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読書記録16📚「人魚の眠る家」東野圭吾

<あらすじ>
「娘の小学校受験が終わったら離婚する」。そう約束していた播磨和昌と薫子に突然の悲報が届く。娘がプールで溺れた―。病院で彼等を待っていたのは、“おそらく脳死”という残酷な現実。一旦は受け入れた二人だったが、娘との別れの直前に翻意。医師も驚く方法で娘との生活を続けることを決意する。狂気とも言える薫子の愛に周囲は翻弄されていく。


<レビュー>
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

脳死した娘を最新技術を使って、意識のないまま操り人形のように体を動かす等して、自己満に陥っている母親と周囲の人々の苦悩の物語。母親は周りからは狂っていると思われるけど、しっかりとした信念を持っていることが伝わってくる、脳死について深く考えさせられる作品。

映像も音もなし、文章の羅列のみで、ここまでドラマチックで入り込める物語を作り出す作家さん、本当に尊敬します。脳死を切り口にここまで壮大なストーリーを紡ぎ出せる点には圧倒されました。


印象に残った言葉。
『論理的に正しい行為にも関わらず、人間は論理だけでは生きていけない、人の生き方は論理的でなくともいい』



論理だけではなく自分の気持ちに正直であることが大切。でも正直になりすぎると論理から外れ過ぎてしまったり、自己中心的な意見になり過ぎて批判を買うこともある。そうなればどれだけ論理的で正しい発言をしたとしても、全ての発言に疑念を抱かれ、納得されなくなる。 



もっと噛み砕いて言えばこう言うこと。正直に自分の気持ちを言い出すことができなくて後悔することもあるし、正直に言い過ぎて信用を失ってしまったかなと後悔することもある。逆の立場も同義で、一度見損なってしまった人からはどれだけ論理的で正しい発言をされたとしても受け入れ難い。


読んでる途中に響いた文から抱いた感情を言語化してみる。心打たれる文章に出会って、その文章を私の普段の生活に重ねてみて、どう活かせるだろう、今後の人生にどう影響を与えられるだろう、と考えることが多くて、でも読み終わる頃にはすっかりその一瞬のひらめきとも言える感情は忘れていることが多い。だからちょっと面倒だけど、いちいち言語化してメモを残す作業を習慣化できているのは、とても意義のあることだなと最近感じてる。


心に留めておきたいな、という文章から受け取ったインスピレーションを言語化する過程で常に思うことは語彙力のなさ。色んな言葉を知ってはいるけど、それをものにしてスムーズに言語化出来る人は素晴らしい。本を読んでいても意味はもちろんわかるんだけど、自分で話している時には咄嗟にこんな表現はできないなと思う文章に出会うたびに感心しちゃう。作家でなくとも語彙力に富んだ人は、語彙力が乏しい人より考えをより正確に表現できたり、言葉を巧みに用いて相手を傷つけずに自分の意見を伝えることができる。



私は思ったことをはっきり言うよねと言われることが多くて、それは私の良い部分でもあり悪い部分だとは思っているけれど、本当はもっとオブラートに包みながら意見を言えたらどれだけいいかと思う。はっきり言うのは語彙力が乏しいだけなんだよな…。思ったことをすぐ口にするから多分サバサバしてると思われがちなんだろうけど、おそらく人一倍に人が何を考えているかだったり、その人の発言の裏側を気にしてしまう性格。語彙力のなさからオブラートに包めず素直すぎる発言をしてしまって、後悔することをやめたい。





もう一つ印象に残った言葉。

『この世には意思統一をしなくていい、むしろしないほうがいい、と言うことがあると思うのです』


自分は自分、他人は他人。複雑な自分の考えを正確に分かってくれる人なんかいないし、逆に他人の価値観や行動を理解する事もできないって最近わかってきました。で、それをどうにかしようと努力するのではなくて諦めるのが他人のためにも自分のためにもなるな、というようなことを最近考えている私が改めて納得した主人公、薫子の言葉です。私の普段の生活と、脳死を死と受け止めるか否かと言った話では次元が違いすぎますが。




今回はお酒も入ってたので、気づけばツラツラとまとまりのない文を書き綴ってしまいました。この辺で終わろうと思います。

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