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12月1日金曜日

 今日は有給を取ってメンタルクリニックを受診した。前回行った(そして医者の心無い発言に大いに傷つきボロボロになって泣きながら帰った)メンタルクリニックだけど今回は違う先生に聞いてもらった。
 前回の受診でADHD診断が出ていたし、精神障害者手帳(正しくは精神障害者保健福祉手帳)2級は取れる程度の深刻さであるという話も聞いていたけど、前回の医者の「まともじゃないからまともな人たちの中で暮らしていくために薬を飲んで適応するしかない」的な言い方にどうしても反発心があって違う先生にも話を聞いてもらいたいと思った。正直、「え、そんなに? そんなに私っておかしかったの? 学生時代には自分に発達障害があるなんて思いもしなかったのに? てかわりと成績も良かったよ? 障害者手帳? 私が?」と思った。まぁ、誰でもそうだと思うけど、自分に障害があるなんて思いたくないよね。皆自分はまともだと思いたいもんだ。
 でも同時にもう診断は下されたのだし、自分でも調べ尽くした結果確信があるのだからADHDということは受け入れて、その上でどういうキャリア選択をしていけばいいのか、そのために今何をすべきか考えるべきとも思っていて、薬を飲みたくないと思っている以上、もう医療機関を受診しても無駄だろうとも思っていた。
 いや、率直に言えば、一回目の受診で医者に言われたことがかなりショックで、また病院に行って無配慮な発言に傷つきたくなかったというのが大きい。これ以上「まともじゃない」を思い知りたくなかったし、劣等感を植え付けられるのが怖かった。てか今書いていてもつくづく思うけど、不安を抱えてそれでも勇気を出して受診する初診の患者にここまでのトラウマを植え付ける精神科医って何? 自分はどこか人とは違うのかもしれないとかおかしいのかもしれないと思うまでにもう充分傷ついてるんだからさらにその劣等感に判を押して追いつめるような発言しなくてよくない? 脳の特性のせいってことぐらい説明しろよ? 障害者総合相談支援センターの職員さんなんて親身に話を聞いて懇切丁寧に手続きの説明をしてくれ、さらに「今までよく頑張ったね」という救いの一言までかけてくれたそうじゃないか。(私は行ったことないから知らないけど障害者手帳発行と障害者年金の手続した統合失調症の友達が言ってた。その話聞いただけで私は泣いた。まさに福祉の心って感じじゃないか。)悩んだり思いつめたりして専門家に助けを求めて病院に行くのに、話も聞かずに突き放すような言われ方したらもう辛すぎるでしょ。寄り添えよ、もうちょっと。名前は出さないけど被害者をこれ以上出さないためにも初診の医者の医師免許を剥奪した方がいいと思う。世のために。
 まぁそういう初診だったから医者に対しても不信感があるし当然診断に対しても不信感があって、ずっともやもやしてた。「私は本当に薬を飲まないとまともに暮らしていけないの? 今はたまたま恵まれた職場環境にいるからストレスなく問題なく暮らせているだけ? また違う環境で働いたらうまくいかなくなるの?」という不安が心に沈殿して、何かミスをするたびに、上手くいかないことがあるたびに「私がまともじゃないからでは……」「能力(脳力と言った方が正しいか)の限界なのかも……」と思うようになり、さらに本当に良くないことに、発達障害という診断を得たことによって自分で自分の枠を狭める思考が頭をもたげるようになっていた。例えば留学でも資格試験でもプログラミングでも店を始めるでも何でもいいけど、新しい何かに挑戦しようという時、何か目標を定めたとき、今までの私だったら努力すれば何でも出来ると思っていたのに、私はADHDだから難しいかもと最初から及び腰になってしまうようになった。
