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母の贈り物(ショートショート)

今日は、めいわ…いや、珍しくも元旦に産まれた夫の誕生日なので、母が贈り物をくれたそうだ。その贈り物が今目の前にあるので、「くれたそうだ」から時間が移って、今は「貰った」になっている。夫にくれたものなのだが、お茶碗なので、私のものにもなった。

それを母が夫にくれた瞬間は、自分は1人で元旦礼拝に向かっていたから、不在だった。

今朝は元旦だから母のところに行って、お屠蘇を飲んで「おめでとう」と言い(一つの盃を三人で回したことに後で気づき)、犬も雰囲気を察して正座し、おせちとお雑煮を食べて、家で煮返した黒豆のガスコンロを消したか気になったので、一旦家に帰って、で教会に向かった。

その少し後で母の家では
「贈り物(茶碗)を片手に持って犬を引くことはできませんから」
「それでは一旦置いて行って、都心に帰る前に寄ってください」
という会話が、夫と母との間で交わされたらしい。

夫は結構ー自分の気持ちを説明してくれる方なのだが、この時の「贈り物(しつこいけど茶碗)を片手に犬を引くことが出来ない」不可能性について、どう思ったのかを特に私に言うことはなかった。

しかし、自分がその贈り物を前にしている今、犬を引きながらこれを持って帰ることを母はどうして一瞬でも夫に期待したのだろうかと考えた。いやそれは自分の誤解かもしれない。そこにあるのは単に時間の問題だけなのかもしれない。つまり、「今持って帰ってくださいとは言ってませんから」と母に言わせる隙を、夫は(とゆーか、犬が)与えなかったのかもしれない。

で、その茶碗なのだが…

ドアの枠を通らない😓

以前夫がニコ(⌒_⌒)精機という所に勤めていた時、ドアを通らないステッパーがあって、そのことを詩にしたことがある。

自分は20代の時にNHKのディレクターだったボーイフレンドと第三舞台の芝居で、どんな隙間も通れる男が演じられるのを観た。

結局私達は、そんな互いの経験を併せて何とか母の贈り物をドア枠から通し、家に入れたのである。

やれやれ、と言うことで、せっかく母の贈り物だから、その中に町田の三和スーパーで買った天津甘栗を入れたら、底に落ちるまで3日かかった。と言うことは自分がそこに取りに行って天津甘栗を食べるまで(梯子を降りて行ったよ。)3日以上かかったという訳で、だからまだ、底に辿り着けずにいます><。