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誰もが勉強しやすい場所であるために

大学、というか学校は、誰もが勉強しやすい場所であるべきだ。そう言われて、反対する人はいないと思う。むしろ、当たり前のように思える。

ただ、本当に「勉強しやすい場所」であるかどうかは、意外と分かりにくい。自分にとっては居心地の良い場所でも、他の誰かにとっては違うかもしれない。「普通は○○だから大丈夫だろう」「こうあるのが当たり前」と思えば思うほど、誰かにとっての不自由を想像しにくくなると思う。


今私はイギリスのある大学に留学している。まだオリエンテーションが始まったばかりだけれど、「勉強しやすい環境」という意味で、キャンパスを見るだけでもすごく勉強になっている(私の留学先が特別キャンパスに力を入れているのか、イギリスの大学が基本的にこうなのかは分からない)。



子どもの遊び場があるキャンパス

 

 例えば、子どものための遊び場がある。留学生のウェルカムパーティーがあったホールでは、大きめの積み木やジェンガがまとめて置いてあった。まさかウェルカムパーティーで使うのかな? などと思っていたら、子どもらしき甲高い声が聞こえる。学生か職員の子どもかは分からないけれど、パーティーの間中そこで遊んでいた。
ちょっとびっくりしてしまい、その後反省した。考えてみれば、子どもがいる学生や職員がいても、そしてその人たちが子どもを大学に連れてきても何も不思議はない。

私が日本で通っている大学では、キャンパスに子どもを連れて来にくいところが問題となっていた。もちろん子どもが遊ぶスペースもない。教授や大学院生が、「学生に子どもがいないことを前提に環境が作られている」と悩んでいた。


多分、「学生には子どもはいないはず」「子どもは職場に連れてこないのが当たり前」という考えでいれば、この遊び場はなかっただろう。
「勉強しやすい場所」を作るには、「~ではないはず」という思い込みを外していくことが必要なのかもしれない。



ジェンダー・セクシュアリティに関するサポート


 留学先では、ジェンダー・セクシュアリティに関するサポートも豊富だ。オリエンテーションでは性的合意の大切さに関する話があり、性暴力・ハラスメントの被害にあった時に通報・相談できるウェブサイトもあるとのことだった。
キャンパスや住む場所が治安の良い地域にあっても、どこで何があるかなんてわからない。「治安がいいから」と言われるより、もし何かあった場合に具体的に頼れる場所を示してくれる方が安心だ。

↑オリエンテーションで見た、性的合意の分かりやすいビデオ

また、こんなサポートもある。「性自認にあった声で話すためのボイストレーニング」。プレゼンテーションなどで、性自認にあった声で話せるようにボイストレーナーの指導を受けられるとのことだ。こうした一つ一つが私には新鮮だった。

「変わりゆく自分」

 

 前に新聞で読んだ、作家の朝井リョウさんの文章が印象に残っている。「多様性のある社会は、変わりゆく自分が生きやすい社会でもあること」、ということが書かれていた。誰かにとっての自由を確保するためには、自分が我慢しなければいけない。そう言われることが多いけれど、実はそんなことないのだと朝井リョウさんの文を読んで思った。今自分に必要なくても、いつか必要になるかもしれない。「自分」は変わりゆくものだから。
そう考えた方が、もっと楽に生きられる気がする。

なんとなく「同じ」ことにされているけれど本当はバラバラな人同士、しかも変わりゆく者同士が集まっているのだから、「こうであるに違いない」を外していけば、「勉強しやすい/生活しやすい」場が作れるのかもしれない。


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