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420.自分のすぐ足元に奇跡は散らばっている

2018年のメモを見つけました。

当時使用していたiPhoneの中に入っていたローカルデータで、必要な情報を探している最中に発見しました。

メモのタイトルは「広島転勤から学んだこと」。

激動だった2017年5月から2018年2月までの自身の出来事から感じた、かけがえのない想いがなぜかメモに残っていました。

自分の文章のくせにやたらと胸を打たれてしまったので、そのメモを読んだ今、2024年3月の自分がどう感じたかをここに書き残そうと思います。

世界は奇跡に満ち溢れている。

柄にもなく、そんなことを感じた内容でした。


当時の出来事について

僕が社会人三年目に突入したばかりの2017年5月、当時勤務していた会社の上司から辞令が出ました。

「広島営業所に行ってほしい」
「……広島、ですか?」
「来月から」
「来月って、二週間後ですか?」

こんな会話を、自由ヶ丘の居酒屋で切り出されたことを覚えています。

当時広島営業所は営業がまだ常駐しておらず、サービスエンジニアだけの場所でした。

営業を常駐させて本格的に営業所として稼働したいから、ということで、三年目ながらも抜擢されたのです。

その一方で、土日の時間を使って新しいことを始めようと、ビジネスやチームづくりを学ぶことを決めた日がその辞令の二日前。
もちろんその場所は、東京です。

変わらず東京で会社の仕事をしながら、それ以外の時間でスキルアップしたり、人のつながりを広げて自身の経験が増えたりすると、自分の好きな小説を書くことにもつながってくるだろうという考えから、そういった時間の使い方をしようと思っていたのです。

自分の中では、人生の何かが変わる大チャンスだ!と静かに息巻いていたときでした。

これには非常に頭を悩ませましたが、当時の僕はどっちも選びきれず、結論平日は広島、休日は東京という生活を始めることにしました。

それは単に、決められないという自分の優柔不断さ、将来への不安、一言でいうとビビっていたことが引き起こした出来事です。

結果的に、約8ヶ月間、広島で生活しました。
このままでいいのかと延々悩み、本を読み、東京で新しい体験をし、平日の仕事終わりにはいつまでこの生活が続くのだろうと悩み、そんな日々は正直辛かったです。

結局思っていても何も起こらず、環境や他人が自分を理想通りに導いてくれることもなく、幸運な出来事という宝くじに当たるみたいな偶発的事象はそんな都合よく巻き起こってくれなくて。

広島生活も4ヶ月過ぎたときに、この自分の人生は自分のものだよなという思いや、たくさんの新鮮な経験から、仕事を辞めてでも東京に戻ろうということを決めました。

僕の可能性を、僕以上に信じてくれていた人が東京にたくさんいたこと。
本当はどうなりたいかを考え抜いたこと。
誰と人生を共にしたいかを考え抜いたこと。
本当はわかっていたけれど目を背けていたことに、逃げずに取り組んだこと。

人との出逢いはかけがえのないものであること。

職業やスキルではなく、価値観や考え方、ビジョンでつながる人と共にいる場があったこと。

広島に行ってすぐに東京に戻りたいなんて、身勝手すぎると本気で思っていました。

ただ、その期間に僕の人生は僕しか変えることができないことも苦しいほどに痛感していました。

もう、決められないとか、ビビることとか、誰からどう思われるかとか、逃げないでおこうと思いました。

自分の願望や本当に思っていることに、正直に生きようと。

自分に嘘をついている状態が最も苦しくて、どうしようもなくもどかしいのだと。

そうして2018年2月、東京に戻ってきました。

冒頭のメモは、その頃に書き留めていたものでした。

今は奇跡の連続体である

休日に東京に通っていた頃は、懇意にしていただいた先輩の家に居候させていただいていました。

その度に、真面目なことから、くだらないことまで、たくさん話しました。
行動したこともあるし、わかっていて動いていないこともたくさんありました。

人生はすべて選択である。

自分で選んで広島に行き、自分で選んで苦しい平日を体験し、自分で選んで東京に戻ってきました。

今となっては、本当にそうしてよかったと思います。
あのまま、会社とか、上司とか、他人とか、ビビっている自分自身とか、そういった目に見えないモノに負けないで立ち向かってよかったと思いました。

ある意味、必然だったのかもしれないとも思いました。
これはいずれ僕がぶち当たる人生の障壁のようなもので、それが転勤という形でやって来ただけかなと思いました。

しかし、一方で奇跡的だとも思っていました。

大切な人、仲間に出会った奇跡、そもそも自分がそういう考えに至った奇跡、辞令よりも先に学ぶことを決めていたタイミングの奇跡、少しでも何かがずれていたら、今このようにはなっていなかった要素がたくさん思い浮かびます。

自分で選んで、そう考え、この人たちと一緒にいようと決め、学ぶ場に飛び込んだ。
何か一つでも小さな選択が違えば、今ここにはいないかもしれない。

そう考えると、一つ一つが奇跡のようなもので、今ここにいることはそんな微かな奇跡が連続しているから。

今ここにいるこの瞬間は、何一つとして当たり前なものはなくて。

これは紛れもなく奇跡。

そんな儚いものの上に、僕は軸を決めて立っているのです。

人の夢と書いて「儚い」

夢を描くことが増えました。
未来思考になり、曖昧だったビジョンが形作られてきて、その道のりが明確になりました。

夢は見るものではなく、叶えるものだという認識に変わってきました。

儚い奇跡の上に立っている僕らは、これからもその奇跡を少しずつ、少しずつ積み重ねて夢を叶えていくのです。

人の夢と書いて「儚い」。

僕らは夢の上に立っている。
奇跡の上に佇んでいる。

積み重ねた奇跡を、儚い想いを、さらに紡いでいく。

今目の前にある奇跡を謳歌しよう。

そう思うと、感謝が溢れてきます。

奇跡がこうして奇跡として積み重っていることに、感謝。

夢を叶えたときに、僕は奇跡を紡いできてよかったと本当の実感を得るのでしょう。

700㎞も離れた街から戻ってきた、あの頃の決断が報われることでしょう。

日々を当たり前にしないこと。
当たり前など、世界中のどこにも存在していないこと。

大切なことを思い出しました。

流れる日常が、惰性になっていないか?
仕事があることが、人のつながりを保てていることが、共に学び切磋琢磨する仲間がいることが、普通だと思っていないか?
目の前に当たり前が転がっていると、気づかぬうちに思い込んでいないか?

僕らは奇跡の中で出逢い、共に成長し、常に選び、努力している。

その感覚を手放してはならない。

自分のすぐ足元に奇跡は散らばっている。

人に会うこと、仕事をすること、生きていること、すべて有難いことである。

文字通り、命懸けで生きよう。

これが本当に奇跡だったということは、これからの僕次第で大きく変わるのだから。


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