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投資ファンドが「宣伝会議」を買収する記事を読んで、40年前の「宣伝会議コピーライター養成講座」のことを思い出しました!

投資ファンドが「宣伝会議」を買収する記事を読んで、40年前の「宣伝会議コピーライター養成講座」のことを思い出しました!
 
3月22日の日経新聞の記事で「宣伝会議」が投資ファンドのポラリス・キャピタル・グループに200億~300億円で買収されるという記事を読んで、目が釘付けになりました。「えええええ!」あの「宣伝会議」があああ!みたいな。

よく読むと、オーナー経営者だった東英弥会長(70歳)の事業継承に伴う措置であると書かれています。東さんは社内で後任を育てなかったのでしょうか?そもそも、宣伝会議は1954年に久保田宣伝研究所という名称で始まったと聞きます。私の先輩方は今でも「久保宣」と呼ばれる方がいらっしゃいます。バブルが崩壊後、1993年に「宣伝会議」が経営難に陥り、そのタイミングで出版事業などを譲り受け現在の、シン「宣伝会議」が生まれました。そこから30年経っての新たにファンドが参入です。企業価値を高めることによってその後IPO(株式上場)を果たすことでファンドは利益を獲得したいという意向らしいです!売上年間50億で従業員が約100人。一人当たりの売上が5000万くらい。ファンド会社はこれからデジタルのオンライン講座などを充実させれば十分採算が合うのではないか?と考えられたのでしょう。

実は、私個人も宣伝会議にはいろんな思い出があります!20歳ごろ、大学2年の頃だったでしょうか?山下章ちゃんという同級生が大学に居ました!一緒に喋っていると、当時は必然的に将来の夢は?みたいな話になっていきます。私はそもそも「新聞記者」になりたいなあ?みたいな憧れがありマスコミで働きたいと思っていました。調べると夜討ち朝駆けで大変な仕事のようでもあり、果たしてやって行けるだろうか?それ以前に、そもそも新聞社に入ることが出来るだろうか?みたいなことを思っていました。そんな時に、章ちゃんが、
「山下は新聞記事のような重いものではなく、かるーい感じの広告業界が向いてるんとちゃうか?」

と言われました!その時に初めて聞いた「広告業界」という言葉。
そこから「広告」あるいは「TVCM」の仕事に40年以上もどっぷりとつかることになるとは思っても見ませんでした!当時はサブカルブームで「軽薄短小」という言葉がはやっており、「昭和軽薄体」という文体がブームになっていました。同時に世の中は「コピーライターブーム」というのが起きているというのを教えてもらいました!1982年あたりのことでした。
その後、書店や図書館で広告やコピーライターのことを調べて「糸井重里」さんがお出しになっていた著書を何冊か読みました。
「広告批評」という雑誌を大学の生協で買って購読しました!

私が通っていた関西大学の社会学部には植條則夫という先生が居て、元電通のCD&コピーライターで広告のゼミをされているということを聴きました!そうして、私はそのゼミに入ることを決めてゼミ生の応募のためのレポートか何かを出したのでしょうか?運よく「植條ゼミ生」になることが出来ました。3年から4年にかけて(関西では3回生、4回生と言います)ゼミ生をさせていただき卒論は「糸井重里と彼をめぐるメディア状況の変化について」というものでした。今は「ほぼ日」の株式を購入させていただき、「ほぼ日手帳」を使わせていただいています。

当時の植條ゼミ生は植條先生が大学の講義とは別に「宣伝会議コピーライター養成講座」で教えておられており、伝統的にゼミ生の中の希望者はその口座の「受付」の手伝い業務を行い、その代わり、受付業務が終わると講座を無料で受講できるというものでした!当時は一般コースが2クラスあり1クラスは150人近い参加者でした!受付業務はゼミ生3-4人で1クラスを担当するというものでした!大学に通いながら並行して宣伝会議に通い、そして自分で本を買ったり映画を観たりするおこずかいを稼ぐためにあらゆるアルバイトを行いました!授業料は奨学金を借り受けてそれで支払っており、結果38歳まで奨学金の返済をしていました!

大学3年の9月に父親が脳溢血で倒れて急死しました!弟と妹がいましたので、ますますアルバイトに精を出すようになり、ゼミといくつかの講座を受けて、あとは宣伝会議のコピーライター養成講座とアルバイトの日々でした!

結局、1年半養成講座に通いました!一般クラスと言う150人のクラスから20人ほどの専門コースへ!当時はコピーライティングの何たるかがまったくわかっていませんでした。
一般コースでは電通の林均さん、博報堂の垂水佐敏さんが16㎜フィルムを持って来られ(この時はまだビデオがなかった時代です)
当時の面白いTVCMをたくさんまとめて見たことがいちばん印象に残っています!

また、当時サンアドにおられた中村偵さんが東京から講座に来られて、そこで見た「とらばーゆ」のTVCMは衝撃的なものでした!こんなオシャレな広告があるのか?みたいな、調べると中村さんは1957年生まれ。私と4学年しか違いません!そんな20代後半の方がこうした仕事を任せられているということも当時の業界の若々しさを感じワクワクしました!
中村さんと、講座終了後、宣伝会議の事務局の寺久保さんに連れて行ってもらって梅田かどこかの立ち飲み屋で1時間ばかしお話をしたのを鮮明に覚えています。

あれから40年が経ちました!2011年に東北新社の映像テクノアカデミアという教育事業に異動になって、それからますます「宣伝会議」というのは、教育事業での競合会社でもあり「宣伝会議賞」や「BOVA」を応募させてくれる会社でもありということで、とても身近な存在になりました!
「広告批評」が廃刊になって、(※ 2009年4月号を最終号として休刊した。)今は「BRAIN」(宣伝会議が出版している雑誌)などでTVCMの制作スタッフを確認するような時代になりました。それも最近はWEB CMの掲載が増え、しかもそっちの方がおもしろいやんけ!みたいなことになっています!

変化に応じて変化するものだけが生き残るのは世の常です!今後の宣伝会議がどうなっていくのか?70年近くの業界とのつながりとブランドの「のれん」があるので、一流の講師を揃えた質の高いレベルの講座が満載のプラットフォームになっていくのかも知れません。それが私たちの財産になっていくこともあるのではないでしょうか?

一度、ある大きなICT系のクライアントから動画制作の講座をやりたいとの相談を受けたことがあります!2015年あたりだったでしょうか?その時に競合だった相手が宣伝会議とデジタルハリウッドでした!カリキュラムと企画書そして見積書を提出するというものでした。運よく東北新社がその案件を獲得することが出来ました!理由を聞くと、宣伝会議は動画制作の企画と構成の作成が中心の講座だった、そしてデジハリは編集やCGなどのポストプロダクションが中心の提案だった、と。東北新社の映像テクノアカデミアだけが企画構成から撮影準備、撮影、編集、書き出しまでを網羅していたので決めさせていただきました、とのことでした!それから私は2か月近くほぼ毎日のようにその会社に通い、ロケなども一緒に行いました!
その時に「制作会社」であることの「強み」みたいなものを感じられた瞬間でした。泥臭いことを地道にやり抜くことの「強み」が「制作会社」にはあるのかも知れません。
「宣伝会議」の買収の記事を読んでそんなことを思いました!

HPより引用


HPより引用


市ヶ谷の釣り堀の上の桜


 

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