444.文字だけで人は涙を流すのか?
人の心を動かす、感動を巻き起こす要因は、多岐に渡る。
今まで知らなかったのが惜しまれるほど、素晴らしい歌手の存在を知った。
その歌声に、思わず手を止めて、脳内では何かよくわからない感情が渦巻く。
懐かしいような、嬉しいような、郷愁めいたものが頭をよぎり、さすがに感動した。
涙を流しているのもよくわかるほど、心に直接訴えかけてくる。
歌声は人の心を震わせる。
思わず涙するほどの情動を生む。
こんな風に、自分を表現できたらとても素敵なことだと思う。
僕は歌声では感動は与えられない。
しかし、自分を表現する力は持っている。
その一つが、こうして文章を紡ぎ出すこと。
小説で感動することはある。
涙する人もいることだろう。
その領域まで、行き着きたい。
文字だけで、人は涙を流すのか。
小説家として、ライターとして、文章を紡ぎ出す者として、言葉で人に伝える仕事をする人間として。
僕はそこにも挑戦している。
果たして人の心を揺さぶる文字、文章、表現、物語とは、一体どのようなものなのだろうか。
僕は、感動を生み出す人間でありたい。
文章には熱が乗る
勝負をかける文章がある。
想いを乗せる文章がある。
目には見えないけれど、その文字の羅列は多くのものを背負っている。
そろそろまた、熱の乗った文章を書こうと思う。
それは日々一生懸命に生きているから書けるもので、何か不調のときには文章に重みは出ない。
最近たまたま発見したこの方の自己紹介は、非常に熱を感じた。
久々に読んでいて胸が熱くなった。
好きが持つ力は強い。
確かに好きは最も熱が乗りやすい題材である。
僕自身も、我ながら熱を帯びた文章をたまに書くことがある。
狙って書く時もあれば、書いたらそうなっていたこともある。
いずれにせよそれは、自分で読み返しても自身の心すら動かされることがある。
note×マイナビ主催のコンテストで入賞した文章はまさにそれだ。
何度読み返しても、いい文章書いたなぁ、と悦に浸っている。
しかし、涙を流すほどの感動といえばまだまだ精進が必要である。
精進とは、大量の文章を書くことだろうか?
素敵な表現を学ぶことだろうか?
それも大切だが、それ以上に大切なことがある。
これは文章だろうと、歌だろうと、その他表現者である限り必須事項だ。
人生経験。
あなたが感動を生むだけの人間であるかどうかが、最も基盤となる要素だと考えている。
あなたはどんな人間だろうか?
まさに千差万別であり、その人生経験に優劣はつかない。
ただ表現をする以上、自分という人間が滲み出る。
あなたはどんな人間なのか。
どんな努力を積み重ねてきたのか。
どんな壁にぶつかり、どう乗り越えてきたのか。
どれほどの幸せや喜びを感じてきただろうか。
どれほどの痛みや苦しみ、悔しさを知っているだろうか。
あなたの人生は、あなたが誇れるものであるのだろうか。
清濁を全て併せ飲み、身を裂くような思いをしてもなお、人前では笑っていられるような人間だろうか。
絶望の中に希望を見出せる力を持っているだろうか。
息が詰まるような苦しい毎日を過ごしていても、誰かを勇気付けることはできるだろうか。
思いがけない幸いに感謝をして、愚直に努力を継続しているだろうか。
そして何より、努力の先に、達成の魔法にかかったことはあるだろうか。
祝福の中心に居たことはあるだろうか。
それほど心血注いで、物事に没頭しているだろうか。
人生経験と聞いて、あなたは何を思うだろう。
僕は表現者として、アーティストとして、自分の人生の経営者として、研鑽を重ね続ける。
それでいてようやく、涙を流すほどの実力がつく。
文字や、言葉や、自分という人間を通して感動を与えられる。
文字だけでも、人は涙を流す。
相応しい文字を紡ぐだけの人間であれば、きっとその境地に辿り着ける。
僕がそれを証明する。
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