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「いい子な私」が出来上がった母との関係

こんにちは◎

子どもやパートナー、身近な人たちと
心地よい関係をつくりながら
自分らしく生きていきたいママを応援する
ライフコーチのはるかです。

今日から数日間、ちょっと私の過去の話をさせてもらいます。
こんなに濃く、正直に書くのは初めてで少しドキドキしているのですが、

こんな過去があったけれど
今の私はほんとうに心から自分を生きている

そんなことがすこしでも伝わったらと思っています


◆私の現在


1991年3月生まれ、魚座のA型
岩手県出身の東京都在住

2017年に第一子の妊娠が発覚し7年付き合った夫と結婚
今は小1の娘と2歳の息子(イヤイヤ期真っ盛り)の4人家族

仕事は介護職3年、アパレルを8年経験

2022年にライフコーチングに出逢い
自分の人生を改めて考え始める

2024年フリーランスとして独立することを決め、
現在ライフコーチとして活動中


ライフコーチとして生きていくことを
決心したのは、私の過去の出来事が大きく関わっています。

ここからは私の過去についてです。


◆私の過去

1991年3月、岩手県の産院で
21歳の両親の元に長女として生まれました。
(今の時代で考えるとずいぶん若く感じます)

その3年後、妹が産まれ4人家族に。

両親とも実の両親(私から見た祖父母)とは仲が良くなく、
宮城県に移住。

当時ではまだ珍しい方の共働き家庭で、
母は本当によく働く人
小さいながらに母の仕事場の託児所に預けられていたのを
よく覚えています。

砂場の中から小さなガラスのかけら?のようなものを見つけて
「ダイヤモンドだ!」って目をキラキラさせて
はしゃぐような子どもでした。

スーパーに行って「これが欲しい!!」って
床に寝転んで抗議するタイプの子どもではなかったみたい。

「あなたは本当に手がかからなかった、いい子だった。」
そんな話を母から何度も聞きました。

「いい子」

何度言われただろう。

「はるかちゃんは本当にいい子だね」

それは私にとって褒め言葉でした。

いい子でいたら周りから褒めてもらえたし
母が喜んでくれるから。

どうしてそんなに「いい子」だったんだろうと
振り返ると、、、一番大きな影響は母。

母はとても「がんばり屋さん」な人で、
朝から晩まで働いて、いつも疲れていて。

母を困らせたくない
母の力になりたい

子どもながらに思っていたんですよね。

そんな私の中で印象に残っている
エピソードがいくつかあります。


寝ている間に作ってくれていた付録

子どもの雑誌って「組み立てる付録」が付いているじゃないですか?
あれ、好きだったんです。
型から切り取って、組み立てて、、、

でも正直、子どもだけでつくるのって難しいですよね。
だけど母と一緒に作った記憶はなくて、
朝起きたら付録が出来上がってたのを覚えています。

私が寝た後に作ってくれていたんでしょうね。
きっと、一緒に作る時間がなかったんだと思います。


母は家にいない人

小学校の頃、家の戸締りは私の役目でした。

母も7時頃家を出てしまうので毎日

火はちゃんと消したのか(私が原因で家事になったらどうしよう)
鍵はちゃんと閉めたのか(私が原因で泥棒が入ってらどうしよう)

ドキドキしながら家の鍵を閉めていました。

頼れる人はどこにもいなかったから。

そして鍵を首からぶら下げて、
母は仕事なので学校の後は児童館に。
そして、家に帰宅します。
だけど母はもちろんいなくて、真っ暗のシーーンとした家の中。

「おかえり」って声が聞こえたらいいな

思ったことはあるけれど、
母に言った記憶はありません。

テレビをつけて、お菓子を食べて
母を待っていました。
母の帰宅は19時過ぎ、結構あります。

だからかいつも、家にはお菓子がたくさん置いてあったし、
チンして食べられるような冷凍食品もありました。


私は小さなお母さん

妹が年長、私は小3の冬。

私はスイミングに通っていたのですが、
終わった後に妹のお迎えにも行っていました。

スイミングが終わった後って
あのタオルみたいな帽子をかぶるじゃないですか(笑)?
あれを被って、お腹が減るし寒いから肉まんを買って。
(たぶん今だったらできないですよね、
あの時代だからある意味許されてたんだろうな)

着いたら先生が迎えてくれるわけだけど、、

先生の第一声が
「はるかちゃん、髪の毛凍ってるよ」
だったんですよね(笑)

髪の毛が凍っている小3の姉に
年長の子どもを引き渡し先生の心境って、、、と
今では思ってしまいます。

妹の託児所から自宅までも30分以上あったわけで、
そこを2人で肉まんを食べながら帰っていたわけです。
なんてシュールな、、(笑)

この話を母とすると、
「とんでもないことしてたよね、、!」って
今ではお互いを称え合えるような笑い話なんだけど、

私は"小さなお母さん"のような気持ちもあったんです。
「私がしっかりしなきゃ」って。

 

こんなエピソードは挙げたらキリがないのですが、
母の忙しさや大変さを身近に感じていたからこそ

・わがままを言っちゃいけない
・言うことをきかなきゃいけない、困らせちゃいけない
・自分の気持ちより他人の気持ちを優先
・しっかりしなきゃ、自分でできることは自分でする

が小さい頃から強く強く染みついていきました。

「いい子なはるかちゃん」が
出来上がっていったわけです(笑)

自分の気持ちはいつもしまい込んで、
周りのことばかり見て、
自分のことよりも周りを優先して。

「自分がどうしたいか」なんて
この頃からもう分からなかったのかもしれません。

これらは成長するにつれ自分の生きづらさへと
変わっていったのですが、
決して かわいそう と思われたいわけではありません。

ライフコーチングを受ける前までは
「こんな過去があったから」と思っていたけれど、
今では私の一部を作った大切な過去となっているから。

過去は変えられないけれど、
過去の捉え方は今からどう生きていくかで
どんな風にでも変えていけるんですよね。

そしてここまで読んでいただいて、
「あれ、お父さんは?」と思われた方もいるはず。

父もいるんです(笑)
父の話は次の記事で書きたいと思います。

長文を読んでいただき、本当に感謝します。


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