 今までは夢を持つことに躊躇いなんて無かった。海外にだって行けるし新しいことだってどんどん吸収していけるしまた大学にも行けるかもしれないと本気でそう思っていた。どこまでも未来に希望があった。中学の頃からずっと座右の銘にしている「精神一到何事か成らざらん」が芯にあり、つまりは自分のことを信じていた。だけど発達障害があると知って以来、これまでの数々の失態や失敗や挫折を納得すると同時に自分の限界が見え始めた。自らに対して疑いを持つようになった。「私はそもそも 精神一到 が出来ないのでは?」そんな具合に。発達障害を言い訳に使えるようになってしまったというわけだ。
 本当に良くないことに、とさっき書いたけど、これが本当に良くないことなのか言い切ることは難しい。実際発達障害のあるなしに関わらず人にはそれぞれに能力差があり、自分がどこまで行けるのか、出来ることや出来ないことの線引きは挑戦と挫折の繰り返しによってだんだんと分かっていくものだからだ。例えば子供の可能性は無限だ。何にだってなれると「思える」。サッカー選手にだってなれるかもしれないし漫画家にもなれるかもしれない。それはまだ子供が何にも挑戦していないということであり、逆を言えば何者でもないということだ。大人になるにしたがって人は望もうが望むまいが挑戦と挫折を繰り返して何者かになっていく。自分のことを知っていく。自分の限界を自覚し出す。自分には無理だという諦めが芽生えるのは大人になったからとも言える。それは誰しもが経験する普通のことなのかもしれない。そうやって人は身の丈に合った幸せを望み身の丈に合った暮らしに妥協するのかもしれない。
 だけど私の場合はそれじゃあ良くない。断じて良くない。だから本当に良くないことに、と書いた。もし自分の身の丈に合った幸せしか望めなくなったら私の人生には希望がない。「自分は脳に障害があって正常な人と比べてワーキングメモリの容量もドーパミンやセロトニンの分泌量も少ないから二つ以上の作業を同時に出来ないしやる気や集中力にムラがあるし、前帯状回が活動し過ぎるから突飛な行動をして周りを困惑させるし空気が読めないし、左の側頭葉に問題があるから記憶力が悪い。それに深部辺縁系や皮質全体の活動過多のために情緒が乱れやすくストレス耐性が弱い。だから私には難しい仕事や責任のある仕事は出来ないし、夢だって叶えられないし、誰かを幸せにすることも出来ない。だったら多くを望まず出来ることだけをやってずっとひとりぼっちでもそれに満足して生きていこうっと。」なんて全然思えない。私のなりたい自分はもっと広くて大きくて高いところにいる。誰かに手だって差し伸べられる。
 だから発達障害をきちんと見定めなければ、と思った。努力がどこまで人生の助けになりうるのか、私の脳の個性はどのような形をして、どのように私をおしこめているのか、私の心の弱さと能力の限界の境目を知りたいと思った。発達障害に関わらず自分の苦手と適性を理解して生きやすいような選択をすることは幸せな人生を歩むために必要なことだけど、私は発達障害を言い訳にして自分を狭い枠に閉じ込めて楽をしてしまうことが恐ろしかった。唯一の救いは、自分の限界を人はいつ知るのか誰にもはっきりと答えられないということだ。
 そんな不安を友達に言ったら、それならもう一度医者に診てもらうべきだと言われた。私もそう思った。このまま可能性の中に言い訳を見つけて自分を見損なっていくようでは過去の私が浮かばれない。だって発達障害なんて知らなかった私はいつも「精神一到何事か成らざらん」の気持ちで生きていた。
 およそ10カ月ぶりにまた同じ病院を訪れた。それが今日。あの日から私は何も変わっていない。いや、身の丈を知ったという意味では変わったかもしれない。予約の電話をしてから3カ月待つことになったけど、先輩がおすすめしてくれた先生に診てもらうことが出来た。先生は私の話をちゃんと聞いてくれたし、質問に丁寧に答えてくれた。
「学生時代は疑いもしなかったが社会人になって自分は普通ではないのではないかと思うようになった」
と話したら前回は
「学生時代はクリアしたってわけね」
みたいな物言いをされただけだったけど(この言い方にも私は面食らった。だって「まがいものが混じっていたけど幸運にもなんとかばれずにすんだ」みたいな言い方だった。)今回の先生は
