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多数決は嫌だなぁ

子供のころから多数決は嫌いでした。

みんなが言ってるからとか言われても、「そうなのかな」と思うことが多かった。たいてい、意見が2つ3つに分かれている時って、本気でその意見を主張しているのは数名だけのような気がしていました。多数派が多数派になっているのは、あまり自己主張しない人が、どういうわけか多数の方に流れているように思っていました。

もちろん、今は子供ではないので、多数の賛同を得ることの意味や難しさを少しは理解できているつもりです。人間的魅力、日ごろの行動、利害関係、他にもいろいろな要因があります。そういうことをわかった上で、多くの人の支持を得るための方法とかスキルは、持っていた方がいいというのは間違いありません。

仕事を進める中で、何かを決めるということは、とても大切です。案件を進める上で、複数の選択肢から1つを選ばなければならない場合。誰かの出した案を、採用するかどうか決めなければならない場合。他にもいろいろあります。

どんなプロセスで物事が決まっていますか?

先日、ちょっと考えさせられることがありました。とある案件で、目的を実現するための方法が3種類に絞られました。私たちのチームは、その方法について、上位組織に報告する必要がありました。ここで、次のような意見が出ました。

「3案のうち1つは、上位組織の人に嫌がられるのは間違いない。この1つは除外し、2案だけ提示して、決済をお願いする。」

効率が悪いとか、魅力がないとか、コストが高いとか、倫理的に受容できないとか、そういう理由で除外するなら理解できます。でも、「嫌がられるから」??
こういう形では、自分たちの意思は全く伝えられないし、ある意味、無責任だと感じました。

「3案全てを提示。その際、私たちがどの案を採用したいかと、その理由を明示する。」

というのが、私の意見でした。そして、「どの案を採用したいか」に私が選んだのは、彼らが、「上位組織に嫌がられる方法なので除外」するという案でした。

猛反対されました。

「理想はそうだけど..」「いろいろな人から意味のない反発が..」
いやいや、いろいろな人より前に、今、あなたが意味のない反発をしているのでは...と思いました。


ここで、私に反対するエネルギーがあるなら、「上位組織に嫌がられる方法」を受け容れてもらうための、根拠やロジックを整理することにエネルギーを使うべきだと思うのです。

みーんな、小説や映画の中では、「守旧派の圧力に負けずに自分が良いと思うものを進めていく」といったストーリーに共感したりするのに、現実では、そういう行動は取りにくいものです。

小説や映画の中での敵役とか無関心層。知らず知らずのうちに、自分がそちらの側で行動してしまっていないか?時々省みる必要がありそうです。

物事を決める方法はいろいろありますが...

決める方法 (1)上の判断

仕事の場で、物事を決めるもっとも簡単な方法。それは、上席者に決めてもらうことです。


自分は案を出すだけ。調査するだけ。後は上の人が決めてください。という方法。実際、世の中では、会議というものがたくさん行われていますが、結局、ツルの一声で決まる組織は多々あります。変に反論すると不利益を被るケースもあるでしょう。とにかく決めるのは私ではない。上の人。いざ!という時は、こういうことも必要だと思います。トップの強いリーダーシップ。けれども、何もかもそれでは、トップも大変でしょう。

私たちにとっては、ある意味、これは楽です。決めるという、責任や覚悟を背負わなくていいのですから。でも、こういう状態が長く続くと、組織も個人の思考も、硬直化する気がします。反対意見が出にくくなります。それに何より、こういう物の決め方ばかりというのは、あまり楽しくない気がします。


決める方法 (2)強引さ

よく言われる「声の大きい人の意見が通る」っていうやつです。現実、このケースも多いです。私の経験上、割と興味のない案件や、どうでもいい案件であれば、この方法はアリかなぁって思います。そういう場合は、そのまま通しておけば、「声の大きい」本人もそれなりに満足しているケースが多いですし。

決める方法 (3)多数決

子供のころから、「決まらなかったら多数決で」と教育されてきた(?)からかどうかはわかりませんが、多数決は正しい、と信じ込まれています。私は子供のころから、多数決が嫌でした。自分があまり多数派でない意見を持つケースが多かったせいかもしれません。(単なる天邪鬼?)

多数決が正当性を持つには、少数意見を尊重するとか、配慮する、という部分が必要だと思います。会議の中で、多数派の意見に結論が収斂していく過程で、少数派が主張していることや心配していることに対し、それらを何らかの形で解決できる方法を組み込んでいく。そうしたプロセスを経て、多数決が行われるよう、会議の進め方にも工夫が必要でしょう。

決めるスキルのレベルアップ

物事を決めるスキルをレベルアップさせたいと感じています。自分なりに、どのような行動や心構えをすればいいのか、考えてみます。

まず、自分が何か発信するとき。相手が嫌がるかどうかではなく、本来の目的に照らして、正しいと思うことを真摯に発信する。ごくごくシンプルなこの行動が、意外とできていない。

そして、説得、合意形成といったことを行うために、論理的な整合性、根拠、課題の整理、優先順位、そういったことを共有する。そして、これらを結論を出す理由にすることを習慣化する。資料を作ったりして、途中までは、こういったことはできているケースが多いのです。にもかかわらず、決める段になると、資料そっちのけで「上の人の意見」に決まったりして、「さっき説明したあの資料は、決定に生かされないの?」と思うことが多々あります。

次に、他人の意見を受け容れる。特に少数意見。何に拘っているのか。どこにイシューがあるのか。「頑として動かない」という姿は、魅力的に見えるケースもありますが、そんな人ばかりでは合意形成なんてできません。

最近少し思うのは、その場で「自分は多数派か少数派か」「自分は上席者かどうか」を俯瞰してみて、「自分が多数派」「自分が上席者」のケースほど、他者の意見をよく聞き、取り込む姿勢が必要だと思うのです。「多数派で上席」の人が聞く耳を持たなかったら、議論なんて成立しないでしょうから。そして、そうでない場合は、「多数派」や「上席」に配慮ばかりせず、自分の正しいと思うことを堂々と主張したいものです。

前にある人が書いていた記事を思い出しました。

「迷った時は、若年者の意見を採用する」

少し意図するところは違うかもしれませんが、これを応用して、

「迷ったら職位の低い方の意見を優先する」
「迷ったら少数意見を軸に結論を形成する」

といったことを試してみたいと思います。意外と多数決なんかより、納得感を得られるいい結論に近づけるかもしれません。

もちろん、どちらの場合も、聞く耳は大切。そして、決まった後は、元々、反対していた案件であっても、全力で協力する。

今のところそんな感じですが、まだ道半ば。決めるスキルをもっとレベルアップしていきたいです。いかがでしたか。決めるプロセスやスキルについて、今後も考えていきます。

最後までお読みくださりありがとうございました。kindleでもいろいろ書いています。ぜひ、ご覧ください。


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