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また次の山を登る。孤独の反対側へ

第12回せんがわ劇場演劇コンクールにて、エリア51『てつたう』の上演が終わりました。
グランプリは階(缶々の階)さん!おめでとうおございます!
『てつたう』は劇作家賞をいただきました。
悔しさはありますが、座組みんなで編み上げた大事なテキストを評価していただけたことはとても嬉しく、みんなへの賞ということで、代表して頂戴いたしました。

そして何より、せんがわ劇場演劇コンクールが、非常にいいコンクールだったことを、このnoteではぜひ書き残しておきたいと思います。

演劇の、私たちが演劇を続けて生きていくにあたって、閉塞し続ける私たちの営みと未来に、希望の光が差した感覚です。

(美しい舞台写真をいただいたので、間に挟んでいきます。)

写真:青二才晃

準備がすごい

あ、このコンクールは大丈夫だ。
と最初に思ったのは、遡ること桜の季節。劇場下見に行った際、帰り際に作品タイトルのイントネーションを聞かれたときでした。「え!? もうそれ聞くの!?」と驚いたことを鮮明に覚えています。

これはすぐさま、運営側の、コンクール運営のナレッジが十分に機能していることを私たちに直感させるのに充分すぎる材料でした。

下見前の、zoomでの説明会に、僕は参加できなかったのですが、とてもわかりやすく、いろいろなことが厳正に定められている、と、制作担当から聞きました。たとえば、演目のスタートは舞台監督Q、終了は緞帳の幕が締まりきったら、と他のコンクールでは質問して初めて帰ってきていたような細かいルールまで、徹底的にあらかじめ明示されていました。

厳正なルールは、むしろ、私たちの自由な創作を邪魔しませんでした。「ルールの中で戦う」ことに情熱を燃やすのが演劇だと僕は思います。他の団体ときちんと足並みが揃っているんだろうか、などという不必要な心配がありませんでした。私たちはかなり初期の段階から、しっかりと想定され抜いたコンクールの枠組みの中で、いかにして自由になるか、考え始めていたように覚えています。そして、その段階へといかに早く突入するかが、演劇作品の質を大きく分けると僕は思います。

また、質問への回答がきちんと専門的に返ってくるのも安心でした。担当スタッフにつなぐ際も、担当スタッフに確認します、と一報を入れてくださるところも、非常に助かります。そして何より、定期的に、他の団体からの質問とその回答を網羅した質問リストを送付してくれるところが、非常によかった。聞こうと思っていた内容を発見できたり、他団体への回答を見て新たな疑問点を思いついたり、非常に有意義だったと思います。

何度も何度も、細かい質問をしてしまい、大変ご迷惑おかけしました。ご対応、本当にありがとうございました。

写真:青二才晃

運営がすごい

会場入り以降は、各団体に1名ずつアテンドスタッフがつき、劇場内や当日の複雑なタイムスケジュールを管理してくれました。

実際、豊岡の時がそうでしたが、タイムスケジュール表を解読・理解するのも割と難しく、移動や待機など具体的にどういう動きをするのかは、各団体によって全く異なる点が多いです。「多分15:30からってことでいいんだと思う!」みたいな感じで行動するしかない時も多々あります。ですから、アテンドスタッフがいていただいて、「エリア51は15:45から移動になります!」と楽屋まできてお知らせしてくれると、本当に助かりました。

仕込みやパフォーマンスなどに向けて、みんなそれぞれの緊張感を持って控室にいるため、時間のことに気を張っていなくてもいいのは非常にありがたかったです。

また、わからないことがあった時に「あの人に聞こう!」とすぐ聞きに行けるのはとてもいいことだと思います。「誰に聞こう。あの人も忙しそうだし、ああ、あの人も・・・」とか考えてるのも時間がもったいないですし、とても安心感がありました。

写真:青二才晃

審査員がすごい

表彰式で、最初に、偉い人(ごめんなさい名前も役職も失念しました)が、校長先生よろしくご挨拶されるのですが、その中身の詰まってることと言ったら感動的でした。心から演劇とせんがわ劇場を応援しているんだな、というのが伝わってきて、これから始まる表彰式がいかに素晴らしいものになるか、その期待感を盛り上げるにふさしい幕開けでした。