「幼少期や学生時代地頭の良さや努力によって障害が目立たないということはよくあるケースです」
と言ってくれた。もちろん、悪い気はしない。頑張りを認められたような気がしたから。話をしてすぐにこの先生は信頼が出来る人だと思った。もちろん事前に信頼している先輩の証言によって良い先生だということを聞いていたからというのもあるだろうし、私自身既に自分に発達障害があるということを完全に認めていたので話がすんなりと入ってきたのもあると思うけど。
先生はまず私に聞いた。
「あなたは何を求めて今日ここに来たんですか?」
私はきちんと質問の答えになるように文章を考えて答える。
「私が今抱えている課題や不安について専門家に助けを求めたいという気持ちで来ました。自分がどのくらい普通と違うのか、それに対してどんな工夫をしたら暮らしやすくなるのか、何が出来るのかを知りたくて来ました」
「分かりました。それでは聞きますがあなたは前回診断されたADHDについてどのような理解をしていますか?」
先生はさらに質問を重ねる。私は大学の頃働いていた児童心理治療施設の職員さんが話していたことや本で読んだことなんかを思い出しながら身振り手振りも交えて
「えっと、ADHDは日本語で注意欠損多動性障害ですが、おっとりしているだけの人もいればいつでもそわそわして落ち着きの無い人もいて、不注意、多動性、衝動性などは個人差が大きく、さらにADHDだけでなくASDも重なっていることもあって、そのグループの重なりのどの部分に自分がいるのかを把握することが大事なのかなと思います」
というようなことを答えた。実際、ADHDの症状は不注意や多動性衝動性だけでなく、時間間隔がずれていたり人との距離感が掴めなかったり様々な事柄が当てはまる。そしてASD傾向があったりLDを併発していたりするので(全ては脳の異常によるものでこっちが勝手に症状別にくくりを変えているだけなので当たり前だけど)ひとくくりに言えないし、ひとつの特徴を取ってその人が何であるかは決められない。発達障害者が10人いれば10通りのタイプがあるというわけ。発達障害はオンリーワンの個性と言う他ない。私の拙い説明を聞いて先生は
「非常に深い理解に至っているようですね。仰る通り、だからスペクトラムという言い方をします。虹は端から端まで色んな色がありますよね。それで、前回記入していただいたチェックリスト(DSMという診断基準としてもっとも広く使われているテスト。少し前まではネットで公開されていたけど最近はネットでは出来なくなったらしい)を見るとADHDであることは間違いなく、さらに交通事故の件数から言っても前回の医師が言ったように深刻だという判断が出来ます。この他に何かありますか?」
とさらに質問した。
「好きなことや興味のあるものに対しては時間を忘れて集中し続けられるのに対して、興味の無いことには全く集中できません」
正直宿題をやってこない小学生の言い訳みたいで言うかどうか迷ったけど、でもやりたくないことをとことんしない(それで困ることになると分かっていても本当に全くやろうという気持ちにならないし、やろうと取り組んでみても全然集中できない)から、普通の人だったらここまでじゃないだろうと思って言ってみた。
「いわゆる過集中というやつですね。どうもASDの傾向もあるみたいです。ちなみに過集中が働くような好きなことというのはどんなことでしょう?」
「えっと、本を読んだり文章を書いたりすることです。あとは機械いじりとか」
「なるほど。それで今抱えている課題や不安というのはどんなことですか?」
話している間先生はちょっとこっちが気後れするくらい私の目だけをじっと見つめていた。私はこの時点でもう既に先生を信頼出来ていたので素直な気持ちを話すことが出来た。
「今は職場の労働環境や人間関係に恵まれているので何のストレスもなく働けているし、気持ちや生活リズムも安定して健康に過ごせていますが、今の職場は非正規なので期限付きなんですよね。だから期限内に何かしらの正規にならねばいけないんですが、長時間労働が蔓延している中で正社員としてやっていける自信もないし、そもそも何かしらの正規になれるのか不安です」
