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ゆがんだスプーン

こんにちは。平川悠です😊

何かに対して偏見を持っていたころ

私はAがいい

だからそれ以外は考えられない

カタイ考えが染み付いていました。

例えば、子どものお菓子でも

添加物、白砂糖は絶対NG!!!

としていたころ

確かにいいことなんだけれど

ご好意でラムネをくれることも受け取れなかった頃があります。

これはだめ

こっちの方がいい

今なら「ありがとう」と受け取れるんですが

その時の私は自分で見つけた”これがいい❤︎”と言う

気持ちも自分自身で認められていなかったんですよね。


自分で得た情報、信じてみようと思った情報が

私にとって正しかったと思えるのは

結果が出てみないとそれを肯定できないと思い込んでいて

その固定観念が自分をずっと苦しめていました。

誰かとギクシャクしたいわけじゃないのに

いつからか自分の意見を誰かに共有して

わかってもらいたかった一心でした。

正解は一つだけ

私の正解がみんなの正解だって心の中で思っていたから

態度や発言になっていました。


だけれど、それはあるところでは

共感を得ることができるかもしれない

その一方で距離を感じ始めた。

それが私の違和感の始まりです。

相手を否定するのは違うし

だけど、どうしていいのかわからない

自分を正当化するために相手を無意識で否定してしまう。

「なんのメリットがあって私は意固地になってるんだろう?」


”わかって欲しくて”

または

”どうせ理解してもらえないだろう”と言う思考があって

その思考のもと人との距離を作ってしまっていました。

私がしていたそれらは

自分自身がやってきたこと

自分の想いがあっての今まで全てのことを

自分で肯定してあげられていなかったんですよね。

このままじゃ良くないと思って行動していること

手探りの中進んでいること

いろんな知らなかったことを知ってわかってもらいたかったのは

放っておけない優しさがある

自分だけ良ければいいわけじゃない

そんな気持ちを持っているその自分を受け入れました。


いい人ぶっている

偽善者かもしれないって自分のいいところを

蓋をするのをやめて

全部、これが私なんだって受け入れるとすごく楽になりました😊

次第に、私はAが好きだけどBもいいよね。

相手と比べて自分を主張しようとしてたことも

次第に柔らかくなり

今もまた自分の固定観念を一つ手放せて、ブログを作成しているところです。

わかってもらえないのは私らしくない。

わかってもらうためにどうしたらいいか

それは自分の「こうなのかもしれない」と

信じて進んでいる過程を全て肯定することで

相手へ歩み寄ったり

相手を受け入れることができるのですよね。

今日も新しい1日、

心地よい自分で進んでいきます😊

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