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朝井リョウ『正欲』と揺れ動くありかた

朝井リョウ『正欲』を読みました。ある文章と、児童ポルノ所持で逮捕された三人についての記事から始まる話(以下、感想は結末に触れています)。

朝井リョウの本は『桐島、部活やめるってよ』『何者』『何様』『死にがいを求めて生きているの』を読んだことがある。どれを読んでも、自分が見ないことにしておきたかった感情が晒されるようで、でも面白くて、読んだあとぐちゃぐちゃになる。『桐島』はなんでこんなに女の子のことがわかるんだ?と思ったし、就活を経て読んだ『何者』はまさに「就活」はこの通りだったなと感じた。『死にがい』もパンデミック1年目に読んで打ちのめされた。『正欲』も、読んだ人の感想を読むとものすごい作品だろうという気がして先延ばしにしていた。

一番好きなのは、主人公2人が話す場面。水に性欲を抱く佳道と夏月の2人は社会で生き延びるためにパートナーとなる。同僚との飲み会で異性との恋愛を前提とした会話が盛り上がっているのを聞いた夏月は、セックスをしてみたいと佳道に話す。2人が暗い部屋で話す場面、「あそこで勇気を振り絞らなかったら終わっていた。そう思う瞬間が幾つもある。ここまで生き延びてきた奇跡が、身体中を巡っていく」(p.331)。生きているってこういうことだ、と思った。

今年はクィア理論に興味を持って文献を読むことが何度かあった。そのたび、私が「正しい」と思っている性のありかたなんて、どんなに狭いものか、そもそも「正しい」って何?と思っていた。何を「性的」だと思うのか、それをどう表現するのか、性欲をどう満たすのか。かっちり引かれていると思いがちな境界線は常に揺れ動いていて、だからこの小説に出てくるのは「水」なのかなと思った。自分自身のことも、私は流動的だと感じている。その時によって恋愛感情を人に抱かない気がするときも、恋愛対象があるような気がする時もある。
性の話になると、「みんな違ってみんないい」に行き着きがちな気がするけれど、そう割り切れるものでもないし、確実に「少数派」とされる人は出てくる。「多様性」ってほんとうは、面倒くさいと思う。全然自分と違う人、自分の考えを超えた人がいて、自分も誰かにとってはそうであるからだ。でも、それを抑圧されるよりは「面倒」でも生きのびる選択肢が多い方がいい。それが綺麗ごとだと言うなら、そうでいい。「自分とは違う人が生きやすくなる世界とはつまり、明日の自分が生きやすくなる世界でもあるのに」(p.282)。『正欲』が発表される前、朝井リョウはインタビューでもこうしたことを言っていたような気がする。この一文が好きだと思った。

『正欲』朝井リョウ 新潮社 2021

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