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感謝が湧き出る時が最高


ロンダ・バーン(著)の『ザ・マジック』という本を高校生の時に読んで、意識が変わった気がする。
「感謝」について。
大事だということは分かる。
しかし、実践したり感謝の意識というものは元々
私の中にはあまり存在していなかった。

スピリチュアル界隈をうろちょろしているので、
「感謝」という言葉はキーワードとしてよく出てくる。
確かにその通りなのだ。スピリチュアルと言わずとも、例えば今日も家族が元気であることや
食べ物があること、自分の体が健康であること、
インフラが何事もないかのように動いてくれていること、心の平安やもっと言えば雨風が凌げたり、住む家があることにも感謝だ。しかし、「感謝」の反対は
「当たり前」であって、我々はつい根本の有難い部分は見て見ぬふりをしてしまう。
本によると確か、なんにせよ毎日どの瞬間も感謝しましょうということが述べられていた。魔法のように感謝をすると出来事が嘘のように好転していくのです…とも。

確かにそうなのかもしれないね。

私も真面目に色んなことにまずは感謝をしようと頑張っていた。その結果いいこともあった。
だけど、少しだけ心に歪みというか疑問が生まれるようになった。
感謝で上塗りをするのはいいけど、自分の心のマイナスな部分、「怒りや不安や悲しみなど」はどこへ行くんだろうと。感謝をすることで、自分のマイナスな部分を無視して見て見ぬふりをして蓋をすることがどうしても出来なくなった。でも、同時に思うのは感謝できないことを責めなくてもいい。

私たちの心をコップに例えて。コップにマイナスであれなんであれ、水(感情)が溜まっていたら入るものも入らない。水をいったんこぼさないと感謝なんてする余裕も生まれるはずもない。
だから、自分の中のマイナスな部分と向き合うことの大切さも分かった。

例えばもう一つ、有名な水の実験の話で、
一つは感謝をしたもの、もう一つは罵声を浴びせた水を氷にすると
明らかに結晶に違いが生まれたり。
どこかの地域では毎日何時何分に感謝をする時間を設けていたり。

私も一時期、年齢かける1万の感謝
「ありがとうございます」を唱えるといいことがあるときいて、一日500回ずつを1年掛けて感謝をしたりしていた時期もあった。
最近は、あまり感謝にとらわれず自分の中のネガティブな部分も向き合って受け入れていく所存である。

何が言いたいかと言うと、むやみやたらに感謝していくことや形から気持ちは伴っていなくてもとりあえず感謝しましょう。それもありなのかもしれない。
が、やはりむくむくと湧いてくる感謝ほど素晴らしいものはないと思うのだ。感謝しようと思っているわけではないけど、
なんだか有難いなーとかそんな風な気持ちが自然と湧き上がってくる。最近、たまにだけど、そういうことがあるのですよ。そんな時、とても気分がいいよね。

なんだかまとまりがなくなってしまったな。

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