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21,色~劣等感を感じる方へ
マルタに来て3週間が経った。
この街の景色は最高だ。
建物はカラフルで、外を歩けばすぐ海に辿り着く。
異国感満載のヨーロッパ文化と、トロピカルなアイランド文化とが混ざり合う素敵な場所。
パン好きの私にはこの土地の食も、陽気な人々の人柄も何もかもがフィットしている。
こんなにも条件が揃っているのにも関わらず、何かにモヤモヤした毎日。
それは自分がこの土地の人では無いから味わうものだった。
でもこれが当たり前であって欲しくない。
街での違和感
この土地に留学しに来た私は外国人。
そして人種的にもマイノリティーである。
この状況下でヨーロッパに留学する。
アジア人に対する差別はもともと覚悟していた。
アジア人の友達と歩いていると、"Wuhan(武漢)"と言われたり、
お店では店員に「どこから来たの?」と聞かれ「日本」と答えると急に態度が変わったりした。
友達とは「日本でよかったね」と話しながらも違和感を感じた。
そんな自分の発言に他の国から来たと思われたくないという気持ちが含まれている様だからだ。
白人の友達は「そんな事言う人がいるなんて彼らは教養がないね」と言っていた。
励まされている様だけど、何故何もしていないのに「励まされている」気分になるのか不思議でたまらなかった。
授業中の違和感
「日本人はシャイだから」と先生に言われた。
これは日本人の私に対するジョークである。
「私は違う」といつも先生と笑い合う。
全くシャイでない私は、日本人として一まとまりに括られることに違和感を感じていた。
一方コロンビア出身のクラスメイトの女性はこう話す。
「南米出身というと、すぐヤレると思われる。そういう極端な予断をやめて欲しい。」
彼女のその一言が今の自分の気持ちを完璧に言語化してくれていた。
人は一人一人異なっているのに、国単位で捉える事は少々雑である。
しかしながら我に返ってみると、自分も同じようなことをしていた。
その人の背負う性別・国籍・年齢などの肩書きで、その人自身を判断していた。
カラフル
人は一人一人異なっている。
生まれ持っての私達の存在価値に優劣なんてない。
しかしこの街を歩く自分はどこか劣等感を感じている気がする。
でも最近は顔を上げて道を歩くようにしている。
その方がいろんな人と目があって、挨拶ができるから。
そして自信がある人の方がかっこいいから。
顎を上げて、このカラフルな世界をもっと楽しもう。
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