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思い出の初デート

その日は善く晴れていた。
仕事で拠点にしていた東京から、久しぶりに自宅に戻って来た父をドライブに誘ってみた。
特に意味はない。
ただ、行きつけの美容室でよく読んでいた雑誌の中にあった
『休日はパパとドライブデート』
『いつもと違うお店で大人のランチ』
といった見出しのような充実したリアルを、いつか体験してみたいと思っていたのだ。
開口一番「お前の運転で行くのか⁈」と
警戒感MAXで返されたので、やっぱりやめると言おうとしたら、お前の運転なら水族館までだな、普段運転してないんだから遠出はムリムリ!
そう言いながらさっさと支度を始め、およそ10分後には「何してんだ?行くぞ!」と、車の横に立たれてしまった。

こちらが言い出しっぺなので、仕方なくエンジンをスタート。言われたとおりの目的地へと車を走らせる。車内、無言。
やれ中央に寄りすぎだ、信号の反応が遅い
だの、要らぬチェックが助手席からちょいちょい飛んで来る。それはまるで自動車教習所の仮免教習中のようであった。
目的地の半分も行かないうちに、誘った事を少し後悔し始めていた。

市内にある水族館は、少し外れにある。
と言うより、自宅が市内の外れにあるので『市内中心部にある水族館』という方が正解かも知れない。
今も人気の観光スポットである。
助手席からの『教習チェック』を受けながら、ようやく駐車場に到着した頃には心身共に疲れ切っていた。
いつもなら、イルカショーやペンギンのお散歩を真っ先に見たい!と張り切るところだが、最早何でもいい心境。適当に歩いて行き着いた最初の展示が〈セイウチ舎〉だった。
オスとメスのセイウチが二頭。立派な牙がある方がオスかな?と思いつつ見ていたが、何だか様子がおかしい。
オスが威嚇するように吼え、強めに体当たりをしたりする等、メスの方がちょっと引いているというか明らかに嫌がっている。
何だろう、仲悪いのかしら?と思いつつ見ていると、その執拗な絡みを避けるようにメスがプールに逃げ出した。
すかさず追いかけるオス。
次の瞬間、我々の眼前にオスの【秘所】が!!!
思わず視線を逸らした先に『…発情期なので、柵から少しはなれて見てね!』の看板があった。
あ、そうでしたか。成程…。
少し後から来ていたお隣の若い親子連れは、ソレを見て大騒ぎする子どもの手を引き、そそくさと立ち去っていった。
父の方を見ると無表情で固まっていた。
「…次、行くか。」「…うん。」
二人とも言葉少なにその場を後にした。

その後何を見たのか、最初の衝撃が強すぎて全く覚えていない。
気付けば園内の食堂で『焼魚定食』を二人してつついていた。
水族館に来て『焼魚定食』というのもちょっとなぁ…とメニューの選択ミスを悔やむと同時に、今回の計画も同じように思っていた。
せっかく誘ったのに、会話も続かないし余り楽しく無さそうな父。自分もそんなにおしゃべりなタイプではないけれど…。
『お父さん、本当は乗り気じゃなかったのかな?つまんないって思ってるのかな?』
やっぱり、その場の思いつきで決めたのがいけなかったのだろうか?と、モヤモヤした気持ちを抱えながら帰路に着いた。

数年後。自分も結婚し実家を離れ、久しぶりに親戚一同で集まる機会があった。
和やかな酒宴の席で、いきなり父がその時の話をし出したのだ!
こちらはすっかり忘れていたのに、お洒落な要素ゼロの弥次喜多珍道中(?)だった初デート。
あの時の様子を楽しそうに、嬉しそうに話す父の赤らんだ顔を見ながら、当時のモヤモヤした感情が溶けて流れていくような気がした。
『なんだ、本当は楽しいって思ってたんじゃん!』それならもっと楽しそうにすればいいのに。素直じゃないなー、と思いつつ、そのうち余裕が出来たら、足腰立たなくなる前にもう一度旅行にでも誘ってみようか?
父の笑顔で上書きされた思い出に、嬉しさで満たされた心の中で、そう思っていた。

結局、二回目のデートは実現しなかった。
8年前の夏、激痩せした父を心配して、母が付き添って病院に行った。
下された診断は末期の『膵臓がん』。
診断後、2か月であっという間に逝ってしまった。
75歳だった。

たった一度きりの、父と娘の初デート。
あの日の父と同じくらいの年齢になった。
今でもハンドルを握る度に父の声が蘇る。
『お前、無意識にハンドルを小刻みに動かしているだろう?ちゃんと分かるんだからな!』直した方がいいと言われた癖は、今だに健在である。

若き日に『黒歴史』にしていた思い出は、今私の胸の奥底で、宝石のような光を放ちながらそこに在るのだった。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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