406.未完の傑作より完成の駄作
文章を紡ぐすべての物書きの皆様へ。
そして、無数の人生の選択肢に溺れているすべての人へ。
中学二年生の頃から文章を書き始めました。
当時はケータイ小説というプラットフォームで、今となっては目も当てられないほどの稚拙な文章で物語を綴っていました。
その頃は、毎日500文字以上書いていたのを記憶しています。
電車通学の片道1時間、当時のスキル的に小説の500文字執筆がちょうどいい長さの時間だったのです。
そして中学三年生の頃、初めての長編小説を完結させました。
完結すると感想がもらえて、物語を書くというのは面白いなと本格的に思ったのはその時からです。
その後も高校二年生の頃に一つ、高校三年生の頃に二つ、大学一回生、二回生、四回生と、ほぼ一年おきに文庫本一冊に値するほどの長さの小説を書いてきました。
その間にも短編はいくつか書いてみましたが、個人的には長編小説が好きで。
いずれにせよ、ずっと大事にしてきた言葉があります。
”未完の傑作より完成の駄作”
今でもたくさんの文章を書いていますが、すべてにおいて物書きとして大切にしているのは「完成させること」です。
これは文章を書くすべての人にとって、大切なこと。
ただそれはもしかしたら、文章を書く人だけに留まらないのかもしれません。
何事もやりきっていないのにすぐに辞める人がいます。
やり抜く力について、イチロー氏が語るインタビュー動画がこちら。
せっかく数多ある選択肢から、一度でもやるぞと心に決めたのなら、それをやり抜くぐらいはしてもいいんじゃないかなと思います。
文章を書く人も何か創作している人も、未完の傑作は世に出ませんから、それはクリエイターとして欠片も意味がありません。
それなら山奥で一人で創作活動をしておけばいいのです。
表現は他者がいて成り立ちますので、それなら駄作でも完成をさせて、改善をしていく方が、自己満足の世界で生きるクリエイター以外の人は幸せに近づくのではないかなと思っています。
表現の世界では、未完よりも完成が圧倒的に正義です。
そこに傑作も駄作も評価は一切入る余地はありません。
では一方で、例えば仕事や、趣味、副業、人生懸けた挑戦など、何かしら同じように完成まで至ることなく手離している自分はいないでしょうか。
完成の先の改善や、もう一歩の努力を惜しんでいない自分はいないでしょうか。
”未完の傑作より完成の駄作”
これはある意味創作物だけでなく、人生観としても非常に秀逸な言葉だと感じています。
僕は働き方の選択肢を増やそうと思って、日々様々な仕事や人と向き合って過ごしています。
実際に多くの人と出会い、たくさんの仕事に取り組み、数年前では想像もつかなかったような未来を描けるようになり、そしてその道中を確かに今歩んでいるという確信も得られるようになりました。
働き方の選択肢を増やすことは、より自由な生き方ができることだと信じています。
人生には数え切れないほどの選択肢があります。
それこそ、選ぶだけで人生が終わってしまうほどには膨大な数だと思います。
そんな中で大事なのは、選ぶことではなく、決めること。
「決めること」とは瞬間的なものではなく、連続的なものです。
決めてすぐ辞めた、は決めていないのです。
さて、働き方、生き方の選択肢をいくら増やしたとしてもその先には、決断が待っています。
しかし僕は選択肢を増やすことも自分で決めることもできますが、誰かを決めさせることはできません。
決断は自分自身にしかできない行為なのです。
決めたと思ったら辞めて、また選んでいる。
選んで、決めて、選んで、決めて、そんな自分を繰り返している。
決めるとは何なのか、そんな不毛な考えに頭を支配される。
一度完成まで、やりきってみませんか。
無数の人生の選択肢に溺れているすべての人へ。
完成まで続ける。
それが決めること。
未完で身を翻すことを辞めて、完成の先を歩む人生にしませんか。
そんな僕もまだ道半ば。
僕の好きな書籍の一文で、この偉そうな文章を締めようと思います。
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