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完璧主義が教えてくれたこと

おはようございます。
キャリアコンサルタントの小川はる子です。

今日のテーマは
「完璧主義との付き合い方」にしました。

◆私のなかにある完璧主義
私は、完璧主義な側面があります。
この完璧主義との付き合い方。周りからもあれこれ言われてきましたし、自分自身も少ながらず悩んできました。私の中にある完璧主義は、なんでもかんでも、自分から見えている範囲はよくしたい。というようなイメージです。お任せされた仕事はもちろん、周りがなにかに困っていれば声をかけ、気づいたことには手助けをして。このように書くと、なにがいけないのよ?と思うかもしれません。でも、時として他人のサイドストーリーに、求められてもいないのに、もしくは求められても自分の余裕がないのに、本当は自分には関係のないことなのに...首を突っ込んでいるという面があるのも事実です。なんとも、やっかい。それでいて、私の私たる構成要素であり、人間らしいところとも言えます。

◆完璧主義との日々
この完璧主義さん。今まで、たくさんの場面で私を助けてくれました。完璧主義な側面があったからこそ、ここまで仕事をやってこられたし、ある一定の評価がもたらされたとも言える。それもまた事実。他人から見れば、いつも声をかけてくれる、助けてくれる、お願いすれば力を貸してくれる、相談すれば精一杯返してくれる等かもしれません。それが人間関係において、功を奏したり。組織の中では、よい立ち振る舞いに繋がっていたのもまた事実。ただ一方で、私のことを疲弊させてきたという側面もあります。自分に余裕がなくても、なんだか気になって声がけして、一緒に悩んでしまったり、尽力してしまったり。その人からありがとうと言われて、なんだか良いことをした気になっていたり。それが習慣として染み付いて、自分のメインストーリー以外のことで疲れていました。

◆完璧主義が教えてくれたこと
長年、完璧主義を手放したいと何度も何度も、いろんなことに挑戦してきました。最近気づきがあり、それを今回はシェアしてみます。
自分のメインストーリー(こうなりたい!こういう未来にいく!に繋がること)の延長線上にないものは、わかったうえで(気づいてしまうのはOK)放っておく勇気を持つ。そんなことしたら他人にどう思われるだろう→いや、他人はそんなこと気づいていない。そして、私が手助けすることはその人の成長機会を奪っているかもしれないし、私はすべてをやることは出来ない。と、ちゃんと諦める。
この諦めるが出来ていなかった。全方位すべてうまくやるのは無理で、それをやろうとして、本来大切にしたいメインストーリーを蔑ろにしていた事実に気づきました。完璧主義を手放すと言うと、考えないようにしようとか(余計気になる)、急に切り替えて周りにつっけんどんになるのも違う。そうではなく「やらない基準を設ける」という考え方にシフトしています。私のやらない基準は、大きなところでは、それは私のなりたい姿に通じているのか?です。あれこれ気づいたら、まず一旦ここを考えてみる(数秒でいい)そうすると、いかん!いかん!他人のサイドストーリーに首突っ込んでたわ!と気づけることも増えました。

完璧主義なときは、他人にどうして?なんでこうしてくれないの?と思っていました。それは期待値の押し付けでした。また自分に余裕がなければ、本当の意味での優しさは溢れてこないと思います。私は、私のなりたい姿を持ちながら、柔らかくしっかり他者との線引きをして、自分にも他人にも優しくありたいです。完璧主義は、私に大切なことを教えてくれました。自分のメインストーリーを大切にして、出来ないこと(やらないと決めたこと)をちゃんと諦めて、よりシンプルな考え方で、よりよく過ごしていきます。

それではまたお会いしましょう。

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