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ほどほどの優しさで


即席

自己犠牲の人がいる。
優しいし、人の為に自分が犠牲になって…という優しさを批判するわけではない。自分もその自己犠牲の優しさのおかげで救われたこともある。
何かのデータに
早死にしたり病気をする人の性格として
自己犠牲だったり、人に意見を言えないとにかく自分が我慢してしまう人の性格が挙げられていた。

シンプルにストレスが溜まりそうだし、一見当たり前のようにも感じるが、分かっていてもわりかし「我慢」ってやりがちだと思う。

身内のことを上げも下げもしたくないのだが、
父親は割と自分ファーストな人。自分が心地よい方向に舵を切ることも割とあるように思う。
しかし、祖父は相手第一な人。(たしかに早くに亡くなった。)例えば、焦げた魚を自分が食べたり、
自分以外の家族が旅行に行くことを「行ってらっしゃーい」と見送ってくれるなどなど。
私の父親も優しいのだが、食べ物は我先に食べたりするところがある。

私の母は亡くなった祖父に憧れているのか、
自分がそういった優しさに触れてきたからか、祖父と同じことを私にしようとする。勿論私が自分の子供だからということもあるだろう。
しかし、自分が倒れたら意味がないと思うのだ。
いつも遠慮して自分はあまり物、残り物。
行きたいところもやりたいところも我慢する。

本当にそうしたかったらいいと思うが、親といえど
人間であるから、自分が我慢しているという自負?は必ずいつか自分の身を苦しめる。
何が言いたいかって、
私は自己犠牲の優しさはあまり好かんのです。

こちらが気を使うというか、少しゔって苦しくなる。

家族以外にもそういった方はいらっしゃる。
程度にもよるし、たまにはいいのかもしれない。

とはいえ、いつもいつも自分ファーストというのも考えものだ。

最近、人の優しさに触れている。
私が心細い時にそっと寄り添ってくれたり、あるいは
間接的に優しさが伝わってくる時。こんな人になりたいなと心から思うし、ちょっと泣きそうになる。

理想は半分半分かな。
自分を思う気持ちと相手を思う気持ち。
相手を救うあまり自分が倒れちゃったら元も子もないじゃん。だから、自分が心身ともに健康でいられる程度に相手のことを考える。
そして余力をさらに自分で充電して、もっともっと
心のキャパシティを増やせるようにね。

そんな感じで優しさも自分を大切にする気持ちも
結構バランスが難しいと思うのです🌹


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