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ポップスへの変身。『虫の瞳』で視えたもの

夏が終わって、梅雨が来ましたね(?)。
夏(?)に開催した『虫の瞳』について、書きます。

かなり時間が空いてしまいましたが、孤立を考えるパフォーマンス・アート『虫の瞳』全6公演、無事終了しました。ご来場くださった皆さん、暑い中、遠方からお越しの方もいらっしゃいましたが、本当にありがとうございました。改めて、観てくださることで、こうしたパフォーマンスは形になると思い知りました。

僕は計5公演に出演しました。同じパフォーマンス(2時間)を5回、つまりざっと10時間は、あの場所でパソコンに向かっていたのですが、色々なことに気付きました。そして、昨年9月から企画を練ってきたこの長い期間が、僕にとって替え難い非常に貴重な時間だったことを、しっかりと書き残しておきたいと思います。

photo : miyu suzuki

アーツカウンシルに提出するために必要な資料作りとして、終演後、企画者の中野から質問をもらいました。それへの回答をベースに、進めていきます。

質問①パフォーマンスについて「何をしたのか」説明してください。

質問②パフォーマンスについて、行為の根拠や観客に提示したかったことなどを教えてください。

質問③パフォーマンスに鑑賞者が立ち会うこと/また鑑賞者の感想を目にしたことでパフォーマンスの行為自体に変化はありましたか。変化があった場合、それはどのような変化でしたか。

質問④「虫の瞳」の公演期間の前後で自身の考え方に変化はありましたか。

何をしたんだろう

質問①パフォーマンスについて「何をしたのか」説明してください。

フランツ・カフカ『変身』から着想したパフォーマンスを作りました。部屋に、3線からなるプラレールを走らせます。3つの車輌には小さなBluetoothスピーカーが乗せてあり、それぞれ虫に変身してしまった主人公ザムザの声家族の声外の人の声として、『変身』から引用したテキストを読み上げた音声が流れます。テキストは「せりふ」と「オノマトペ」を抜粋しました。

僕は部屋の隅にある机についていて、ノートPCテキストを作っていきます。そして耳から聞こえてきた「せりふ」と「オノマトペ」を、聞こえてきたままに入力します(間違って聞こえている場合もある)。そして、2ページ仕上がるなどの区切りが付いたらプリンターからプリントアウトします。その印刷物は、鑑賞者が自由に持ち帰っていいものとします。そのテキストには『たしかな∅』というタイトルがついています。「∅」とは、空集合という意味の数学記号で、その集合の中には条件を満たす数は存在しないということを表すための記号です。

鑑賞者の存在は「ないもの」とします。僕は一人で部屋にいて、自分で仕掛けた、この、テキストを制作するためだけの装置と空間の一部として、2時間、ただテキストを打ち込んでいきます。時折、窓の外を見たり、伸びをしたりしました。列車が時折脱線するので、それをレールに戻したり、プリントアウトされた印刷物がレールに乗ってしまって進行を妨げるのを介助したりもしました。そして途中で訪れる10分の休憩の前後で、机に置かれていたTENGAを撤収します。あの部屋は完全に僕にとっての「作業部屋」になりました。

制作過程 photo : haruki jimbo

僕はプレ公演+5公演という積み重ねの中で、この「作業」に耐えられなくなっていきました。2公演目からは、マシーンのようにただ聞こえた音を聞こえた順にテキストにするのやめて「入力済みのテキストと順番を入れ替えてもよい」ことにし始め、詩を作ろうとしました。3公演目からは「ゾンビ映画」や「恋愛物語」などのテーマを設けて、聞こえたテキストはそのままに、なるべく物語のような筋として読めるよう編集し始めました。4公演目からは、飽きたら机に置かれていたNintendoSwithでスマブラをプレイしてよいことにしました。5公演目は体感的には3分の1くらいの時間をゲームで過ごしていたように思います。

