大学を経由して違うチームに行こうと思いました。」

反骨心を胸に成長を誓った、佐藤が進路先に選んだのは田中駿汰の母校でもある大阪体育大学

当初は関東圏の大学進学を考えていたが、最大級の評価をしてくれた関西の雄で自己研鑽することを決めた。

また、同大学には昨年札幌U-18で背番号10を背負い、佐藤と公私に渡り、仲のいい木戸柊摩も在籍。木戸は今シーズンの関西学生リーグの新人賞を受賞する活躍を見せており、二人の再共演は今から楽しみだ。

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進学にあたって、2人の〝先輩〟にも相談したという。

トップがランチを食べている時に駿汰くんに「体大にいきそうです」と伝えて、そしたら拓郎くんとかヤナくんには「関西はやめた方がいいよ」と言われたんですけど(笑)でも、駿汰くんは「体大でえーぞ!体大はえーぞ!」と言ってくれました(笑)

柊摩とは毎日連絡を取ってるんですけど、寮の話やチームメートの話を聞いたりしてます。実は柊摩が高三の時に、「お前は体大に来い」と言われていたんですよ。正直、その時は行くことはないと思っていたんですけど。実際に体大に行くことになったら、「めっちゃ俺のこと好きやな」と言ってきて…まああっちが俺の事好きなんですけど。また一緒にやれるのが本当に楽しみですよね。」

はじめての道外生活となるが、首脳陣も「陽成なら関西でも大丈夫だろう」と口を揃える。本人も関西対策として、一発芸の準備も既に始めるなど〝関西順応〟に備えている。

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佐藤と砂田が抱くコンサドーレへの想い

昇格が見送られた直後は、コンサ以外のチームでプロになることを考えた佐藤だが、その心境に今変化が起きている。自身の気持ちに整理が付いたのは引退試合となったプレミア参入戦で敗れた直後のことだった。

佐藤陽成
「プレミアの参入戦で負けて、親の事がまず頭に浮かんですよね。自分がプロとしてピッチに立っている姿を親に見せたいなと。親は稚内にいるので、札幌で試合をしていると見に来やすいよなとか思いました。

後はクラブユースでは結果を残せたけど、お世話になったコンサドーレに自分は何も残せてないよなと。

そして、今の高3の匠だったり大好きな同期の仲間たちともう一度、このチームで一緒に戦いたい。俺はコンサにやっぱり戻りたいと思ったんです。」

最終戦の試合終了の笛が鳴った後、決意が固まった佐藤は砂田の下に近寄ると〝ある約束〟を持ちかけた。

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砂田匠
「参入戦が終わった時に、めっちゃ印象的な出来事があったんです。
陽成に肩をグイっと掴まれて「俺、やっぱりコンサに戻りたいわ。お前も一緒に戻ってくるべ」と言われて。

元々、陽成の葛藤や悔しい気持ちは聞いていたので、そう言って貰えて本当に嬉しかったですね。そして、俺もこいつと一緒にコンサに戻りたいと改めて思った瞬間でした。」

今年の3年生は口々に、こう口にする。
〝今のチームメートが大好き〟だと。
佐藤・砂田だけでなく今後が楽しみな選手が多数おり、道外の強豪大学に進学する選手も少なくない。大学経由でのプロ入りも十分に考えられる。

そんな彼らの一歩先を歩み、刺激を与える存在が一学年後輩の西野奨太だ。

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特に西野と共にトップチーム帯同の時間が長かった佐藤にとっては大きな存在だ。これまで一番悔しかった瞬間は?という質問に対する回答に佐藤の魅力でもあるピッチ上での負けん気の強さの一端が滲み出ていた。

佐藤陽成
「一番悔しかったのは、西野が昇格した時ですね。ピッチ外での仲はかなりいいですし、トップの練習もずっと一緒に行っていたり、多くの時間を一緒にいます。その分、強く意識しています。

だからこそ、西野が昇格を決まった時にもすぐに連絡をくれたんですが、うわ。まじか…と思いました。

めちゃくちゃ悔しかったですし、SNSとか見てると昇格した情報とか結構出てくるじゃないですか?そういうのも、本当に悔しくて仕方がなかったです…

でも西野にも頑張って欲しいんです!待ってろよ!と思います。
その時、一緒に出れれば嬉しいですけど。どっちか片方が出るとなったら俺が出る。という気持ちですけどね。」

