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290.前進には欠かせない「胆力」を鍛える

力をつけるにはトレーニングが必要です。(当たり前)
まず思い浮かぶのはジムで筋トレや川原をランニング、といったところでしょうか。

つけたい力に相応しいトレーニングをすること。

筋肉だけでなくとも、すべてにおいてそれは適用されると感じています。

求めていることに対して負荷をかけよう、と学びました。
時間が欲しければ時間をかける、お金が欲しければお金をかける、強靭なメンタルにはメンタル負荷を、筋力に対しては筋肉に負荷を、常に必要な代償です。

当たり前ですよね。
負荷をかけずに求めているものが手に入るというのは、祈っていれば幸せになれますと言っているのとなんら代わりありません。

さて、時間もお金も負荷かけてるんですよという話は都度別の記事内でしてきましたが、最近感じるのは「胆力」です。

たん‐りょく【胆力】
ものに恐れず臆しない気力。度胸。「―が据っている」「―を練る」

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「無謀」とは違う「胆力」という感覚

ドキドキハラハラすることがあります。
この日までにこれを達成する、これを必ず用意する、など必須の期限が決まっているものに対して、手が震えるような、足が震えるような、ある種のチャレンジは常に付きまといます。

現実的かという指標は大きなチャレンジにはあまり意味を為さないですが、計画的である必要はあります。
それすらないとただの無謀と同じです。

ただ何度も崖っぷちを体験していると、その状態に身体が慣れてきます。
直近でそういう経験がありました。

その状態を、僕は「胆力がついたのかなぁ」なんて分析しました。

妙に落ち着いているのです。驚きました。
焦りがなくなったわけではないですが、絶望的でもない。
どうしようもないと思っていても、それから数ヶ月なんとか生活している。

これはどういう現象なのでしょう。
無謀じゃん、と思っていたチャレンジを繰り返し、思い返してもどうやって生き延びているのかよくわからない。
そんな状態になってきていて、気づいたのは胆力。

より大きなチャレンジをする土台がやっと固まってきたのでしょうか。
そういう合図なのでしょうか。

外から見ていると意味のわからないことに取り組んでいるかもしれません。

ただ自分では、この行為にこういう意味をつけよう、と思って取り組んでいます。

野球部なのになんであんなに走るのか、野球をしていない人からはよくわからないのと同じように、やっている人自信がやっていることに意味をつけて努力しているのです。

欲しいものに、負荷をかける。
大きく返ってくるまで、継続する。
大きく返ってくるように、行動し続ける。

人生その繰り返しです。
そうしてステージを一つ、また一つと上げていくしかありません。

一歩進むだけなら勇気と気合いで行けるかもしれませんが、前進し続けるには、この「胆力」という観点を鍛えるのも、大事かもしれませんね。

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