さて、僕は一体何をしていたんだろう。一つわかった確かなことは、僕は同じことを繰り返し実行し続けることが心底苦手だということでした。正直、ゲームは飾りとして置いてあっただけで、まさか上演中にプレイするとは思っていませんでした。自分に甘い。実際、家で作業をしていても、長時間同じ場所で同じ作業をすることもできず、散歩がてらカフェに行くなど場所をうつしたりしないと集中が持ちませんし、それで外出する気分じゃなければゲームします。寝る前はほぼ毎晩、15分ほどゲームをしてから寝るのが日課のようになっていますし。とんでもなくリアルな、僕の閉塞的な「暮らしの一面」が、そのまま上演されたという印象です。

何がしたかったんだろう

質問②パフォーマンスについて、行為の根拠や観客に提示したかったことなどを教えてください。

「行為の根拠」の質問の意図を、「なぜそのパフォーマンスを考えたのか」と捉えるならば、ひとえに「孤立のことを希望かのように捉えてはいけない」ことを、観客に提示したかったから、という答えになります。

ですが終わってみて振り返ると、僕は「ザムザの独白」をそのまま体現してしまうところでとどまってしまっていたことに気づきました。ザムザの独白には、強い「諦観」のエネルギーが宿っていて、それがループして鳴り響く部屋の中にいて、僕はほぼ、ザムザと同化するようなメンタリティになっていました。しかし実は、ザムザの独白だけが強く作用したのではなく、ザムザを隠したり咎めたりする「家族の目線」のことばたちのエネルギーの方が、僕をザムザと同化させる強い力を持っていたのだと思います。

また、鳴り響くせりふとオノマトペが、当初想定していた「聞こえてくる音」年いて以上に、「頭の中でことばを探している時に聞こえる仮想的な声」として聞こえてきてしまいました。普段、テキストを書いているときも、このようにして頭の中でことばが鳴っているなと気づきました。同時に、『変身』から脱出できないこのテキスト群が、鏡写しのように「僕は僕が知っていることばから脱出できない」ことを僕に知らしめました。

結果として、「孤立という絶望的な状況」だけがそこに滞留し、その先にあるはずだった「ではどこに希望を見出そうか」という未来に手を伸ばすことができていなかった。僕は最後までザムザの瞳を通してでしか世界を見ることができず、閉塞したまま終わってしまいました。

photo : miyu suzuki

恐ろしいのは、僕は今、パフォーマンスで使用したものと同じノートPCを使ってこのテキストを書いているのですが、ふとした時に、あの場で体験したり気づいたりしたことが蘇ることです。自分は今、たった一人でPCに向かっており、作業に追われていて、それでいて自由で、いつでも甘えることができ、そしてその作業が終わって成果物が仕上がったとしても、それはただ耳から聞こえた/脳内で聞こえた音をアウトプットしたにすぎないモノがただ刷り出されたというだけ。自分がモノ化したような感じ、と言えるでしょうか。

これはつまり、人間は極度に目的化されただけの状態に居続けると、そこになんの意味も、希望も見出せなくなるということなのかもしれません。〈人はみな「孤立状態」であるがゆえ、そもそも「孤立」という寂しさ自体存在しないはずなのではないか?〉という問いを中核に持つ『虫の瞳』ですが、やはり主観的には、この孤立状態を誰がどのように定義したとて、辛いもんは辛い、それがたった一つの真実だったように、僕は思います。

そうしたことを、どこか客観的に考え、それを伝播するメディアとして在ろうとした僕でしたが、まんまとザムザは僕に憑依し、僕こそを主役にせしめました。このパフォーマンスは僕自身の人生に明瞭な体験として、孤立の何たるかを語らしめる主体性を、僕に宿してくれました。しかし、それに気づくには遅すぎました。もっと僕は僕の自分ごととして、自分の瞳で、もともと自分の中にあったはずの「孤立」を考え、そして語るべきだったのです。

何かの視線

質問③パフォーマンスに鑑賞者が立ち会うこと/また鑑賞者の感想を目にしたことでパフォーマンスの行為自体に変化はありましたか。変化があった場合、それはどのような変化でしたか。

