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言葉の乱れ?

最近、よく耳にする言葉の使い方の中に、「ちょっと自分は使いたくないなぁ」と思うものや、「聞いていて、いい気がしないなぁ」という言葉や言い回しがあります。

そういう言葉や表現に対して、「言葉が乱れている」「間違っている」「傷つく人がいる」「本来の意味が違う」などと言って、注意したり、使わないようにとか、使い方を変えるようにという動きをする人たちもいます。

たいてい、「よく耳にする言葉」を使っている人は、若い人や、時代に合ったファッションを身に着けている人の方が多いような気がします。(あくまで、そんな気がするだけです。)

そうした言葉に、「注意したり、使い方を変えるよう」言う人は、年長の方の方が多いような気がします。(これも、そんな気がするだけです。)

私は、たぶん、後者の方に年齢とかいろいろな面で近い立場にあると思うのですが、正直言って「注意したり、使い方を変えるよう」言っている姿には共感できません。理由はよく整理できていないのですが、なんとなくカッコよくないと思うのです。

私自身も、10~20代の頃、使っていた言葉やイントネーションや服装といったものの中には、ノリとか、同世代の中での流行につられていたものが多々あったと思うのです。その中には、年長者から見れば、明らかに変だったり、間違いだったり、恥ずかしかったりするようなものも、、たくさんあったはずです。

その頃も、それに異議を唱える大人がたくさんいたと思います。けれども、そういうものは、大人の注意では止まらない。流行りが去って消えていくか、もっとカッコいいものに取って代わられて淘汰されるか、時間の経過とともに市民権を得てしまうか、それぞれです。

※例えば、罪のないところで言えば、「スタンバる」っていう言葉。たぶん当時のオトナたちには受け入れられなかったはず。でも今は、ビジネスの現場でもフツーに使われるし、日本語を学んだ外国人の方がフツーに「スタンバってください!」などと言うほど、市民権を得ています。

少なくとも、年齢や権威や知識や経験値といった点でいくら優れているからと言って、

オトナたちが文句を言って無くなるものではない。

そんなこと、自分たちだって経験済で、よーく知っているはず。

それに、「注意したり、使い方を変えるよう」言う姿は、本当にカッコ悪いと思うのです。そういうことをして、流行り言葉に関りを持った時点で、あちら側に行ってしまうというか、自分の大切なものが汚れる気がするのです。

関わった時点で、加担している。自分を貶める。そうはなりたくない。

だから、「ちょっと自分は使いたくないなぁ」と思うものや、「聞いていて、いい気がしないなぁ」という言葉に対しては、無関係でいようと思っています。

使いたくないから使わない。

そして、

使っている人のことをとやかく言わない。

自分が信じていることとか、品位とか、自覚とか、そういうものを信じたいと思うのです。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

7月に出した読書感想文のkindle、今も時々読まれているようでうれしい限りです。たくさんの方にお読みいただけると嬉しいです!


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