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春華モモ 本の虫になる#3 歌人ならではの言葉選びが美しい『とりつくしま』

「死んでしまったあと、モノになって大切な人の近くにいられるしたら……。あなたは何になりますか?」


『とりつくしま』(東 直子/ちくま文庫)


この数年、わたしの周りのさまざまな人たちがたくさん亡くなっていった。どの人が、誰が亡くなっても淋しく辛い。この世はすべてが限りあるものだと、これでもかというほど何度も突き付けられているようだ。

特に、可愛くて可愛くて目に入れても痛くないくらいかわいいと可愛がっていた、シーズーの花子が今年の初めにいなくなってしまったことは、大きな打撃だった。例えようのない悲しみに深くはまってしまった。
このお盆に花子が帰ってきている、と思うと何となく少しは明るい気持ちになっていた。けれどそれも今日には、送り火の船に乗り、向こうへ帰ってしまう。花ちゃん、またいつでも帰っておいで。


そんなわたしに静かに優しく寄り添ってくれて、前に進むきっかけを授けてくれて、救ってくれたのが『とりつくしま』。十一の短篇は、どれも目の奥の奥の方から滲み出るように涙を誘う。

花子ももうすぐ帰ってくるかな、と思いながら読んでいると、塞がっていた心が晴れていくようだった。


「死んだ人に、『とりつくしま係』が問いかける。この世に未練はありませんか。あるなら、なにかモノになって戻ることができますよ、と」

『とりつくしま』表紙カバーより


身の回りあれもこれもどれもを丁寧に扱わなくちゃ、と思う。亡くなった人たちが、わたしの身の回りのどれかにとりついているかもしれないから。
花子は、どこかに(どれかに)とりついてくれているのだろうか。そうだったらうれしい。だとしたら、何にとりついてくれているのだろうか。周りをキョロキョロと見回す。

東 直子さんの言葉選びは、いつも美しいなと思う。
歌人ならではなのかな、と思う。

 私は、この本の中で、いくつもの「もしも~だったら」を考えました。そして、一人ひとりをつき動かしているものとはなんだろう、その人を、その人としてならしめているものはなんだろう、と考えました。
 そんな「もしも」の世界を味わっていただければ幸いです。

『とりつくしま』(「あとがき」より)

 ほとんどの話を、ラストシーンの一言を思いついてから書き始めました。最後の言葉は、書く、というより最初に自分の胸に、響いた、のです。そこにたどり着くまでの死者の言葉を、死者になりかわってすべて一人称で紡ぎました。(中略)
 どこかで、誰かが誰かのために祈っているように、どこかでこの本が、誰かの祈りにふれることがあれば、たいへん幸いに思います。

『とりつくしま』(「文庫版あとがき」より)


十一話の「もしもの世界」の最後の場面は、どれも切なさと温かさが美しい言葉から滲み出ていた。そして、それを掬った両手には優しさが残っていた。周りの人びとに幸多からんことを、そして自分にも幸あれと。


■『とりつくしま』(東 直子 / ちくま文庫)
2011年5月10日 初版
「WEBちくま」の連載10話に「番外篇」として書下ろし1話を加えて2007年5月に単行本化。筑摩書房より刊行された。


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