最初に、オーディエンス賞:安住の地『アーツ』の受賞が表彰されました。そして、各賞表彰の前に各作品への講評へと移りました。

上から言うつもりは毛頭ないのですが、審査員の皆さんが本当に素晴らしくて、また、講評もとてもよかったと思います。作品へのリスペクトと、可能な限りを尽くした「言語化」への執念、そして何よりコンクールへの熱い思いをまっすぐに受け取りました。三浦さんとかもう、ブレーキかかんないんじゃないかってくらい白熱した評で本当にすごかったです。僕は個人的に、見られていない作品の講評を聞いていても学びがあるくらい、素晴らしいコメントたちだったと思います。並々ならぬ集中力だったと思います。みなさま、本当にご苦労様でした。

僕は作品を作っていて、自分の作品のどこが優れていて、何を磨くべきなのかを、ながらく分からずにいました。少しずつ、批評のことばを聞き、咀嚼し、身につけていっています。素晴らしい評は、次の創作の非常に大きな栄養になります。僕は3月の『ハウス』以後、すぐに『てつたう』へパスがあり、その移行の中で、明確に乗り越えなければならない山がありました。それはテキストの美的強度に関する欠陥でした。そして何より、「政治演劇」にならないこと。『ハウス』での批評と、それへの反骨精神が、ガソリンとなって『てつたう』への道を拓きました。

審査員の個性のバランスも、とても良かったのだと思います。裏でどんな空気だったのかはわかりませんが、少なくとも講評の場では、意見で他の講評を牽制するような、あるいは「しなければ場の均衡が崩れる懸念があるような」やりとりは起こらなかったと思います。"かながわ短編〜"の時に(あれは同時に審査もしつつだったのでなおさらですが)自分の評の正当性をリニアで自己評価しながらやりとりをされるような場面があって、それがちょっと見てて苦しかったりもするのですが、そういうものを見ずに済んだのは、心穏やかだったなあと思います。

(公開審査会って、何かメリットあったのかな・・・? みてる側が反応できないなら、やるべきでないのかも。)

写真:青二才晃

アフターディスカッションがすごい

表彰式終了後、各団体に別れて、専門審査員と一般審査員を交えてのアフターディスカッションという企画がありました。

1部と2部になっており、それぞれ専門審査員が1名ずつ、一般審査員が3名ほど、入れ替わりでディスカッションに参加するというものでした。

質問の内容がディレクションや作劇に関するものに偏りがちで、僕ばかり喋ってしまうなあと思ったので、極力、俳優たちにパスを出すことを考えていました。それでも、進行をアテンドスタッフの方がつとめてくださったので、ざっくばらんになりすぎず、見て下さった方の率直な感触などについて聞けたのは非常によい経験でした。

コロナ以後、終演後にお客様と直接こうして話せる機会は確実に減りました。なので、オフィシャルに(感染症対策に気をつけつつ)話せるのはとてもありがたかったです。

劇場ってすごい

せんがわ劇場演劇コンクールには、「劇場」のすごさを見せつけられました。劇場の真の力、それは演劇で人々をつなぐことではないでしょうか。

アフターディスカッションを終え、再度客席に集まった私たちは、各アテンドスタッフが他チームのディスカッションがどんなものだったかを発表するのを聞きました。どのディスカッションも、実りある豊かなものだったと感じられました。そして、どの団体も健やかに表彰の結果に向き合えていることを、進行の方が気にされていたのも印象的でした。

階(缶々の階)さんが次回公演の案内をしたことを皮切りに、宣伝の時間が訪れました。そこで驚いたのは、アテンドスタッフたちもみんな、過去にせんがわコンクールに参加している劇団主催者たちだったことです。なんだ、みんな演劇人だったんじゃん!みたいな、会場の空気が一気に温かくなったことを感じました。なんか、SWエピソード2で、ヨーダがトルーパーの大群を連れて助けに来るみたいな、仲間だぜ!みたいな、とても熱い展開でした。

