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答えより「問い」を持てる人はきっと強い。

#週1note 2回目は、美術館で作品の見方がわからない人に特に読んで欲しいなと思って書いてみる。

説明が欲しい、答えが欲しい。
それはもしかしたら、安心したいだけかも。

「キャプションがないとわからない。」
「そもそも何がいいのかわからない。」
「自分はそういうの理解できないタイプの人間だから。」

好き嫌いがあるのは全然良い。
ただ、一つ言いたいのは、
みんな自分の感じることに自信を持って欲しい。
ということ。

ものすごいわかりやすい説明が書いてあるキャプションがあったとして、確かに新たな視点を知れて、面白いかもしれない。でも、その一つだけが作品の「答え」になって、自分の意見がなかったことになってしまうのは、少し勿体無いと思うのです。

(海外にいた方に聞いた話だと、NYで作品を見たら、作者に対して見に来た人が「俺はこの作品についてこう捉えたけどな!こっちの方がいいだろ?」って意見するシーンが見られるらしくて、日本の芸術文化の違いにびっくりした。)

意味を見出し続けることや、
良い方向に進もうとし続けることは、
味わえる幅を広げると思う。

答えや言葉の表面だけを正しさにしてしまうと、裏切られることや間違いが生まれてしまう危険性がある。

例えば、彼女、彼氏だから大事にするのかって、そうじゃない。
大切な人と一緒に人生を過ごしていきたいから、関係性に特別な名前をつけた。というのが、言葉や答えがある意味で、説明だと思う。

本質的なものなんてあってないようなもの。
恋愛も仕事も答えなんてないし、正しさもない。アートなんて特に。
いいじゃないか見えたものだけ信じれば。
思ったことも全部良い。

流れゆくままに感じることを楽しむ、その象徴として
アートってあるんじゃないかと、これも勝手に私は思ってます。

写真は台湾でゆるりゆるりと散策した時の、特になんでもない風景。
散歩するくらいの気持ちで世界を見るのがちょうどいい気がする。

養老孟司の(本は難しすぎて挫折したけど)言葉が好きなので、噛み砕いたバージョンでシェアして、今日はおしまい。

これは「なになにです。」
そう言うと現代人は安心する。
「なんだ、これは」のままではいられない。

でもこの世界は
「なんだ、これは」なんですね。
なにしろ、誰であれ
白紙で生まれてくるのですから。

できれば正体不明のまま、
ただ見てください。

ひょっとして○○なのでは?
どう見てもそうだ。
きっとそうに違いない。
私もそう思う。
それでいいじゃないですか。

わけがわからない。
それって大切なことなんです。
人生がそうですから。

思えば自分の人生って
正体不明じゃないですか。

皆で寄ってたかって
「意味がある」フリをしていませんか。

意味はよくわからないけど
それなりに、興味深い、美しい。
そういう人生を創造したい。
そう思いませんか。