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センチメンタルブルー

 起きると窓辺の桔梗が新しい花をつけていた。紙風船のような蕾が星型の綺麗な花弁に変わっている。かたや萎れてしまっている花もある。昨夜まで瑞々しい紫色をして先までぴんと張っていた花びらが、今朝には黄土色に丸まっている。蕾がはじけ、萎れるまでのサイクルは想像していたよりもずっと短く、一つの花が枯れる時一つの花が咲いている。夏の終わりまでこれが続くらしい。
 【キキョウ キキョウ科/原産地:日本 一代の交配種。青紫色の大輪です。矮性種で耐寒性に優れています。多年草で花壇に適しています。大切に育てれば毎年開花します。】
 茎に付けられたラベルの裏に書かれた説明の最後の一文が心に残る。
 花束をもらうことは何度もあったが虫がつくのが嫌だったし活けるのが面倒だったので職場に飾っておいたり帰省した際に母親にあげたりして自室に飾ることはなかった。まず花を飾れるような家に住んでいなかった。6畳のワンルームに、花を置ける空間的景観的余地はない。金銭的にも時間的にも精神的にも自分を育てるのに手一杯で、他を愛でる余裕などなかった。花は贈られたその瞬間に役割を終える。私にとってはバースデーカードのようなものだった。
 鉢植えをもらうのは人生で初めてのことだ。まさか根ごと花をもらうとは。命を預かる責任に戸惑う。きっと今までの私だったら受け取っていなかった。家にものを増やしたくないとか、世話が面倒だとか断る理由はいくらでもある。花は育てても食べられない。そもそもこれまでの人生で花が必要だと感じたことは無かった。
 けれど今は違う。人生のうちで食べ物よりも花が必要になることがあるとは想像もしてなかった。桔梗は、ちょうど私が求めたタイミングで私のもとへと贈られた。転職して広い部屋に引っ越して余裕も出来た。今や私に足りないものはかつて与えられていた愛情だけだ。
 たかが花だが、私には必要なものだった。私は深く傷ついていて、心に貯めていた思い出が全て涙となって身体の外に流れ出し心はついに空っぽになってしまった。心の穴からセンチメンタルブルーが見える。
 一度受け入れて部屋に置いてしまえば家族のような顔でそこにいるから、もうすでに枯らしてしまったらどうしようと心配事が増えている。厄介だが、嬉しくもある。今の自分でなければこのわずらわしさを喜べなかった。失ったことで手に入れたものもある。今まで両手が塞がっていたから受け取れなかった贈り物を今度はちゃんともらうことが出来る。
 キツネは言った。
「きみのバラが、きみにとってかけがえのないものになったのは、きみがバラのために費やした時間のためなんだ」
キツネは真理を心得ている。愛は何をしてもらったかではなく何をしたのかで作られる。喪失の痛みは自分の相手への想いの強さ大きさに比例する。結局自分を苦しめるのはいつでも自分だ。傷ついたのは私が彼女を愛していたから。粉々になった心が砂になってようやく目が覚めた。そして気づいた。私はもう他の人を愛せる。まるで長い長いトンネルを抜けたかのような清々しい気分だった。今まで見ていた景色は何だったのかと思うほど明るい場所に立っていた。長い間とうの昔に閉じられた扉を見つめ続けていたけれど、別の扉が開き、花が差し出された。今度は私が育てる番だと。

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