見出し画像

443.ブランディングとは記事投稿のことではない

ブランディングとは何だろうか。
どんな作業のことを、ブランディングと呼ぶのだろうか。

この一ヶ月間、ブランディングのことばかり考えている。
文字通り、目が覚めている時間のすべて頭の中でぐるぐると思考が巡っている。

ブランディングとは、記事を投稿することではない。
SNSを投稿することでもなければ、検索結果を上げることでもない。

それらはあくまでライティング、SNS運用、SEOといったスキルや知識のことを指す。

記事を一生懸命投稿することがブランディングではない。

ではブランディングとは何なのか。
ブランディングに取り組むとはどういうことなのか。

この一ヶ月の想いを吐き出そうと思う。

あなたというブランドを形成する

「brand+ing」、読んで字のごとくブランディングである。
まさに商標、ブランドの現在進行形なので、意訳ではあるがブランドを形作るというのがブランディングだ。

では形作るとは何か?

これは、僕の中で明確な言葉がある。

「自分が何者であるかを発信すること」

ただその一点である。

人の場合は、あなたが何者であるかを発信することである。
物の場合は、それが何なのかを発信することである。

しかし、ここでいう「何者」「何なのか」というのは、恐らく想像している解像度ではあまりにも粗すぎる

こんな仕事をしている人で、出身はここで、こういう想いで日々生きていて……そんなことでは「何者なのか」は届かない。

これはこういう商品で、こんなに良いところがあって、こういった人におすすめで……そんなことでは「それが何なのか」は伝わらない。

あなたは属性だけで説明できるような人間なのだろうか?
本当に届けたい「何者か」は、その属性や想いだけなのだろうか?

ブランディングは言葉通り現在進行形なので、完結することはない。

自己紹介の記事を複数のブログで書いたからブランディングは完了、ではないのだ。

形成し続ける。
こうであると発信をし続ける。
すべての発信において、一貫して伝えたい「何者か」で在り続ける。

あなたは何者だろうか?
その商品は一体何なのだろうか?

人や物を発信する際の一貫性

例えば、あなたが経営者だとする。

そうすれば発信する言葉や考え方すべてに、経営者としての観点、言葉遣い、想いが含まれているように意図する。
そしてそれを、インターネット上にまるで種蒔きするかのように散りばめる。

天下のGoogleさんに対して、私はどこを切り取っても経営者ですよと刷り込ませる。
趣味のブログを書いてたとしても、その経営者としての一面は外さない。

その繊細な感覚は、発信し続けて身につけていくものではある。


例えば、あなたが独立を目指している人だとする。

独立を目指している人が、休日に遊び惚けるような発信しかない、なんてことは有り得ない。
有り得なくはないとしても、そうだとしたら見ている人に届く「何者か」は「休日にただ遊びを楽しんでいる人」である。
まさか独立したいだなんて、というような何も伝わっていない媒体にはならないはずだ。

独立を通じて働き方や仕事観の変化を伝えたいのであればきっと、今は独立に向けて何かしら勉強をしているはずである。
必要な人脈を形成したり、会社に依存しない自分の力を付けるぞと意気込んでいるはずである。

そうした要素が、その発信している媒体から伝わってくるはずである。

そのたった一言から、短い一つの文章から、細かい表現から、何が伝わっているだろうか?
あなたは「何者」に見えているだろうか?


人の場合、発信している媒体は服のようなもの
あなたという人を表現するに相応しい服装に、そのブログやSNSはなっているだろうか。

発信の内容が、その服を着ている人間本人。

つまり前述通り、一貫性が大事である。

学生服を着た40代は、否定をするわけではないがどうしても違和感は拭えない。


物の場合も人の発信と似ている。

僕の知り合いにクラフトビールを製造し販売している方がいる。

クラフトビールの打ち出しをするにしても、単にビール好きに届けたいわけではない。
ビール好きにも届けたいが、発信の主旨はそこではない。

例えば、クラフトビールを通じて人との交流を楽しみたい人に届けたいとか、頑張った平日の仕事終わりに自分へのご褒美としてプチ贅沢したい人に届けたいとか、そういったクラフトビールの存在理由から届ける先が変わってくる。

つまり、そのクラフトビールが「何なのか」の解像度を極限までクリアにする必要があるのだ。

こういうコンセプトです。
こういったフレーバーがあります。
このような過程で製造に至りました。
こういった人に飲んでほしいと思っています。

解像度が粗すぎる。

そこにそのクラフトビールは存在しているのか?
その人は”本当に”そのクラフトビールを手にしていると、”本当に”思っているのか?

どういう人に飲んでほしいかは、どういう人がどういうシーンの時に飲んでほしいかまで落とし込む必要がある。

それでもまだ粗い。

この人がこういうシーンで飲んで、どんな感情になるのか?
どんな感情になってほしいのか?

そのシーンで巻き起こる感情までイメージする。

ペルソナを設定しているのなら、本当に生きていて、生活をしていて、仕事をしていて、嬉しいことも嫌なこともあって、そういう日常の中でその商品が入る余地がどこにあるのかまで考える。

クラフトビールに限らず、何かしらの物が届いた先で、どんな想いになってほしいのか。

エモーショナルをデザインする。

物に関してはそこまで考えて初めて、それが「何なのか」が確立される。

曖昧にまみれているのに、決めた風になってはいけない。
そもそも決めの問題ではない。

消費者がいるという以上、決めの問題ではなくて、その消費者の中にこそ答えがある。

想像で現場を創ると、大いにずれる恐れがある。

特に商品、物をブランディングするには、そういった「何なのか」に対する解像度と発信の一貫性が非常に大切なのである。

必須条件は発信元が優秀であること

そんなところまでイメージつかないよ、考えが及ばないよ、と思う人もいるかもしれない。
そりゃそうだ。諦めて愚直に学び実践を繰り返すしかない。

僕は3年間、あらゆる分野の発信を行ってきた。

人、法人、店舗、サービス、それぞれにポイントがあって、まだまだ僕自身も日々勉強中である。

たった3年間だけではあるが、割と振り切ってやることで実践の数はそこそこある方だと感じている。

それもこれからより洗練されていくと思うと、やはり正しく価値を発信するというブランディングは面白いものだと思う。

もっとも、何より発信する元の人やビジネス自体が優秀であることは必須だ。

だから僕は、ブランディングだけで生きてはいない。

相応しい自分になるべく実績を積む努力を重ね、少しでも発信するに値するビジネスになるように考え取り組んでいる。

どれだけ優れたブランディング能力があっても、何も無いものをブランド化することはできない。

事業は人。
それらのブランディング。
これからもすべてを同時に、形成し続ける。

日々精進。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?