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コロナ禍と宇多田ヒカルの音楽

2021年にSpotifyで最も再生回数が多かったのは、宇多田ヒカルの「One Last Kiss」だった。

ロンドンがロックダウン中だったこともあり、全編リモート制作による庵野秀明監督のミュージックビデオ(メインの編集はシンエヴァ本編でも編集を務めた女性の方)もYouTubeでよく視聴した。ベッドでごろごろしているシーンは当時5歳の息子にiPhoneで撮ってもらったという。そのエピソードだけでも充分と思っていたところ、撮影された動画を見て「自分は息子と話すときにこんな優しい顔するんだって思った」と話していて、この人のこういう感性が素敵だなと思った。

YouTubeのコメント欄には「ゲンドウがユイの日常を撮ったらこんな感じの映像になるのか」などとある。断片的にしかエヴァを見てきていない私にとって、こういった熱心なファンならではの視点が羨ましい。
SpotifyのLiner Voice+によれば、この曲自体は「宇多田ヒカルが忘れられない人を思って歌っている」のに対し、ミュージックビデオでは「宇多田ヒカル=忘れられない人」になっているという演出。前半から後半にかけての歌詞の変化や象徴的なモチーフなど、これは聴けば聴くほどにどこまでもエヴァなのだろう、と感じる。
庵野監督にかんする予備知識は、NHKのドキュメンタリー番組ぐらいしかなかったのだけれど、宇多田ヒカルのインスタライブ(庵野監督ゲスト出演回)での話がとても興味深く、表現するうえで根っこのテーマとしてあるのが「喪失」だということが共通点として浮かび上がっていたのが印象的だった。話に出ていたかどうかは定かでないが、「孤独」や「再生」も並列に存在しているように思う。

■ 今ミュージックビデオに関して
今ミュージックビデオは、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』総監督の庵野秀明が監督を務めました。宇多田ヒカルサイドからのミュージックビデオ製作オファーを快諾した庵野氏は「現状可能なMVの作り方として現場ディレクション無しで本人の自撮り等による撮影素材を送ってもらって、それを切り取り繋げて作品に仕上げる」という方法を提案。庵野氏からカメラ目線やリップシンク等メールによる最小限の注文を受け、宇多田ヒカルは細心のコロナ感染対策を取りながら数名のスタッフとともにロンドン郊外で撮影を敢行。スマートフォンも含む様々な機材で撮られた映像素材を受け取った庵野監督らが日本で編集を行いました。まるでプライベートな過去の大切な記憶を辿るような、切ない感情が湧き上がる作品が完成しましたので、是非お楽しみください。

宇多田ヒカル『One Last Kiss』 公式YouTubeより


今年2月に発売されたニューアルバム『BADモード』。Air Studiosでの配信ライブを聞き逃していたこともあり、初回限定版を購入。珍しく音楽レビューを読んでみたり、こちらも「Liner Voice+」を聴いたりしていた。
タイトル曲でもある「BADモード」はやはり良い。さらに、ルポルタージュ的に作詞された「気分じゃないの(Not In The Mood)」がものすごく良い。“クリスマスの季節になると落ち込みやすくなる” と語っていたのを聞いて、なんとなく安心した。世の中の気分と自分の気分が違っても無理に合わせなくていい。ゆえに、この2曲はPMSにも効くんじゃないかと勝手に思っている。聴くことで情緒が安定する音楽の処方箋。
Floating Points参加の12分近くもあるダンサブルな楽曲「Somewhere Near Marseilles -マルセイユ辺りー」。これはでかい音でも聞いてみたい、なんて思いながら単純に音の気持ち良さだけで聴いていたのだが、つやちゃん氏によるTOKIONのコラムを読んだら新しい解釈が詰まっていて聴き方の幅が広がった。「Marseilles」の「se」の響きーーーエロティックな摩擦音について。「オーシャンビューの部屋」を予約することは、願いであり祈り。

