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発売後4か月後にやっと村上春樹「街とその不確かな壁」(@新潮社)を読むことが出来ました!

発売後4か月後にやっと村上春樹「街とその不確かな壁」(@新潮社)を読むことが出来ました!

4月10日の発売日に購入していた本書をやっとこのお盆休みに、しかもコロナ陽性で自宅謹慎期間中に読むことが出来ました。あとがき、入れて661ページの長編です。自宅に籠っていたのですが、読むのにそれでも3日かかりました。あとがき、にも書かれていましたがこの作品の基となっているものが1980年の「文学界」に同じ題名「街とその不確かな壁」として150枚ほどのやや長い短編小説として掲載されていたそうです!私が村上春樹を読み始めたのは大学の1年生の時だったので1981年でした。なので、その頃は「文学界」に掲載されていたものなど知る由もなく。あれから40年が経過して村上春樹さんはコロナ禍の中、3年かけてこの作品を完成されたそうです!

2020年~2022年。本当にコロナ禍で世界中がある種の停滞を起し、そのことが私たちとその周辺の人に大きな変化をもたらしました!2022年には、ロシアがウクライナに軍事進攻をして戦争が始まり、今も続いています。まさに「不確か」な時代にこれを村上春樹さんは世の中に問うたのかも知れません。4月に千葉から大阪に越して来て、これを読んでいて思ったのが、そうや、早稲田大学の村上春樹ライブラリーに行っといたらよかった!ということでした!何度が前を通っていたのですが、しかも一度は入れますか?と聞いたらコロナ禍で予約の方のみと言われて泣く泣く諦めたことを思い出しました。村上さんの蔵書がどんなものだったんだろう?という個人的な興味もありとても気になりました!というのも、ここにも本を愛する人たちが何人か登場するからなのですが。舞台の多くを占めるのが福島の会津地方に近い片田舎にある公立の図書館。とはいっても、実はここに住む篤志家と言っていいのでしょうか?以前、酒造会社を経営していた子易さんという方が私財をなげうって、自らの施設でもあった酒の貯蔵倉庫?を改装して図書館にしたという施設。この街へこの図書館を財団を作って寄付したというカタチの図書館です!

村上春樹の初期の長編で「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」という小説があります。この小説の中ではAという場所とBという場所があるところではつながっているのですが、実際にはまったく違う世界であり、小説ではその世界が交互に描かれて行きます。そして…。というまさにワンダーランド的な寓話的な世界が描かれます。精神の、奥の奥の方にある村上さんの持つ物語の世界に私たち読者は誘われ、その世界に絡めとられて行きます。決して簡単な世界ではありません。しかも論理や整合性を超えた「何か」がそこにはあります。その「何か」はどうでもいい人にとっては本当にどうでもいいことなのかも知れません。理屈では割り切れないけど私たちの中にあるもの。特に身体感覚を伴って備えられているものなのではないでしょうか。村上春樹さんはアスリート(長距離ランナー)でもあるので、そのことを実感されているのではないでしょうか?言葉に出来ない「何か」が、よくわからないけど確実にある、と。その「何か」を探し求め続けている作家が村上春樹さんという小説家なのかも知れません。

村上さんは1949年生まれなので、私の13年、年上ということになります。よって現在74歳!74歳の作家が、16歳の少女と17歳の少年の関係を描くところから本作は始まります!そう思うと、人の精神の年齢は自由だ!ということを実感するのです!そこには無垢な世界が確かにあり、年を取ると言う身体の衰えとは別の世界が、想像の世界の中で確実にそして活き活きと存在しているのではないでしょうか?

小説の冒頭、特に第1部は物語の世界観を理解・共感するのに時間がかかります。今回は自宅待機でもあるので、時々読む手を休めてこの小説に出て来る登場人物や情景などのイメージを裏紙にスケッチしながら読み進んで行きました!

第2部に入ると一気に物語の描かれる世界に私たちも没入していくようになります。ひとつはここで描かれる世界観を受け取ったから。そして、もうひとつは、これは村上文学の極致でもありますが、その読みやすい気持ちのいい文体とリズム。まるで音楽の演奏を聴いているように登場人物の言葉が自分の中で踊っているのを見ているような感覚で読書が進行していきます。まるで誰かの「夢」を読んでいるようなそんな気持ちとでも言うのでしょうか?そして、この街の私設図書館の館長となった主人公の「私」はここで様々な人たちと出会い話をし、そして話を聞き続けていきます。

この「聞き続けるチカラ」みたいなものも村上作品のパワーの一つではないでしょうか?オウムの地下鉄サリン事件の関係者にインタビューし続けたものをまとめた「アンダーグラウンド」「アンダーグラウンド2」などはその中の白眉でもあります。

静かで淡々としたある種のファンタジックな物語世界が延々と続きます。その言葉たちは決してデジタルではないというのが村上作品の素敵なところでもあります。言葉から身体やリズムを感じるのです。それはスマホやデジタルで扱わないような感覚というのでしょうか?村上さんはその感覚を大切にし、ていねいに掬い取り私たちの前にこんなのがあるよと提示していただいているような、そんな気がしてなりません。そして、読み終わると思うのです!これは「魂」を描いたものでもあるが、

実は「死」というものを出来るだけ身体感覚に近いところで描き出そうとした野心作なのではないか?

私はそんな風に思ったのでした。「死」を扱った作品は過去にもたくさんあります。「能楽」などを見ると毎回のように死者が現世に登場します。「死」は「生」の連続上にあったことを私たちは忘れてしまったのかも知れません。「死」は無いものとされ現世と分断されていったのかも知れません。決して「死」はタブーでも何でもありません。これこそ私たちに平等に訪れるもの。その世界は「無」なのかどうだかわかりませんが、

僕は「死」について、このように感じたんだけど、どうだろう?

と村上春樹さんがおっしゃっているような。
コロナ禍に自宅に籠って目に見えない「コロナ」という不確かな壁を乗り越えて、そんなことを届けてみたいと思った創作の結果なのではないでしょうか?
そこには先日観た宮崎駿さんの監督作品「君たちはどう生きるか」にも似たある種のメッセージを感じるのでした!宮崎駿82歳、村上春樹74歳。そして私も61歳になりました。「何か」を継承していくために私たちは何をするべきなのか、が問われていく年齢になったことを自覚しつつ、村上さんの次回作を楽しみに待ちたいと思います。

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