358.何も進んでいないように感じる一日に思うこと
ふと、一日を振り返ります。
24時間という、全人類平等に与えられたもの。
この時間をどう過ごしたでしょう。
ふと、思い返します。
仕事は進んだでしょうか。
やりたかったことは完了したでしょうか。
新しい人間関係はできたでしょうか。
誰かとの約束は果たしたでしょうか。
起きて、会社に行って、なんだかいろいろ仕事をして、たまに夜に友達と会って、帰って、寝る。
今日、何したっけな。
一生懸命仕事をしました。
頭も使ったし、手も動かした気がします。
ただ、あまりにも無為で、虚無に近いような感覚で、今日何もしていなかったのではないだろうか。
いろいろやったけど、今日何をしたと聞かれると、何もしていないんじゃないか、
なぜだかそう感じる日が、時折あるのです。
物事は前進をさせてなんぼ
めちゃくちゃ当たり前の話ですが、何かをしたというのは、物事が前進していることを指します。
動きがないとそれは何もしていないのと同じなので、内情どれだけ頑張っても何かをしたとは言えないかもしれません。
作業なのか、仕事なのか。
何やったかわからないという虚無感から逃れるには、そこに目を向ける必要があります。
今日仕事をしましたか?
頭の中にだけあるタスクはありませんか?
可視化して書き出していますか?
本当にそのTODOは、明確ですか?
頭では分かっているのです。
ただ、分かっているだけでは仕事は進みません。
解決方法はたった一つ。
手を動かす、のみです。
無情ですよね。
でもこの分岐点が、世界の人間の成功の枝分かれ部分だと思っています。
この無慈悲で無情なこの選択肢に、どれだけ何度も何度も挫けずに立ち向かえるか。
成功はその繰り返しの上に成り立つもののようにも思います。
とはいっても、何も進んでいないのではと思う一日は結構つらいものです。
今の僕もめちゃくちゃ立ち向かっています。
頑張っています。
まあ、そういう日もありますけれど。
何がどうであっても、寝て起きたら次の日が来ます。
世界は止まってくれることはないので。
何も進まなかったとしても、早く復帰しましょうね。
その壁にめり込むように四苦八苦している人はたくさんいるはずですから。
漏れなく、僕もその一人。
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