あらゆるところで展開されている“BADモード評”。先日はSNSで「TBSラジオのアフタージャンクション “リズムから考える宇多田ヒカル」imdkm氏解説” が面白い」と書いている方がいたので早速聴く(ライムスター宇多丸氏の名前の由来ってそこからきてたのか、などと冒頭で思いながら)。生演奏にフィーチャーしたアルバム「Fantôme」「初恋」に対し、今回の「BADモード」はエレクトロニックなトラックの比重が大きい。打ち込み色が強いのはコロナ禍における制作体制にも関係しているとの見方。譜割については「PINK BLOOD」、リズムの取り方の話は「TIME」、ビートについては「誰にも言わない」を取り上げながら解説。近作については特に、歌詞の中の「日本語の美しさ」に着目したレビューや考察が多い印象だったので、リズムの面から語られているのが新鮮だった。
そしてやはり宇多田ヒカルとは、日本におけるメインストリームでの存在感を確立しながらも、アバンギャルドなことをやっているアーティストであるとの結論で一致。楽曲の気持ち良さの理由をロジカルに掘り下げつつ、さらにそこへ学理的なアプローチが加わるとしたら、音楽を作るって凄いことだ。

歌詞について「固有名詞を入れるのが好き」と本人が語っているように、同時代を生きる私たちには、それがあることによって生まれる感情や蘇る記憶が必ずあると思う。
宇多田ヒカル自身は、2021年にノンバイナリーを公言してはいるものの、私の立場から勝手に述べるとしたら、やはり女性の立場から見ている世界への共感が半端ではない。が、ジェンダーにまつわる表現の「彼氏/彼女」「女/男」といった立場を取り払った後であらためて歌詞に目を通してみると、「わたし」と「あなた」という表現によって、その関係性はどんなふうにでも捉えられる。

* * *

1月の先行配信が開始された時点で「これは!」となり、そこから個人的なヒッキーブーム(定期的にやってくる)に発展。まずはディスコグラフィを行ったり来たりしながら個人的なプレイリストを作成。
1曲目は88risingの新作EPから。先日のコーチェラ出演はこのレーベルのステージでのパフォーマンスで、「First Love」や「Automatic」は意外だったけど胸熱な展開。続いて「BADモード」と「Fantôme」楽曲多め、サントリー天然水からのエヴァはじまりとおわり、後半はごちゃ混ぜでUtada名義の曲なんかも入りつつ(Simple And Cleanとかも入れたかった)、ラストは板橋のダメ兄貴ことP氏。全部で2時間37分あります。長っ!

1.T(88rising)/2.BADモード/3.ともだち with 小袋成彬/4.PINK BLOOD/5.気分じゃないの(Not In The Mood)/6.誰にも言わない/7.道/8.忘却 featuring KOHH/9.Sanctuary(Opening)/10.桜流し/11. Fly Me To The Moon/12.One Last Kiss/13.初恋/14.Letters/15.Be My Last/16.Too Proud/17.Kiss & Cry/18.虹色バス/19.Time/20.Beautiful World - Da Capo Version/21.Somewhere Near Marseilles -マルセイユ辺りー/22.Hotel Lobby/23.traveling/24.日曜の朝/25. 光/26.誰かの願いが叶うころ/27.HEART STATION/28.time will tell/29.DISTANCE/30.Goodbye Happiness/31.光 Ray Of Hope MIX(REMIXED BY PUNPEE)


【参考記事】
◼︎宇多田ヒカル『BADモード』が提示した「新しい時代の新しい贅沢」(TOKION)

◼︎特集「宇多田ヒカルのニューアルバム『BADモード』を“リズム”の面から掘り下げる」ライター・批評家/imdkm(TBSラジオ アフター6ジャンクション)←こちらはマツーラユタカさんのSNS投稿で知りました!

◼︎宇多田ヒカル、新アルバムで綴るコロナ禍のプライベート「今まで見せていないアングルからの私」(Kompass by Spotify&CINRA)



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