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センセイを捨ててみる。

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行き詰まる学校教育を変えるための、最適解。 それは、現場にいるセンセイが、センセイを捨てること。 今こそ、アンラーンする時です。 気軽に、ちょっとしたことから始めましょうか。
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#学校教育

著書紹介 #私について

こんにちは。「発信するセンセイ」です。 新潟県で教員をしています。 2022年12月に最初の本を書きました。 この本について、富山県で教員をなさっている能澤さんという方がレビューを書いてくださり、FBに投稿してくれました。 私の考えを知ってもらう契機になれば嬉しく思います。 ぜひお読みください。 能澤先生 ここまでが能澤先生によるレビューです。 以降は、上記レビューへの質問からどんどん広がっていったお話しです。 よかったらご覧ください。 K先生 わたし K先生

あなたがつくられた時期は #センセイを捨ててみる。

10代の過ごし方は、人生を左右する。 もう少し広げると、20代までの生き方が、人生を決定づける。 どの国でも階級社会的な側面はあると思います。ただ、それが表向きに取りざたされていない日本は、諸外国に比べれば努力次第である程度のラインまで到達できる国と言えるでしょう。どの領域においても、そこで課せられた試験にパスすれば、それなりの道は開けます。 しかし、その機会が長い人生の中でバランスよく配置されているかと言えば、そうでもありません。 「親ガチャ」という言い方は好きにはな

一線を越えたい #センセイを捨ててみる。

仕事柄、「教育」に関わっているというと、 何となく立派なことを言いたくなったり、 一方で、当たり障りのない言動をしてしまいそうになりますが、 すべて「世間」に絡めとられてしまった結果です。 私たち教師が同僚の言葉を、生徒の言葉を、保護者の言葉を、学校教育に関わるニュースを耳にするとき、たくさんのフィルターを通していることに気がつきます。 歳をとればとるほど、経験を積めば積むほど、フィルターは厚くなり、数も増えていく。 でも、 自分で引いた線なら、自分で消せるはず。 そし

先生の思い込み #センセイを捨ててみる。

「自分が強くあらねばならない」 ずっとそう信じて努力してきた、耐えてきた仲間に伝えたいこと。 教師にとって、 人を育てる立場にいるあなたに対して、真っ先に伝えたいことです。 (ツヨクナリタイ) 誰もがずっと、そう思ってきました。 後進には希望を。 育てたい若手がいます。 相手には敬意を。 ほとんどの衝突を乗り越えられます。 仲間には勇気を。 誰もが、そういう人を待ち望んでいた。 そして自らも勇気を与えられる人になりたいと思っていたはず。 希望も敬意も勇気も、す

3つだけ与えてください #センセイを捨ててみる。

上記は企業における業績改善条件ですが、学校教育でも大いに当てはまる内容です。 ✔一人一人の教師に、裁量を与えてください。誰に断ることもなく、日々微調整を試行できるくらいのレベルで。 ✔学校外での学びの時間をください。「研修」扱いにしていただければ十分です。 ✔教員同士が衝突を余儀なくされるような状況を作らないでください。本質的なゴールを捉え、些事にこだわらなければそれが叶います。 つまり、教師に「一層の自由」を与えてほしいと言っているんです。学校は「業績」を出すところ

手段は合ってる。目的を忘れた。 #センセイを捨ててみる。

①私たち教師は、生徒を助けるために存在する。 ②よって、生徒と信頼関係をいかに築くかがカギになる。 ③教師と生徒との信頼関係の構築が最優先事項であり、それ以外の目的や手段は二番手以下に位置する。 ですが今は、「教師の存在意義」と「教育を成立させるための最優先事項」がおかしくなっているんです。 そういえば、 ここ何年も「生徒の助けになれた自分」を、感じていません。 生徒に学校のルールを守らせたり、 生徒の成績に見合った進学先を勧めたり、 保護者の意向を受けて生徒に働き

教育の守備範囲 #センセイを捨ててみる。

「政治家は、教育のことなどわからない。」 そんなことはない。 教育者から政治家に転身した例は少なくない。 教育の重要性を痛感し、自らの政治理念に据える政治家だっているだろう。 問題は「画一化を指向すること」だ。 ”みんな一緒”が「公平」で「平等」だと思い込んでいたり、 ”例外を許容できない”といった偏狭さが、本来の教育の行く手を阻む。 70億人、すべてが違う人間だ。 いや、100人でもいい。すべてが異なる。 「あの人」が例外なら、自動的に「あなた」も例外だ。 何より重

気づいているけど、やめられない。 #センセイを捨ててみる。

・・・はっきりとそう言われて、戸惑ったんじゃないですか? 「教師ほど、『評価』を不毛だと思っている人種はいない」と。 「評価」は、する側もされる側も楽しくありません。 「評価」は、する側とされる側の分断を生みます。 「評価」は、する側とされる側の「真の関係構築」を阻害します。 このことに気づいた人なら、「(評価者である)教師になって、次世代を育成しよう!」などと思わないはずです。 そもそも私たち教師が過去に勤めていた学校で、「客観的な評価」は存在しましたか? そんな

勇気がないのは、誰? #樹ism

小学校の先生が、 内田さんに教育現場の現状を語ったことへの返答。 内田さんは、先にこう述べている。 まとめは、こう。 そう。 勇気がないのは、私たちだった。 現役高校教師 オン&オフラインセミナー講師 協会サイト https://sensei.click/ ポッドキャスト(Spotify) https://open.spotify.com/show/2pCy8yUiGRk3jKoVJo72VF FBコミュニティ https://www.facebook.co

いじめを8割減らす方法 #センセイを捨ててみる。

「精神論」や「道徳論」ではなく、「知識」や「行動」を教える。 旧来的な価値観の中で育った私には、とても耳の痛くなる言葉ですが、反論の余地はありません。 まずは”傍観者による「いじめ告発」を「密告」とするメンタリティ”を変える必要があるでしょう。 「正しいことを正しい」と言い、「悪いことを悪い」と言う。 少なくとも学校においては、是々非々が通る環境が保証されなければならない。 社会に出れば、その「是々非々」が通らない状況が、至る所で散見されるでしょう。 ならば、身に

学校教育の転換点

但書 部分抜粋をつなげているため、 ご本人の趣旨が正しく伝わっていない可能性がありますが、 その際はお許しください。 ----------------------------- 現在の学校にない視点、 現在の学校にどうしても必要な視点とは何か? それは、「最上位概念」という考え方です。 『7つの習慣』における「最優先事項を優先する」に 近いものがあります。 「最上位概念」が腹落ちできれば、 個々の教員の指導方針や価値観の相違は、 すべて二の次になる。 すると、対

自分と子どもたちと学校教育を明日から変えたいと願う先生へ #センセイを捨ててみる。

  上記の数字は、ことあるごとに散見されるデータですが、目にするたびに「日本の学校教育のどこがうまくいっていないんだろう・・・?」と感じてしまいます。 一人の教師として、ずっとその答えを探してきましたが、この本を読んでリアリティのある答えにやっと巡り会うことができました。 能澤英樹さんの 『先生2.0 日本型「新』学校教育をつくる』 感想をひと言で表現すれば、 「現場で頑張っている教員に、自らが置かれている状況を早く知らせたい」ということ。 自分が誰のために、何をや