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アメリカの大学ではどうやって英作文を教えるか

日本の多くの大学とは異なり、アメリカの大学生は入学初日から英作文を徹底的に叩き込まれます。自己表現を大切にする文化ならではと言えるかも知れませんが、学問に臨む上で不可欠の科目です。私はニュージャージー州最大の公立4年制大学、ラトガース大学で授業を受け持って6年になります。専門分野以外にも、生活費のためには教えられる授業を片っ端から担当してきました。中でも、新入生必修の英作文のコースは、学生さんたちにも講師にとってもすごくキビシイことで有名です。

このシリーズでは、その時の経験を振り返りながら、私が講師として特に「大学卒業までにこれだけは身に付けていって欲しい」と思う英作文のポイントをご紹介しようと思います。文法や表現のテクニックというよりは、そもそも英語で評論文を書くとはどういう作業なのかという話になります。

まずこの記事ではどんな風に授業が進んで、どんな課題が出て、一体何がキビシイのかを話します。最後に、英作文で培う九つの能力について少しだけ書きますが、それについては次回以降もっと詳しくお伝えします。大学レベルでの文章力とは、実は幾つもの能力を複雑に機動させて成り立つ、とても高度な技術です。英作文の極意は「自分の声を見つける」という成長過程そのものにあると言えるでしょう。

英作文は新入生への洗礼?

Expository Writing、通称「エクスポズ」は、新入生にとって通過儀礼のように語られることがよくあります。短大や他大学からの編入生、もしくは高校で同レベルの英作文のコースを既に修了した人以外は、必ず単位認定を取らないと卒業できません。学生のレベルにもよりますが、逆に言うとラトガース大学では必修の英作文の授業はエクスポズだけです。私が学部を卒業したサンフランシスコ州立大学では、二回生を終える時点でテストが課せられ、合格しなかった学生には同じような英作文のコースが必修になるというパターンでした。

エクスポズは、教授陣の立場からすると「この授業たった一つしか必修にさせられない」という見方になるのでしょう。とにかく一気に学生のスキルを上げようという気合というか気迫を感じさせる内容になっています。「近年の学部生の作文力の低さと言えば全くなっとらん!」と思っている教授はどの学科にもいるもので、色々と組織的なしがらみも多いみたいです。

さて、大学生活を始めたばかりの新入生にとって、エクスポズは特に課題が多く、ペースも早く、そして求められる学力のレベルも高校とは格段に異なる、信じられないほどキビシイ授業です。一学期15週間で、ほぼ毎週原稿を提出しなければならないので、他のコースの課題の合間を縫って常に自分の文章と向き合うことが課せられます。クラスメイト同士でお互いの原稿を評価し合うのも授業の一環です。テーマも何でも良いわけではなくて、与えられた複数の長文エッセイを読みこなした上で自分なりの分析を組み立てることが課題です。

しかし、この「分析する」という作業は、ほとんどの学生にとって初めて取り組むものなので、いったい自分がどんな文章を書けばいいか全くわからないまま初めの数週間が過ぎます。夜遅くまで何時間も掛けて書いた原稿なのに、提出するたびに全然期待通りに評価されないという苦しみを味わうことはざらにあります。高校の授業では文章を要約することまでしか教わらないので、そのまま習ったことを繰り返しても単位は取れません。

実際の作文課題

例えば、最初の長文エッセイのテーマ。ウォール・ストリートの一流金融系企業の人事部が、ハーバード大学やプリンストン大学などアイビー・リーグのエリート学生を採用する過程について、文化人類学者の実際の観察によって論考されている文章です。この中で著者は、人事担当者が用いる prestige というもの、つまり「名声」「地位の高さ」「一流の証」のような曖昧な概念は、エリート学生を惹きつける仕組みであると同時に、一流企業で働く自分たちのアイデンティティとそれをもとに行うビジネスそのものを自己肯定する仕組みである、と提言しています。

「君たちみたいな世界一頭脳明晰な大学生にとって、私たちのような全世界に君臨する一流企業に就職することは当然の目標なんだよ」などという甘い誘い文句は、既に厳しい競争を勝ち抜いてきたエリート学生にとって正に「真実」です。しかし、実際にその採用過程をのぞいて見れば、結局何をもって「一流」とされているかは、大学と企業と双方のブランドそのものでしかなく、具体的な能力の評価が厳正に行われるわけではありません。

そして、次の長文エッセイのテーマ。アメリカの巨大な医薬品会社たちが、新開発の抗うつ薬を文化の異なる日本に売り出すために「うつ」という概念そのものを商品化するという過程が描かれています。高名な文化心理学者が、医薬品企業連合の催す会合に招待されて、ファーストクラス、高級ホテルのスイートルーム、そして高額の報酬という接待を受ける場面からエッセイは始まります。

