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「怒り」を伴う主観の強さと怖さ

作業療法士(OT)として発達障害を持つ方達を支援することが僕の職業の一つです.この仕事を選ぶきっかけになったのは,弟の存在でした.

僕の弟は自閉症です.このことだけで沢山の記事が書けてしまうので割愛しますが,愛すべき我が弟が僕の人生に多大な影響を与えていることだけは確かです.

発達障害を持つ人の「きょうだい」として講演に呼んでいただくこともあり,似たような境遇の方とシェアしたい気持ちもあるので,いずれはnoteにも書こうと思ってますが,今回は自分のことを主に.

OTを選んだきっかけ

ある時期から,「この現状をなんとかしなくては」という強い衝動に駆られて発達障害に関わる仕事をしようと決めました.

大学に進学するときも,現在の指導教員を追いかけて北海道から坂の街長崎へ,端から端まで移動しました.

僕を突き動かすのは,恐らく「弟への無理解に対する怒り」です.

パニックになり泣き叫ぶ弟に対する冷たい目

同級生から飛ばされるからかいの言葉

明らかに間違った対応をされて苦しんでいる弟

何度説明してもわかってくれない大人たち

大学を選ぶとき,OTの実習中,異分野からの誘いがあったとき・・・
他の選択肢に惹かれることは何度もありましたが,いつもこの悔しさが,怒りが,僕の中に浮かび上がってきていました.

自然と,「もっと弟が生きやすい世の中を作りたい」と考えるようになりました.

このような体験が「僕のような立場の人間が支援や研究をすることにはきっと意味があるはずだ」というある種の使命感のようなものに繋がって,OTの資格を取ることを決めたのだと思います.

主観的になりすぎる怖さ

そんなわけで,きょうだいというある種の当事者的な立場から,作業療法士という「支援する側」に回ることになりました(実際は一方通行ではなく相互的なのですが).

「弟の障害をきっかけに支援者や研究者になる」というのは,社会的に認められやすいというか,正直周囲からも立派だと褒められやすい動機だと思います.そうした自分にとってのわかりやすいレールが見えたことが動機付けになったことは否定できません.

しかし,僕にとってこの領域に進むことは単純な決断ではありませんでした.

上に書いたような悔しさや強い怒りによってモチベーションを高く持ち続けられること自体は悪いことではありません.

しかし,僕は弟への思い入れが強いあまり,
きょうだいとして自閉症のことを「わかっている」
という傲慢な気持ちになるのではないか,と不安でいっぱいでした.

仕事で関わる人に対して,OTというプロとしての気持ちではなく,家族としての主観的な感情が入り込みすぎないか心配だったのです.

強い怒りを持って突き進めば力は出る反面,盲目的になってしまうリスクを孕んでいます.きょうだいとしてのバイアスを持つ自分が,支援する側に回って良いのだろうか.あらゆる局面で自分に問うことになりました.

社会というのは,様々な境遇を持った個人同士が関わり合うものです.例えば同じ「自閉症」という障害が共通としているとしても,それぞれは全く違う「人」なのです.

しかし,僕のように当事者的意識と怒りを持ち合わせていた場合には自分の経験を一般化しすぎるリスクがあるのだと思います.自分の理解が偏っている可能性をふまえて,職業人として考える瞬間が必要なのだと思います.

さらに,先ほど書いた使命感は勝手に僕が感じているだけのものです.誰かが僕に強要したものではありません.

それなのに,「この道を選んだ以上,他の選択はできない」というプレッシャーを自分に強くかけていたようにも思います.

僕は自分の意思が無い限り物事をうまく進めることができません.性分です.仮に自由意志でなく支援や研究に携わっていると感じてしまうと,動けなくなってしまうと思うのです.

そういった経緯もあって,在学中はかなりの葛藤がありました.本当にこの気持ちのまま進んで大丈夫なのだろうか,という迷いがありました.

怒りというのは,それだけでエネルギーを使い果たしかねない代物です.

僕は静かに苛立つことはあっても,直接的な怒りを他人に表現することが上手ではないし,扱いに困ることが殆どです.

だからこそ,無理解に対する怒りをどう捉えていいのか長年悩んでいたのかもしれません.怒りのモチベーションだけで走り続けていたら,きっとどこかで疲弊して壊れてしまったのではないかと思います.

怒りの昇華と「僕自身」

現在は,もっと違うモチベーションが主な原動力になっているように感じます.
人間の知覚と行動に対する強い興味,関わりの中で生まれる変化そのものへの喜び・・・これらは弟とは直接的には関係なく,僕個人が持ち合わせているキャラクターによる動機付けです.

いい意味で当事者的な気持ちから距離を取れるようになったおかげで,「きょうだい」だけではなく,「僕自身」として発達障害のことを捉えられるようになってきたのだと思います.

OTとして関わる仕事は純粋に楽しいです.怒りというネガティブな感情を,少しはポジティブな感情に昇華させられたのかな,と思っています.

それでも,無理解に対する怒りの感情が消えたわけではありません.
うまくいかない自分に対しても含めて発動するので,悔しい思いも多いです.

怒りや悔しさといった複雑な感情を上手に消化しながら,ポジティブな行動に変えていけたらいいなーと感じたこの頃でした.

今後の研究活動と美味しいご飯に使わせていただきます!