せんがわ劇場は、コンクールを通してつながったアーティストたちとの交流に特化した活動を行なっているようで、この、12回に及ぶコンクールという取り組みは、強い力になっています。正直、せんがわという町は、このコンクールがなければ降り立ったことがない町でした。劇場も、きれいではありますが完璧な設備・立地というわけではないと思います。それでも、僕は、東京の小さな劇場も、まだまだ頑張れるんだ、と希望をもらいました。

試演会『オツベルと象』

チーム"てつたう"

そして最後に、チームてつたうのみなさんについて。

『てつたう』の準備が始まったのは、サンシャイン水族館で『とけない』を作っていた時でした。小松くんに関しては、何かしらで力を貸してほしいと初めから声をかけ、初期から相談に乗ってくれました。稽古開始後も、小松くんは演出視点と俳優視点を軽やかに横断しながら、常に自分の仕事に徹底してくれました。

コンクールの本選出場が決まってすぐの2月にオーディション開催を発表し、3月の頭に実施、そこで集まった面々の中から同行を決めた8名を足して、9名の俳優たちとともに戦うことになりました。

稽古が始まったのは4月。有楽町のYAUという企画に運よく採択していただき、最高の立地で豊かな稽古をすることが出来ました。また、奇跡的に、演出で取り入れたかったコンタクト・インプロビゼーションをちょうど学んでいるという熊野さんがカンパニー内にいてくれたこともあり、じっくりとコンタクトインプロビゼーションを学んでいくことが出来ました。この点が本当にターニングポイントでした。感謝してもしきれません。丁寧に、諦めずに、僕たちに学びを促してくれました。

そして、4月23日には、試演会『オツベルと象』の上演がありました。まったり稽古しすぎたこともあり、バタバタと間に合わせるように演出をつけ、ほとんどぶっつけ本番状態での上演になりました。

【効率ばっかりを気にしない】をテーマに稽古をしていたので、学びの場としては非常に豊かだったと思うのですが、プロダクションとしてはやはり、俳優にも演出側にも、夏休み最終日みたいな負担がかかりました。ただ、これはバランスの問題です。よいバランスを探して、また船を漕ぎ出します。

コンタクトインプロを取り入れた本番の上演は、それがない演劇と比べて、「身体の硬直」と、それによる「相互作用の減退」が際立って印象に残ったようでした。俳優からの、上演してみてのフィードバックで最も多かったのがその点です。そこから、「リラックス」というキーワードが見えてきて、本編創作に向けての大きな演出指針となりました。

どうしたらリラックスした身体をキープできるか。見て美しく、演じて軽やかなパフォーマンスと構成を探るための重大なヒントでした。

このような演出の光明を得られたのも、参加者のみなさんがフィードバックをたくさんくれたからです。稽古していても、客席側で仲間の演技や演出構成を見て、もっとこうしたらどうか、それではこのようにミスリードしてしまう、などのポジティブな意見が絶えません。そうしてじっくりと、『てつたう』は熟成されていきました。

途中、テキストのブラッシュアップのために一人一人と面談形式で意見交換をしました。ほぼ丸3日かけて。稽古を進めなくちゃという不安と背中合わせになりながらも、みなさん、今という変えがたい時間を少しでも豊かにしようと全身全霊かけてくれました。話は、ハラスメントや創作環境の話題にも膨らみました。この時間が本当によかった。協力してくださって、本当にありがとうございました。

そしてまた、夏休み終盤のような集中稽古に入りました。大幅なテキスト変更があったり、タイム縮減のための大調整をしたり、ムーブメントの創作を完全に委ねたりと、俳優陣には大きな負担になってしまいました。やはり、バランスです。無論、稽古期間は、たっぷりありました。

ただこれは、単に稽古時間の配分を誤ったというだけの問題ではないと僕は結論づけました。僕の作るもの/この作り方では、もっと時間をかけなければいけないという建設的な道しるべになりました。