続いて著者は、落ち込んだり気が塞いだりしている心理状態が、実は文化によって違う身体的な感じ方をすることを解説します。西洋文化で「depression」として認識されている精神的な症状も、他の文化では人との繋がりが希薄になったりして自分の在り方を見失うことで感じる身体的な症状だと解釈されることがあります。社会生活の問題から派生する症状に薬を処方するのもおかしな話です。

では、そもそもそんな状態を「病気」として考えすらしない文化の人々に、いったいどうやって抗うつ薬を売り込めばいいのでしょう。そこで文化心理学者の力が必要なのです。本来日本語で「うつ」は入院を要するような重大な精神病としてのみ認識されていました。日本語文化に「depression」という薬で対処できるような病気そのものを売り込むために、医薬品会社たちは「心の風邪」というコピー表現を発明します。

ではここで問題です。強大な企業や業界が市場を開発し、商品を売り込み、利益を拡大する上で、どのような文化的影響力を行使することができるでしょうか。この二つの文章を分析して、自分の論点を述べなさい。

というのが、実際に私がエクスポズで出題した作文課題です。これを、次の週には草稿4ページ以上、その次の週には最終稿5ページ(1500単語)以上を提出しなければなりません。私の要約が簡潔な分だけ割と簡単だと感じられるかも知れませんが、実際にはかなりの長文なので、この課題のプリントを受け取る時点でエッセイの内容すらちゃんと理解できている学生はほとんどいません。

しかも、この課題の文章そのものがわざとぼんやりと書かれています。これは、学生さん自身の視点や主張を中心に作文できるようになっているのですが、これまでずっと明確な「正しい」答えを出せるような作文課題しかこなして来なかった新入生にはもうチンプンカンプンです。むしろ高校の英作文で好成績を残してきた学生ほど、ここで一気に自信喪失してしまうことが多くあります。これをどうやって教えるのか。実はエクスポズの担当講師は、作文の授業については全くの素人である場合がほとんどです。

作文講師の苦悩と絶望

エクスポズは新入生必修なので、毎年秋学期には100を超える数のクラスが組まれます。定員は22名で、講師は大抵2クラス同時に担当します。講師を雇ってスケジュールを組むだけでも大変な作業なのですが、ここは博士課程の院生が生活費と健康保険を保持するためにどしどし集まるので、とりあえず人材には困らないようです。

しかし、エクスポズのカリキュラムの理念や教授法などを完全に研修させるのは金銭的に不可能なので、新規雇用の講師たちは基本的なコースの仕組みと課題の出し方、それと採点方法だけ1週間でサラッと教えられて早速教壇に立ちます。みんな人文学・社会科学のありとあらゆる分野から駆り出されるのですが、出題できる長文エッセイの選択肢はあらかじめ決まっている上に、必ず同じペースで課題を出すことになっているので、教える立場としては融通の利かない、心理的な報酬の乏しいオシゴトです。

まずみんな最初に、提出される文章のクオリティの低さに衝撃を受けます。文法は間違いだらけ、語彙は悲惨、句読点も少な過ぎ、段落はバラバラ、引用は無理やり、そのくせいかにも難解で賢く見えそうな書き方を精一杯して全く中身のない文章を出して来るのです。せっかく長文エッセイを元にして出題しているのに、関係ないことばっかり好き勝手に書いていて著者の意図も汲み取れないまま。本当に意味不明で、どうやって大学に入ったのか不思議に思えるばかりです。

それもそのはず、博士課程にいるような院生はみんな最高の成績で学部を卒業してきたので、平均的な能力値とはかけ離れたところで突き進んで来ました。いくら公立で最高レベルの大学とは言え、フツーの新入生の学力なんてそんなもんなのです。自分でやるのと人に教えるのとでは全然違う分野です。オリンピック選手が必ずしも優秀なコーチにはなれません。それに早く気付いて、いかに今の学生の能力を最大限まで伸ばせるかという試練に方向転換できないと、ただただ欠点ばっかり指摘して学期が終わってしまいます。それでは学生のモチベーションは最低、講師の評価も最悪です。正に大失敗。

そこで重要なのがフィードバック、つまりどうすれば次回は上手くできるかの助言です。講師はみんな研究者ですから、作文が本業ですし、同僚の論文の査読や評価も仕事の一環なので、何が足りないのか指摘するのは容易な作業です。が、それを44人のために一人ずつ懇切丁寧に言葉にするのには膨大な時間を要します。細かい文法のミスまで指摘する必要はないものの、それが気になる人にとってはなかなか放っておけません。さらに、欠点だけではなく、何がしっかりできているかを褒めてあげないとフィードバックは無意味です。何もできていなくても、必ず何か見出さないといけません。

