#182「写真の素晴らしさ」
先日部屋の掃除をしていた際にたまたま見つけたSDカードケース。8〜16ギガ容量が約8枚くらい入っていて、今日はついにその中身を確認することにした。そこには、今から10年以上前の写真が保存されていて、ノスタルジーを感じながら鑑賞していた。
中には中学校の修学旅行の時にデジカメで撮影したものや、親戚の集まりで撮影したもの、家族旅行や兄弟を撮影したものなど、懐かしいものばかり。記憶として今まで思い出すことはなかった、どこかにしまってあった記憶が、これらの写真を見たことで記憶の扉が開いたような感覚。あ、こんな時もあったなとか、この写真を撮った頃はこんなことを思っていたなとか、写真をフックに様々な当時の情報が蘇ってくる。これこそ、写真の素晴らしさである。
写真を見ながら胸が高鳴るのを感じる。今から10年以上前の世界と繋がれたような感覚。そしてこの気持ちを周りにもシェアしたいという気持ち。自分がこれからの人生で行っていきたいのは、こういうことなんじゃないかと、ふと思う。
当時デジタルカメラで撮影した写真は、半分以上がピンボケしていたり、ぶれていた。だけど、中には素敵な瞬間を抑えたものもちゃんとあるし、何より映りも綺麗だった。
思い返せば子供の頃から写真を撮影するのが好きだった。今はもうどこにいったかも覚えていなあけど、親に買ってもらったデジタルカメラを普段から持ち歩いていて、風景やポートレートをたくさん撮っていた。今となっては一眼カメラで撮影しているけれども、この時の体験があったから今も写真が好きなんだと思う。
懐かしい写真を眺めながら思う。親戚の集まりや誕生日のお祝いをしている瞬間の写真は、別にどうってことはない写真ばかり。でも、10年経って思うことは、この写真がなかったら、この当時の記憶を思い出すことは困難で、もしかしたら生きているうちにもう2度と思い出すことはなかったかもしれない。それくらい奥底にあった記憶の扉を開ける事ができるのが、写真なのだ。
あの当時、たくさん写真を撮っていて良かったなと思う。部屋の中の変化や、近所の街並みの変化も懐かしかった。今はもうなくなってしまったけど、昔たくさん通った場所が写っていたり、もう直接目にすることはできなくても、写真を見て懐かしむことはできる。
最近はいろんな写真を撮影するけれど、今回眠っていた写真の価値には到底敵わない。思い出の量や深さが違いすぎるから。だけど自分は、これからそうなるであろう写真を撮り続けていきたいと、改めて感じることができたのだった。