鑑賞者を「ないもの」としていたが、「ないものとしている私」はたしかに存在していて、それはつまり、本当の意味で鑑賞者を「ないものとすることはできなかった」ということになります。僕は間違いなく鑑賞者に影響されていました。鑑賞者がいないときは多めにサボってしまった。自分に甘い。逆に、鑑賞者が部屋に入ってきたときは、「どう見せようか」という邪念で体が動いていることに常時自覚的でした。これは、一人で作業している時には起こらないことなので、間違いなく「パフォーマンスしてしまっていた」のだと思います。

観られていなければ、もっとサボっていたでしょうし、完全に逃げることができてしまえば、今ほどに「孤立」を語れるような主体性を持つまでに至らなかったと思います。「逃げられない」状況に陥った。これはつまり、観られることで変化した、といえるということなのでしょうか。

たしかにパフォーマンスの場からは逃げられない。上演の場には、さまざまな因果が絡んで、鑑賞者と上演者を船着き場の「もやい」のように、その「場」に縛り付けます。しかし、本当に逃げ出そうと思えば逃げ出すことはできるはずです。人がいつでも舌を噛み切って死ぬことができるのと同じように(隣室で上演されたALSにまつわるパフォーマンスのことを考えると、一概にそう括ることさえもできなくなるが、現に嘱託自殺についても、自死する自由という面では同じことと言ってよいだろう)。でも「生きる意志」が残っている間はそうしない。ひるがえって、「場にとどまる意志」が残っているから、僕たちはその場にとどまるといえはしないでしょうか。

photo : yujiro hara

僕たちは人生の多くの局面において、ほとんど完全にそこから逃げることはできないのではないかと、僕は思います。ではなぜ、今まで僕は、作業と向き合い続ける日々(あのパフォーマンスとほぼ同様のことをする日々)の中で、今ほどに「孤立」を語るまでの主体性を持ち合わせていなかったのでしょうか。それはやはり、「孤立」という状況が実は特殊な状況で、人が本当に「孤立」を引き受けるには、社会一般や繰り返される人々とのつながりの連関の中から本当の意味で抜け出す必要があるのだと思います。逆説的に、孤立とはそういう状況のことであり、「上演の場」には、それに近い独特な状況を生み出し、孤立状態を擬似的に体験できる要件が揃っていたのかもしれません。実際、僕は自分の「意志」でパフォーマンスを日ごとに変えたり、飽きたらゲームをしたりして、ある程度自由でした。しかし、あの場にはいなければならないし、誰とも目を合わせたり心を通わせたりすることはできませんでした。これが本当の「孤立」なのかもしれません。

僕は「自由」とは「予定を覆す権利」のことだと考えています。いわんや、上演の場/人生から逃げ出すことは理論上では可能です。しかし、本当の意味でそこから逃げ出すということ、つまりこの権利を行使し続けるということは、およそ不可能なのです。「予定」がなくなったとき、自由を手にすることもできなくなる。これは自由にまつわる人間のパラドックスです。人間が自由かどうかを語るには、持続性の中ではなく、瞬間の中でしか語れません。僕があのパフォーマンスの中で自由を感じたのは、勝手にルールを変更し、実行に移すその瞬間だけでした。

もう一歩踏み込んで考えるとして、ではなぜ、僕はあの場にいることを「選び続けた」のでしょう。それは僕が、パフォーマーでいると同時に、演出者として存在していたことで、鑑賞者に何かを「持ち帰ってもらいたい」と思っていたからだと思います。僕はやはり、その鑑賞者の体験を「生産」する存在として、あの場で「生産者」になっていたのです。さらにいうと、僕は自分に「生産的であれ」と呪いをかけていた

そう考えると、そもそも僕がこうして『虫の瞳』に参加したり、お客さんを呼んで何かを上演することは、何かを生み出すという点において全て生産的な作為です。チケット代を取る/取らないにかかわらず、その場に行けば何かを得られると期待した鑑賞者が集結することに照準を合わせ、自らをその場に向かわせ、居続けさせるのだから、期待に応えるような何かを生産することを自分に課していると言えます。まとめると僕は、鑑賞者の瞳よりももっとずっと深いところで、この「生産性の有無」をはかる視線を浴び続けたのだと思います。

photo : miyu suzuki

この視線は、何の視線なのでしょうか。「意志」や「自由」よりももっと外側から、この眼差しは向けられていると僕は思います。意志も自由も、自分一人では変えることのできない「もっと大きな力」の影響を受けてしまう。そして、その場から逃げることはできないのです。僕たちはどうしたら、生産性を自分に課す人生から抜け出すことができるのでしょう。