あー、言った。言っちゃった。ってかんじだった。でも本心だった。前の会社は長時間労働と長距離運転に身体が耐えかねて入院までしたし、上司との人間関係も良くなかったし、業務をうまくこなせなかった。私の脳はただでさえドーパミンやセロトニンの分泌が他の人と比べて少ないのに、栄養バランスが崩れた食事が続いたり睡眠不足が続いたりするとパフォーマンスにダイレクトに支障が出る。実際、まだ発達障害が子供だけの病気だと思われていた頃のアメリカでは発達障害児に対する治療、親へのアドバイスは食事療法が有効だとされていた。これは確かに正しくて、普通の人でもビタミンやミネラル、必須アミノ酸が不足すると集中できなかったり記憶力が低下したりするけど、発達障害の人の脳は特にその弊害が顕著に出る。睡眠不足と栄養不足は発達障害の天敵であり、この二つを確保できないとまさにポンコツになってしまう。まさに交通事故を頻繁に繰り返し、判断力と思考力を失い無駄な移動に時間を取られて自分で自分の首を絞めていた繁忙期の私みたいに。
 そう、私は正社員として働けるのか不安だった。だって少し周りを見渡したら分かる。残業がない仕事なんて稀だってことに。ここが日本じゃなければ、例えばカナダとかオランダだったら話は別だけど、ここは日本だ。12時間くらい働くのが普通、それ以上になればブラックかな、(それでも残業代がつけばまだいい方)というのが現状ではないか? もちろんそんな職場ばかりではない。ホワイト企業は沢山存在するが、今現在ホワイト企業に非正規で勤めている私には分かる。まともな職場にはまともな人しかいない。まともな人とは、全てが平均値らしい人という意味だ。まともな職場の人事はやはりまともだ。正しい人選をしている。「うーん、別の国みたいだなー……(私みたいな凸凹人間が入れる場所じゃないな)」という感じ。お分かりいただけるだろうか、この絶望感と将来の不安。長時間労働になると生活のバランスが崩れてまた前職の二の舞になるので定時で帰れるような仕事に就きたいがそういう現場にはお呼びでない、感!
 先生はまた私の目を見つめて話し出した。
「実は医療の力で出来ることはそんなに無いんです。出来ることといったらせいぜい認知行動療法と薬物療法を組み合わせて現在抱えている課題に対処することくらいです。薬物療法だって完璧ではない。薬を飲んだからと治るってものでもないし、効果には個人差があるし、合う合わないもあります。なので今あなたが抱えている不安に対してはアドバイスするくらいしか出来ません。今現在は何も問題なく暮らせていて、長時間労働によって問題がどんどん悪化したというのでしたら今のような環境で働ける職業選択をした方が良いと僕は思います」
「はい」
そりゃそうだ。私だって定時で帰れる仕事を得られるなら得たい。だけど問題は私がそんな良い職場に入れるか?ということだ。どうせだからぶっちゃけるけどこの日病院を受診する直前に某大学の図書館事務職員採用試験のお祈り通知を目にしていた。しかも書類選考!もう社会不適合者試験無事合格って感じじゃない?(ちなみにこの前日に友人と「実は某大学の図書館事務職員受けようと思って、今勉強中なんだよね。でも書類選考で落ちるかもだから無駄かもしんないけど」「いやいや、書類で落ちるってよっぽどでしょ~」「いやマジ発言謹んで。書類で落ちてたらどうすんの。アフターフォローまでする覚悟で言って」という会話をし、「書類選考落ちた」という報告をしてきっちりアフターケアしてもらった。ラインで落ちたと送った後の友人の返信「はわわわわわ」笑。私もはわわわわわだよ。)
 まぁでも先生の言う通りだ。結局頑張るのは自分だ。脳がおかしくて頑張れないというのなら薬を飲んで頑張れるようにするべきだ。不安は自分の頑張りでしか消すことは出来ない。
