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307.そういえば世界に埋没していた経験があった

先日、集中力についての記事を書きました。

深く深く集中する世界は、まるで一流のクリエイターのようで、一流のビジネスマンのようで格好いいイメージです。

今、それほど没頭する何かがあるかな?
熱中、夢中と呼べるほど駆け抜けている自分はいるかな?

そういう思いがよぎりますが、もっとできるんじゃないかという自分ばかり見つかります。

もっと集中できるのではないか、もっと夢中になって取り組めるのではないか、もっと没頭して、周りを圧倒させることもできるのではないか……そんな空想の自分。

ただ、よく思い出してみれば過去に似たような自分がいたこともありました。

僕はよく、その状態をこう表現していました。

「世界に埋没する」と。

日常に潜んでいるかもしれない、集中時間

最もよくその状態が起こっていたときは、読書中でした。

中学生の頃から電車通学だった僕は、電車の中で本を読むことを習慣としていました。
主に小説を読んでいましたが、当時小説は積極的な現実逃避だと捉えていたため、空想の世界に浸ることが目的でした。

まったく、当時の僕は恐ろしいほど小説の世界に熱中していたのです。

電車に乗ったと思ったら、降りる駅に着いていたこと。
その間他の駅に停車した記憶がまったくありません。
時間も一瞬で20分ぐらい過ぎていました。

そして、電車を降りても読みながら歩きます。(田舎なので読みながら歩いても何にもぶつからない。)

自分でも驚いた経験は、改札を出た記憶がなかったときです。

いつの間にか自転車置き場の自分の自転車の前に立っていたときは、どうやって駅のホームから歩いてたどり着いたのか思い出せない自分にドン引きしました。

こうして、自分がどこか現実以外のところに埋もれてしまって、外が見えない状態になることは学生時代しばしばありました。

社会人になっても、昼の12時から始めたゲームが気づいたら20時ということが多々ありました。

集中力を発揮することは、何か崇高な行為だと思っていましたが、大小強弱はあれど意外と人の日常に潜んでいるのかもしれません。

周りが見えなくなるほどの集中力、没頭力

格好いいをですよね。
脇目も振らず自分自身に集中している状態は、何か見ているだけで感情が掻き立てられます。

これが仕事や、自分が将来のために取り組んでいる勉強や活動にも取り入れられれば、より人生は速く動きそうな気がしますね。

一体それぞれどういう取り組みがどういうときに発現してくるのでしょう。

僕の場合は、仕事では一人で広い机に座っているときがその状態を創りやすい。音楽は一昔前のシティポップ。
読書は20分以上電車に乗っているとき。
考え事をするときは、A4の真っ白な紙を何枚も用意して机の上にペン一つだけ置いているとき。
ちなみに野球をやっていたときの素振りは、架空の投手を思い浮かべるので、前方20メートルは開けた場所で静かな真夜中。月や星が見えたらより良いです。
物語を創るときは、大好きなGalileo Galileiの曲を聴きながら。

常人には到底理解できないような集中力を発揮する姿は、どこか憧れてしまいます。

そんな状態を、いつまで経っても作り出せるようになりたい。
集中や没頭に溢れる人生は、どこか尖った輝きを生み出しそうです。

あなたが集中してきたことは何でしょう。
それは今でもありますか?

どうやったら、その状態を作ることができるでしょう。

ないものや、自分以外のものに原因を押し付けても何も変わりません。

何に集中すると、決めますか?

人生はその問いの答えと共に、紡がれるのではないでしょうか。

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