鑑賞者の「感想」を目にして何かが変わったかというと、それはそんなに影響を受けていないのではないかと思います。ただ、机に置かれたTENGAへの言及が少なかったことは気になっていて、最終日は、鑑賞者が部屋にいるときに手に取ってみるということを試してみました。

何もかもが変わってしまった

④「虫の瞳」の公演期間の前後で自身の考え方に変化はありましたか。

何もかもが変わってしまったと僕は思います。それは前述の「生産性」に関わる根源的な問いと向き合い続けるうちに、資本主義の限界と、自己責任強要社会に反対する強い意見が自分の中に芽生えたからです。

「孤立状態」の要件として、社会一般や繰り返される人々とのつながりの連関の中から抜け出すというものをあげましたが、それはつまり、社会における「生産性」の対極の位置にあるといえるのではないでしょうか。社会はサービスの安定供給を求め、人々は参加応答の不可能性を排除し、資本という均質化されたモノを通して交換しようとします。安定供給できない/応答しないものに対して、資本は振り向きません。しかし人間とは元来、天候や体内のバイオリズムに影響されてしまって、サービスを安定供給することに向かないし、参加や応答の不可能性を完全に排除することもできません。そもそも無理がある。

さらに、感染症禍で今まで以上に明らかになった、格差の問題ケアにまつわるパラドックスやヤングケアラーに見る公助不足の問題などから考えても、現状のままの資本主義一辺倒の考え方では本当の平等はつくれないことは明白です。これから私たちは、資本主義の「良かった面」を残しながら、いま以上に共に助け合うための社会を作っていかなくてはならず、そのための連帯を促すべく、それを妨げる権威主義者たちを説得し退けねばならないと僕は思います。

どんな人も、生産性などという観点で測られない社会のあり方とはどんなものなのでしょう。実現可能なのでしょうか。僕はこの企画を進めていく上で、至るところにつまずき得るポイントを見つけ続けました。

例えば、「なぜ僕たちはチケットを売るのか?」というつまずきです。そしてそこに紐づく、「なぜ広告するのか?」「なぜ人を呼ぶのか?」などのつまづきです。そう考えると、「なぜそこまでしてアートするのか?」という問いが影から現れます。資本主義信奉を批判しながら、資本主義的な作法を通してでしか多くの人とコミュニケーションを取れないという矛盾です。会場に入って実際に全ての準備を終えるまで、その回答を用意することができず、一貫した姿勢を保つことができないまま準備をし続けました。それは苦しかったです。しかも、集客も振るわず、どっちにも転ばない中途半端な結果を叩きつけられるのです。

僕がいまなら導き出せる一つの答えは、「なぜなら今の社会が資本主義的な作法を通してコミュニケーションを取ることを前提に成り立っているから」です。トンチのような答えかもしれませんが、ここには、そうした作法にのっとりながらも資本主義を内側から批判をしてもよいと自分に言い聞かせられるだけの厳格なロジックや意志が必要でした。

photo : miyu suzuki

僕は、中野の提起した「孤立は絶望にしかならないのだろうか」に対し、【「孤立」を「希望」としてはいけない】という自らのスタンスを定めてパフォーマンスを考案し、形にしました。そして、作り上げられた空間や状況が、思った以上に「ポップ」だったことに、僕は驚きました。プラレールでいっぱいの部屋、予想外の突飛な行動に出ない神保、青や水色で統一された清潔感のある空間丁寧にまとめられた配線、そして「演劇の台本」というフォーマットで排出されるテキスト。僕はきっと潜在的に、どうしたら鑑賞者に「まずは」受け入れてもらえるかということを考えていたのかもしれません。僕はきっと一貫して、今ある社会のルールの中で、どのようにそこから思考の羽を伸ばせるのか、について考えていたし、そこにどうやって多くの人を巻き込むか、実験を繰り返しているのだと思います。そのための衣裳として「ポップさ」をまといたいし、その内側で「毒」を仕込んで、鑑賞者に遅かれ早かれ作用したいのです。これは矛盾ではなく、順当なロジックでした。このロジックに気づいたとき、僕は僕に本当の意味で資本主義的な作法を通して鑑賞者とコミュニケーションをとることを許可できました。