初めてエクスポズの講師を務めた時は本当に地獄のような毎日でした。授業自体は簡単ですし、若い学生さんたちの教育を担えるのは光栄なことです。自分から積極的に心を開いて、裏表なく接すれば、人間的な繋がりを築くこともできます。それでも、採点とフィードバックとなると、苦痛でしかありません。私はタイマーを掛けて、一人15分から20分で終わらせるように必死で取り組んだものですが、やはり何時間も何時間も掛かります。もう少しアドバイスできる部分があったかなと思っても、時間が切れれば次の作品に移る必要があるのです。少しでも気を抜くと、一人の文章でもう35分経っていたりします。

逆に意味が明瞭で、読んでいてちょっとでも面白いなと思える文章を書ける学生さんがいた場合は、彼らの作品をあえて最後に採点して少しでも楽しみを得られるようにしていました。44人全員、これを3週間に一度以上のペースで毎晩深夜2時まで大学の図書館で繰り返すのです。もう二度と私がエクスポズの講師を務めることはありません。死んでもお断りです。

それでも、私が秋学期を2回、総勢88人を教える中で磨いてきた英作文の教え方のコツがあります。作文はプロセスなので、できるかどうかで簡単に評価できるものではありません。実は「文章力」「作文力」といっても、細かく見ると複数の能力をまとめてそう呼んでいるものなのです。

言語力の総合商社

エクスポズをただの洗礼で終わらせないためには、具体的に何の能力を鍛えているのか明確に説明する必要があります。しかも、それぞれの能力がどの順番で互いの上に成り立つのか知っていなければ、本当に無駄な努力ばかりをさせてしまいます。

英作文、特にアカデミック・ライティングという学術的な作業は、以下の九つの能力の積み重ねで成り立っています。読解力引用力分析力は総合するとインプット、つまり他人の思考を自分の中に内面化する力です。語彙力文法力構築力はアウトプット、自分の思考を言語化する力。そして批判力編集力自己発信力は、私がインタ―ベンションと呼ぶ、既にあるものを変えていく力です。インプットができなければアウトプットはできず、アウトプットができなければインタ―ベンションはできません。2002年に鈴木宗男を糾弾した辻元清美のようにに言えば、正に言語力の『総合商社』です。(ご存知ない方は、「疑惑の総合商社」で検索してみて下さい。)

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実際にエクスポズを履修し終えた時点で、これらの能力をすべて完全に体得できている学生さんはほとんどいません。提出する作品の中で少なくともインプット能力が活用できていればC、アウトプット能力が発揮できていればB、そしてインタ―ベンション能力まで機動できていればAとして成績評価されます。

クラスの22人中でAを獲得するのは一人か二人。彼らは入ってきた時点で相当な学力を既に持っているので、エクスポズの授業自体をトレーニングとして楽しむ余裕さえあります。半数以上の12人程度は最後の作品でBまでは漕ぎ着けます。一番最初の課題では合格点にも達しない学生が多いので、それでも素晴らしい努力と成長の結果です。6人ぐらいはCレベルで15週間の時間切れ、二人ほどは授業にすら出席しなかったりカンニング(他人が書いた作品を提出)したりで不合格です。

学問としての英作文は、他の人たちが書いた文章と対話し、もう既に始まっている議論に参加する行為です。インプット、アウトプット、インタ―ベンションの能力を駆使して、自分はどう考えるか、そして自分自身の声そのものを見つけ出すことがエクスポズのような必修作文コースの最終目標なのです。

エクスポズのカリキュラムを統括する英文学科のプログラムとしても、ここまで明確にコースの意図や仕組みを理解し説明できるスタッフはほとんどいないので、講師陣は完全に板挟みです。初めて教えた時のクラスを思うと、見当違いの演習をさせたりしたことが本当に申し訳なくなります。私はエクスポズを二学期担当し、その経験をさらにほかの科目の課題でも何度も応用した実績を基にして、やっとこの九つの能力を総合的にトレーニングする教授法を編み出すことができました。次回以降の記事では、この九つの能力について詳しく書いていきます。

まとめ

アメリカの大学で英作文を教えるのは、心身ともにボロボロになるようなキビシイ仕事です。入学したての学生さんたちにとっても、ほぼ未知の領域の能力を鍛え上げることが求められます。与えられた長文エッセイを、要約ではなく分析することで、自分自身の考え方を確立させ伝えていくのが目的です。しかし、講師も未熟な素人が務めることが多く、プログラムとしての成果はイマイチかも知れません。単に「文章力」と言っても、実際には九つの能力が積み重なって成り立つとても高度な技術であり、教えるのもなかなか難しいのです。

あなたは、「学ぶ」ということそのものについて具体的に教わったり、考えたりすることはありますか?記憶力以上のレベルで勉強をするのに、文章を書くことは欠かせません。高校や大学で、日本語なり英語なりで文章を書くトレーニングを受けたことはあるでしょうか。アメリカの大学で行われているような英作文の授業の内容とはどういう違いがあるか、ぜひ聞かせて下さい。

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