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76.身体に染み付いている感覚を思い出す

先日、野球をやりました。
本当に久々に、グラウンドでできました。

一緒にやった仲間も、普段から一緒に仕事したり、目指したり、学んだりしている人たちで、そもそも何をやるにも誰とやるかがめちゃめちゃ大事なことを、非常に体感した時間でした。

「1番センター」というのも、懐かしい響きでした。

センターから見える景色。
一球ごとにスタートを切っては、飛んでこなくてまたポジションに戻る数歩の距離。
どちらのベンチからも微妙に遠い攻守交代時のランニング。
鳥の影をボールと間違えること。
なんだかんだ、ド集中してしまうバットにボールが当たる瞬間。

打席からの景色も、懐かしい。
内野が近く見えたら、調子がいい証拠。
内野ってこんなに深いところに守ってたっけ、と遠くに感じると、調子は絶妙なことを覚えています。
思ったより、ボールはよく見えました。
タイミングを取るリズム、軸足に乗せる感覚、全球打ちにいって見極めるときの思い。

すべてが懐かしい。

長年やってきた感覚は、数年野球やっていなくても身体に染み付いていました。

驚きました。
まだ懐かしいと思える。
勝手に身体が動く。
自動的に、たった一点に集中している。
いつの間にか、次どうするかを考えている。

継続の賜物だな、と感じました。

反応が自動化するぐらいまで、何かをやり遂げる。

今鍛えているのは価値観考え方なので、脳の反応として、こんな出来事にはこう、この言葉にはこう、という「解釈」が自動化するぐらい、継続して学んでいこう。

野球からたくさんの気付き。

またたくさんの仲間と呼べる存在の人たちと、思う存分自由にやりたいなー。


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