これはある意味で、「覚悟」と言い換えることができるのかもしれません。「この作品を人に見せることは何か有意義なことである」と、他ならぬ自分がそう思えるかどうか。ただ、これは結局、生産性を自分に課すという面において袋小路になります。しかしながら、そうだとしても、「これは資本主義的な作法を持ってしてでも鑑賞者に届けたい何かなのだ」と思えることが、もう1段階高いところにある覚悟なのです。その先で、その未来で、このような資本主義的な作法を介さずにコミュニケーションをとれる社会につながることを夢見て

この「夢」が、今後の僕を、どんな場所にでもしっかりと立たせてくれる「台本」になりました。台本とは予定のことです。予定をたまに覆しながら生きる。これが僕の自由です。

僕の変身

僕はいま、ポップスを作ることに非常に関心が向いています。これは多分、ここまでに語ってきたような手順を踏んで、資本主義的な作法をもって資本主義を内側から疑問視するということに、歴とした正当性を自身に見出すことができてきたからだと思います。

photo : mami hamada

なぜ多くの人に届ける必要があるのか。それは僕が、僕自身を含むマイノリティの声なき声を見つめ、未来で少しでも多くの人が生きやすくなる社会づくりに僕が参加したいからです。「場」に集めたり、「場」を作ることは、その方法のうちの一つであり、僕はどこで・誰と・何をしていても、そうした意志の源流からはぐれることはなくなりました。つまり、僕は僕自身を表現する上で、その姿がマイノリティ然としていようがマジョリティ然としていようが、それが自分の意志に悪影響を及ぼすものではないということに自信を持つことができたということです。簡単にいうと、ポップスでもいいし、インディーズでもいいし、僕は僕でしかないということがはっきりと分かり、その上で、ポップスは多くの人に届けるための一つの手段として、それを選ぶことを忌避すべきものではないということを学んだのです。

これは僕にとっての大きな変身です。

僕はもっと、苦しいものこそ愉快に描き、その芯で人間を讃え、間違ったものを強く批判する魂を持ち続けられるよう、さらなる変身をしていくべきなのです。

そんな折、先日見に行った範宙遊泳の舞台『ディグ・ディグ・フレイミング!』で、演出の山本さんのコメントが深く心に響いたので写メを掲載します。

『ディグ・ディグ・フレイミング!』当日パンフレットコメント

そしてこの新鮮な心持ちは、8月24日に上演する『かつてのJ』へとつながっていきます。僕のこれからの変身の連続にも、どうかご注目ください。

余談ですが、『かつてのJ』では、アイドルとショービズ、政治と宗教、権力と暴力、マジョリティとマイノリティなどについて深い考察を重ねるうちに、僕が歩んできた半生が今の僕にどんな影響を及ぼしたのか、客観的に見えてきた部分があり、それをパフォーマンスに昇華することに挑戦しています(恐ろしいタイミングで恐ろしい事件が起こってしまったので脚本を書き換えることにも挑戦している)。

20分という超短編作品ですが、そうとは思えないほどの情報量、展開が詰め込まれています。それはもちろん、その必要があるのでそうなっているのですが、それはつまり、伝えたい毒素がそれだけあるということです。しかし僕はこれを、自分にとって非常にポップな作品だと位置付けており、ポップに販売されることを作品自体が要求しています。売らなければなりません。会場を、僕の作品を見にきたお客さんで埋め尽くしたい。その先に、僕の「夢」があるから。

ここでサポートいただいたお気持ちは、エリア51の活動や、個人の活動のための資金とさせていただいております。どうぞよろしくお願いいたします。