「……ただ、今僕は敢えて、「僕は思います」という言い方をしました。それは人によっては過集中が生じる分野で仕事を得て、どんなに長時間労働でも苦にならない、いつまででもやっていられる、天職だと言う人もいるからです。だから結局はあなたの選択次第です。薬を使うのも選択の一つです。医療はそこまでしか出来ません。薬は飲みたくないですか?」
この先生の良いところは私に質問を投げかけて話を聞いてくれるところだ。
「飲みたくないと思っているわけではないですが、ただ、先が不安だという問題はあるものの、今現在は職場に恵まれていてストレスもなく暮らせているので飲む必要性を感じていないんです」
あと副作用が嫌だな、というのもあったけど、それは個人差があって飲んでみないと分からない部分も大きいから黙っていた。
「なるほど。ただひとつ言っておくと、薬は、行き詰って苦しくて困った、という時に飲んでもあまり効果はありません。正しく言うと、効果を感じられません。むしろ今みたいに落ち着いて安定している状態から服用を始めたほうが違いを実感出来ると思います」
「そうなんですか」
意外だった。思わず聞き返すと「そうなんです」と先生は頷いた。
 結局、次の予約はせずに、また必要になったら予約させてもらいますと言って病院を出た。薬を始めるのもありかもしれないと思う一方で、振り出しに戻ったな、という気もしていた。やっぱり私は発達障害者。さぁ、これからどうしようと思いながら帰り道を歩いた。太陽は明るく空は晴れていて空気も乾燥しきってぱりっとしていたけど、それだけじゃなくて、なんだか晴れやかな気持ちだった。
 問題も不安も何ひとつ解決していない、むしろ確定したというのに、不思議と前向きな気持ちになっていた。多分私は聞いて欲しかったんだろうな、と思った。自分が不安に感じていること、誰にも言えないでいたことを。
 それから手帳のことを考えた。先生は精神障害者手帳2級が取れるか取れないか、と言った。あと手帳の申請もあなたの自由ですと。申請したければ診断書を書くことも出来ますと。そう言われた時、やっぱり、あの一言を思い出した。いつも心に抱えているあの一言。前に障害者年金の給付が決まった先輩に言われた「君が然るべき福祉を受けられることを応援している」という言葉。先輩は職場のストレスで鬱になって通院していたけど結局退職し、発達障害も発覚して精神障害者手帳2級を得て障害者年金の給付が決まった。良かったですねと思った。いいなーとか思ったけどそれはただ単にお金湧いてこないかなー程度の皆が言う「いいなー」であって、「私ももらいたい」と本気で思ったわけじゃなかった。だから私は考えてしまう。「私に然るべき福祉」? 私は税金を納め福祉を担う立場であり続けたいというのが本音なのだが、実態は、能力的には、そうではないのかもしれない。普通の人として暮らすこと(普通の人になることは土台無理な話なのでせめて)を諦めたくないって私は思っているけど、その答えも病院では得られなかった。ただ、私がその気になれば「然るべき福祉」を望むことが出来る、というのが分かっただけだった。でも私が欲しかった答えはそうじゃない。
 つまりはこれから自分で見つけていくしかないんだなというのが結論。自分の限界も、獲得できる幸せの大きさも、どこまで行けるのかということも。
 ただ今回大きな収穫があった。それは、弱さや不完全さを曝け出せば出すほど生きやすくなるということ。皮肉なことに、生き辛ければ生き辛いと思うほどに人の優しさは染みて、生きたいと思うし、取り繕わない、ありのままを晒せば晒すほど逆に強くなれるってこと。理屈はよく分からないけど、そう感じた。
 私は不完全で何もかもが中途半端で今の職場の人や後輩たちなんかを見てるとつくづくそりゃあ選ばれませんよねーとか思うけど、でもポンコツはポンコツなりに地道に出来ることからコツコツ頑張ろう。叶うかどうかは別として、理想を持つこと自体は罪じゃない。もしかしたら不相応な望みなのかもしれないけど、それでもやっぱり、私は諦めたくない。

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