西野と約9年に渡って、共にプレーしてきた砂田にとっても〝頼もしい後輩〟の成長と飛び級でのプロ入りは大きな刺激となっている。

砂田匠
「奨太とは小学校の頃から9年間ずっと一緒にやっているんですけど。最初は全然、飛び抜けていたような選手でなかったんですよ。

中学2年当たりから大きく成長して、いつの間にかプロでもデビューするような選手になっていく姿を見てきました。

自分たちの世代がトップに上がれない中で、下の学年の奨太が上がった形になりましたが、自分はめちゃくちゃ嬉しかったですね。

でも僕はこの4年で奨太も抜いてやるつもりなんで。」

一足早くプロの舞台で揉まれる後輩。

大学経由でのプロ入りを誓う先輩。

道こそ違えど、彼らの特別な関係は今後も続いていくだろう。

そして、どんな道を歩もうと、君たちがコンサドーレで育った宝たちという事実に変わりもない。

喜び、悔しさ、ライバル心、反骨心…全ての感情が成長のエネルギーとなってくれるはずだ。

何とか、目標を達成する為の活力にして貰いたい。

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佐藤陽成
「やっぱり大学でまた同じ悔しい思いをしたくないので。大学2年・3年の頃には特別指定を貰えるような選手になりたいと思っています。その為にも1年生から試合に出ないといけない。

1年目からスタメンで出て、柊摩も新人賞をとりましたが、自分もまずは新人賞を取って。大学の代表とか世代別日本代表にも入って、もっと有名になりたい。まずは1年の4月から試合に出ます。

自分の武器はスピードなので。スピードをもっと速くしたいですし、1対1の球際。縦へのスピードをもっと伸ばしていきたいと思います。

そして、絶対コンサに戻りたいです!コンサドーレからお願いされて戻るような選手になります。」
砂田匠
「新たな環境に身を置くので。チャレンジの1年になると思うんですけど、1年目からスタメンで出る気持ちでいます。どんどんアピールしていきたいと思います。大学では色々な誘惑も出るかもしれませんが、僕は大丈夫だと自信を持って言えます

今後は自分の理想としている攻撃でも守備でもチームの中心となるような選手になりたい。そして、宮澤選手のようにキャプテンシーをもっとつけて、チームを象徴する中心選手を目指します。

このチームには砂田匠がいないとダメだという。砂田匠で成り立っているという核になりたいんです。」

佐藤陽成と砂田匠が試合後に交わした〝約束〟

彼らの思いとクラブの思いが一致する未来が来ることがあれば、その時は声を大していうことだろう。

「おかえりなさい。ずっと待っていた!」と。

でもまずは2022年から始まる大学生活が彼らの人生にとって実りある時間になることを願ってやまない。

そして、歩む事になった、各々の道を彼らにとっての正解にしてほしい。

プロサッカー人生にフォーカスしても〝大学経由も〟決して遠回りな事でないことは諸先輩の現在を見ても自明の理。

絶対にできる選手たちだ。

最後に砂田匠と佐藤陽成の決意の言葉で締めとする。

砂田匠
「まずは小学校から9年間応援をありがとうございました!
コンサでの9年間は自分のサッカー人生において貴重な財産です。

また、大学4年間で更に大きくなって、成長して、このクラブに帰ってきます。4年後、楽しみに待っていてください。

必ずコンサドーレの力になりたいと思っているので、大学でも自分のプレーを少し気にしてくれたら嬉しいです。」
佐藤陽成
「まずは4年間ありがとうございました!自分は途中入団で入ってきて、最初は戸惑った面もあったんですけど、高1・高2になっていくに連れて、自分でも成長した面。もっと伸ばさないといけない面も沢山分かって、本当にいい環境でした。後悔は全くないです!

自分はどのポジションでも点を獲れる選手になりたい。後は試合中、誰よりも頑張れるであったり、ちょっとした部分も手を抜かずにやり切れる選手になりたいと思っています。

何年後になるか分からないですけど、コンサドーレに戻って、力になって、自分が主力として試合に出て、タイトルをとったりACLに導けるように大学で頑張ってきます。」

佐藤陽成と砂田匠の〝願い〟が実現する未来を心待ちにしている。

札幌サポーターの皆様にも、二人を含めたユース卒団生の今後の活躍にも是非とも注目して欲しい。

今回は2人に焦点を当てたが、それぞれの道できっと頑張ってくれるはずだ。

きっとうんと成長して驚かせてくれるだろう。

そして、その未来の先で

願わくばコンサに戻ってきておくれ。

また、一緒に戦うべ。

めちゃくちゃ応援している。

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