461.話は「着地する」というより「収束する」
最近特にたくさんの方々とお話する機会に恵まれている。
初めましての方もいれば、その後お茶に行ったり、ご飯に行ったりする機会も増えてきた。
いろんな話を聞けることはとても面白い。
まるで一本の映画を観ているかのように、その人それぞれの現在に至るまでのドラマを聞くことができるのは、ある意味幸せな時間なのかもしれない。
そんな中、人によっていろんな形で話を終えて別れていく。
別のイベントで出会った人とは、例えばまた別のイベントに一緒に参加をすることになるとか。
仕事に通ずる本を教えてもらったりとか、教えたりとか。
共通点のある別の方を紹介してもらったり、紹介したり。
本や人、何かしらの場に互いが勧め合うような関係になることが多い。
これは非常にありがたいことだ。
有益な情報はだいたい人伝いで分かち合われていく。
誰でも見られるところにある情報は、誰でもわかる情報にしか触れることはできない。
一般向けに掲載されているイベントはどんな人がいるかわからない。
誰か少しでも仲の良い人、知り合いにつないでもらった場の方がまだ安心できる。
それは、僕自身もまた然り。
そもそもが信頼関係の下に成り立つものである。
特に人をつなぐというのは、ある種の偏見を持っている人もいるかもしれない。
怪しい人ではないか、何か押し売りされるのではないか、そういった想いがゼロではないと思うが、そんなことをしたらせっかく創ったつながりや、築いた信頼関係が破綻してしまう。
だいたい、何をやっているかではなくどんな人であるかがそのものの価値を作っているのだから、まあ人によってはとんでもない人もいるかもしれないと思うと致し方ない。
有益な情報は、人を介して伝わっていく。
求めているものを結局は互いに提案するようなコミュニケーションになることが多い。
仲良くなり、信頼に値する人物だと互いが認識すれば、相手にとって有益な情報を伝えたいという思いも出てくる。
自分の好きな映画や好きなお店を紹介するようなノリで、人や本や場などその人の役に立つような情報の提供をし合っている。
そんな場が最近より増えてきている。
着地する、ではなく、収束する。
互いに話しているうちに、一つの終着点にたどり着くように、話が終わっていく。
それは合コンかもしれないし、交流会かもしれない。
同業やコラボできそうな仕事の人かもしれないし、仲の良い友人かもしれない。
その人の人生に役に立ちそうな本かもしれない。
いずれにせよ、そういったコミュニケーションが行われる食事やお茶はとても楽しい。
楽しかった、という感情で完了するだけでなく、次の予定や、次の行動につながっているからだ。
会話は収束する。
互いに有益な情報は一つの点にたどり着く。
人生はコミュニケーション次第で大きく変わる。
そんな出会いを、今日も。