写真:青二才晃

これからの稽古のあり方

今回、舞台美術は僕と演出助手の朋佳の二人で、主に進めていきました。みなさんもたくさんの私物を持ち寄ってくださりました。日々の稽古で意見交換しながら、少しずつ、あの形にたどり着いていきました。

でもこれが、美術プランナーのいる環境だったなら、もっと前の段階から想定して決めていなければならないという現実的な課題があります。でも、意見交換しながら、相互作用の中でじっくり作っていきたい。そうなると、もっと稽古期間を長くとる必要が出てきます。稽古期間を長く取るには、さまざまなハードルがあります。稽古をどのように進めていくか、各セクションで顔を合わせて打ち合わせするのもきっと良いでしょう。

こうした条件を踏まえて考えていくと、今後『てつたう』のような規模の作品を考えるには、6ヶ月前には脚本が一旦完成している必要があること、そして4ヶ月前にはプレ稽古が始まっている必要があることを、僕は確信しました。それくらいの余裕がないと、安全で平和に、みんなの尊厳を重視しながら、締切に追われクリエイティビティを削がれずにみんなで創作するという究極の環境を実現することはできません。

次に課題となるのは、その制作費をどうやって担保するのか? ということです。クラウドファンディングするか、助成金をもらうか、あるいは予算規模を大きくして集客力の強いメインキャストでチームを組むか。どれを取るのも自由ですが、果たして、文化芸術の"自立"の問題について考えると、僕が取り組むべきスタイルとはどんなものなんでしょう。

『てつたう』の企画の根っこには、「出会い」をテーマとするせんがわ劇場演劇コンクールに出場するにあたって、出会うことからスタートするという意図がありました。そして、どうやって「人と人が手を取り合う」かについて考えたかった。それはつまり、演出と俳優、スタッフ、作品、劇場、観客、それら全てがどうやって健やかに出会い、互いに豊かさを得ていくか、について考えるということであり、稽古のあり方についても、必然的に問われてくるのでした。

問題はさまざまにある。でも、悲観せず、一つずつ潰していくしかないんだ。例えその最中で、アリを踏む象を追い出さなければならなかったとしても。そしてその足が、他ならぬ僕の足だったとしてもだ。それが人を集めて「人々」をつくる、僕の責任だ。そうだろう、オツベル。

出会い

演劇界のハラスメントにまつわるさまざまな動向と、ちょうど、この制作期間、ずっと並走していました。もちろん、僕たちは当事者です。ウクライナ侵攻をうけてだいぶエネルギーが削がれていた中、SNSでは「ハラスメントポリシーを公表しない劇団なんか潰れろ」などの過激な発言も目にしました。僕はちょっとSNSと距離を取ったりもしました。

現実的な課題がずっとつきまとう中で、演出家は孤独だ、と何もかも諦めてしまいそうになる瞬間もたくさんありました。でも、一つのテキストに向き合い続けている仲間たちがいて、彼らの苦労を無為にしてはいけない、その思いが、僕を毎日稽古場まで連れていきました。『てつたう』チームのおかげで、演劇をやめずにいることができました。

何よりも、一緒に考えてくれる人がいるということ。それがただ一つの救いでした。

せんがわ劇場に集まった、たくさんの、演劇の未来について一緒に考えてくれる仲間たち。みなさんの存在が、また、僕を次の登山へ向かわせ、その背を押します。その手の感触が背中にあるうちは、僕は続けられます。その手に寄りかかったりしながら。コンタクトインプロとチーム『てつたう』は、寄りかかり合う、引っ張り合う、などの、「人と人が手を取り合う」ための大切なことを教えてくれました。

山登りの連続。登り切らなければ景色は見えない。見えなければ次の山は決まらない。山登りは孤独でもある。でもせんがわ劇場演劇コンクールという山登りは、孤独の反対側を見せてくれた。その「人々」という景色の中から、僕はまた、次の山を見つけてしまった。山に呼ばれている。背中を押されている。

次の山は池袋にある。僕はこの山にこもって、次の眺めを探す。

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