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#2 『発信する勇気』末吉宏臣 著を最後まで読んで。

まず初めに、私にフォロー&スキボタンを押してくださった方々、ありがとうございます!!こんな私の文章でも、ボタンを押してくださる人がいることに、ビックリですし、恥ずかしさもあり、何よりとても嬉しいです!!

前回、この本の途中まで読んで公開しましたが、発信して良かったと、今、感じております。
今回、最後まで読みましたが、この本を書かれている末吉さん自身も、葛藤があったと書かれていました。私だけではないという気持ちになりました。

私は、今も心の病気を抱えております。発病してから約27年になります。
病名は、統合失調症。症状のひどい時には、幻聴がありました。
私は、周りの人達と違うと、ネガティブな気持ちを引きずっていた時もありました。
今は、薬で症状は抑えられており、障害者枠ですが、フルタイムで働いております。

幼少の頃、私は自分のことがキラいでした。それに、父親の躾という名の暴力がキラいでした。同級生のいじめもイヤでした。力を力で制することがキラいで、言葉で何か言おうとするのだけれど、うまく言葉で表現できず、いつも泣いていました。
中学2年生の頃、台所にある包丁を持ち出して、自分のお腹に包丁を当てて、自殺しようとしましたが、自殺する勇気もありませでした。
でも、その時思ったのです。死のうと思うくらいの気持ちがあるのなら、何か人のためにできないか?って。

それから、色々考えていましたが、行動に移すことは厳しかったです。
そんな時、テレビでホテルの様子が描かれたドラマがあり、私は直感的にこれだ!って思いました。高校を卒業してすぐ、夜間のホテルの専門学校に通い、昼間は、ホテルで客室のバイトをしました。専門学校を卒業して無事、希望したホテルに就職!充実した日々を過ごしていました。ホテルでの仕事はとても楽しかった。宿泊のフロントに配属になって、失敗も多々あったけど、母親もよく言うけど、輝いていました。
でも、夜勤のある仕事で、私には合わず、不眠症になりました。そもそも、これが始まりだった。それから、詳しくは覚えていませんが、おかしくなったようで、親の知り合いに精神科の看護婦をしていた人がいて、その人の紹介で、心療内科に連れて行かれました。
心の病気を診断され・・・結局、ホテルを辞めました。

昔は、今ほど認知されていなかったので、病気を隠しながら、仕事しました。でも、続きませんでした。2〜3年くらいで転職しては辞めてを繰り返し、結局7回転職しました。歳もとってきて、転職するのも厳しくなってきて、介護職に就いた時、最後の転職だと感じたのを覚えています。
有料老人ホームで、また夜勤のある仕事。続きませんでした。
そんな時、障害者であることをオープンにして働ける制度を知り、まずは、就職のお手伝いをしてくれるウェルビーっていう会社に電話しました。そこの会社の伝手で、スタートラインという会社を知りました。スタートラインは、働いている会社と、障害者本人との間に入って、色々ケアをしてくれる会社です。障害者の“会社には言いづらい本音“を、スタートラインのスタッフが聞き取り、それを働いている会社に伝えてくれたり、病気のことを詳しく知らない会社には、この病気の人は、こうゆう症状が出やすいとか、アドバイスしてくれたりします。

オープン雇用で働くことになってから8年経ちますが、今も続いています。
ホテル勤務の5年間より長くなりました。これも、病気であることをオープンにして働いたことと、スタートラインのスタッフのお陰、働いている環境も恵まれたからと感じております。いつでも有給取れますし、その足で、病院にも行ける。いつの間にか、自分のことも、好きでいられるようになりました。

統合失調症であることを、オープンにしてから、好転し始めました。
隠し事は、やっぱり良くないですよね。ストレスの原因にもなりますし。

今の環境に感謝しつつ、今日はこの辺で失礼します⭐︎

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